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もしも学校が、好きな教科だけを選択できるとしたら
小学校はいいとして・・ 中学校、高校は、 半年後とに自分の好きな教科を、選択できるんです。 時間的に可能なら、何教科でもOK。 体育だけでもいいし、全教科でもいい。 授業料の問題はここではおいといて。 私は、いくら体育が好きでも、 よほどの才能が無い限りは、(あっても?) 体育だけを選択するようなことは、だれもしないと思います。 なので、能力に著しい偏りが生じることは無い、 と、私は推測するのですが。 デメリットは、能力の偏り。 メリットは、勉強意欲の向上。など。 どう思いますか?
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こんにちは。 中学校ではまだ早いように思うのですが、 高校では、かつて「モザイク授業」という方式を取り入れていた進学校があったと聞きます。 これは、最低ラインの所は、合同で授業をするが、それ以外は各自が好きな授業を選択して、時間割を組み、それぞれの時間割にそって行動するという方式です。 高校生にしては自律心が求められる授業だなぁ、と思いますが、東大進学率が減ったのでやめてしまったそうなのですが、実に面白い試みだったと思います。 ところで、現在の中学校・高校が、大学受験のための学校と化している事を考えると、そういう授業はあっても良いのではないかと思います。 そのほうが、個人の資質が活かせる事になるのではないだろうか、と考えてしまいます。 もちろん、最低ラインの教養と、生活に必要な事はあるべきだろうと思いますが、もともと人間の能力には偏りがあるわけで、早いうちに得意なものが見付かるほうが、プロフェッショナルを育てるという意味では良いように思います。 これとは逆の事例ですが、極端な進学校が、受験のために特化した授業を行い、世界史や日本史などを別の授業で代替して、単位を取った事にする、などの事が行われていますので、ときおり、普通に考えて知っているはずの常識がない高学歴さんがいるわけです。 とてもユニークな案だと思いますが、教えるほうは大変かもしれませんね。しかし人材育成にはとてもいいように思います。
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好きな教科に偏りがありました。 勿論嫌いな教科はテストも嫌で、こんな勉強なければ良いのに・・といっても5教科のうちの社会なので、捨てる事もできません(泣) 大学などへの受験では嫌いな教科を避けられる学校を受ければ良いのですが・・ ・・社会の地理・歴史(全部か?)が嫌いでしたので、今本当に恥ずかしい・・ 今更になって、しっかり勉強しておけばよかった。なんて思います。 そして、クイズ番組などで、社会の問題を正解する人に格好よさを感じたり・・ 必須科目ですら、コレですから、自由選択でしたら、私の中に社会のシャの字もないかもしれません。そう思うとちょっと悲しい. 今以上に後悔しそうです。。 (あ。でも、倫理経済は好きでした^^補足) 誰しも好きなことには前向きに取り組めるけど、嫌な事には積極的に関わろうとはしない=消極的になるんじゃないかな・・テストという足かせがあるから、嫌でも勉強するんじゃないかな・・そんな意志薄弱は私だけかもしれませんが・・ メリット>学生時代だけは嫌いな勉強をしなくて済むので、好きな科目だけやれて嬉しい デメリット>嫌いな教科でも大事な事を教わるのに、そのチャンスを潰す。 後々後悔しても遅いかな。毎年積み上げて学ぶことは、少量づつですみますが、教育課程を飛ばして、急に興味が湧いた時、中高から習う内容から学ばないといけないかな・・と思うので、膨大な時間がかかる。 理想の教育の姿のようであり、勉強のチャンスを潰す残念な構想だと思います。 好き嫌いでなく、<知っておく、考える力を養う>のが、幅広い分野を学ぶ意味だと思うので。。 後々興味が湧いたのですが、自主勉強は・あまりないです。 興味がわいたことだけ、ピンポイントでそれに関する書物を読んだりしますが・・・それで充分なのかな? 後悔と共に投稿します
- snowplus
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いいアイデアだと思います 実は青色LEDの中村修二UCSB教授が同じような事を提唱していて たとえば数学が好きなら全教科数学 大学4年間も全部数学 入学試験なしの代わりに卒業試験を入試並というような 感じで好きなことを徹底して伸ばすスタンスですね 中村さんがノーベル賞でもとって政府の教育改革の座長にでも なればひょっとしたら本当に実現するかもしれません 大学も高校も現状のカリキュラムではもう時代遅れといのは誰もが認めるところです まあ欠点を唯一いうとすれば落ちこぼれた場合レベル差が徹底してついてしまうので精神的ショックは大きいかと思います