アルゼンチンがヨーロッパからの移民を歓迎したこと。
アルゼンチンが当時経済的に成長期だったこと。
アルゼンチンがイタリア同様カソリックが主宗教だったこと。
イタリアが経済的に不安定で仕事がなかったこと。
先に移住したイタリア人が故国イタリアの家族縁者知人を招く
(移民が移民を呼ぶ)傾向が強かったこと。
・・・これらの要素が重なってイタリア移民が大量にアルゼンチンに
渡ったわけです。
アニメ「母をたずねて三千里」は、主人公の少年マルコがアルゼンチン
に出稼ぎに行った母を探して旅するお話ですね。
マルコが旅したのは、1882年。
その前の1864年から1880年にかけて、国内が不安定だったアルゼンチ
ンは統一を成功させます。
それ以前に、スペイン系の前政府を倒した統一政府は、インディオや
黒人を追放し、「南米の欧州国家建設」を目標に、ヨーロッパからの
移民を積極的に迎え入れます。
当初はイギリス系の白人を希望していた(当時は労働資質が高く、イギ
リスの経済援助も狙っていた)のですが、
カソリックが強く、スペイン語が主要語のアルゼンチンはアメリカに
比べ人気がなく、代わりにイタリア人が大挙してやってきたのです。
マルコの母も、先に渡った知人をたよりに出稼ぎに来たのですね。
1857年ー1928年の移民の約半数はイタリア人。
この期間のイタリアは、政情不安定で経済や産業も乏しく、イタリア人
の多くはイギリス・フランス・ドイツへの出稼ぎか、アメリカなどへの
海外移民しか生き残る術はありませんでした。
1880年ブエノスアイレスが同国の首都になってから、食肉の冷凍技術
も確立し、アルゼンチンは畜産を主産業に経済発展が始まります。
特に、第一次大戦では戦争特需で大もうけ。
世界大恐慌の1929年までに、空前の高度経済成長が続くのです。
当時、アメリカは英語圏であり、プロテスタントが幅をきかせ、イタリ
ア人は差別されていました。
そんな国よりも、先に渡って成功している者がいるカソリックの国
アルゼンチンの方がイタリア人には魅力的だったのですね。
もちろん、当時の移民はスペインや東欧などの貧しい国からの人たち
もいましたが、移民船に乗るためにはある程度まとまったお金が必要
ですし、移民先は言葉も通じない・仕事のツテやコネもない国ですから
先に渡って成功者が多くいたイタリア人の方が有利で、
労働力不足解消目的で、故国の親類縁者知人に資金援助して移民を
薦めた結果「移民が移民を呼ぶ」ことになってしまったのです。
確かマルコも医者になってアルゼンチンに渡っていますね。
しかし、
迎えいれたアルゼンチンも、しだいに増えるイタリア人にしだいに
不安と苛立ちを持ち、スペイン語教育の徹底やスペイン文化の保護政策
をとります。
また、1929年以降は非イタリア人移民を歓迎したために
第二次大戦前後は、東欧・ユダヤ・ドイツ人が増える結果になります。
お礼
詳しい回答ありがとうございます。
補足
「カソリック」って、「カトリック」のことですか?