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コソボ情勢に詳しい方

気になることなのに、色々調べても出てこないことなので、こちらで質問させていただきます。 えっと、まず (1)今コソボ域内の情勢はどうなっているのでしょうか。 セルビアは政治・軍事的に完全に撤退していて、「国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)」っていう機関の管理下だということですが、これは普通の平和な都市機能が現在備わってると考えて良いのでしょうか。それとも、国境とか危険地域とかを「UNMIK」とかコソボ軍?の兵士が監視・警備しているのでしょうか。 (2)コソボが独立したい一番の理由は何でしょうか。 「自治の確立」といっても、特に明確な意義がないとすると、例えば、利権構造とか(西側絡みの、など)も絡んでいると考えた方がいいのでしょうか。 というのは、単純な民族独立だと考えると、むしろ「アルバニアに入りたい」という考えになると思うのです。現状においてセルビア本国からの民族分離政策などが強く影響するとも思えないので(それに対する不安、などなら考えられますが)。 (3)あと、コソボ域内に住まわせられたセルビア人は、セルビアの中からどのようにして選ばれたのでしょうか。非常に気になります。また現在、コソボ域内でのセルビア人の立場や、置かれている状況、人権面等についてのコソボ現政権・UNMIK(または国連)からの認識は、どうなっているのでしょうか。建前と、実情としての両面で。情報を持っている方、お教え願います。 (4)そういう詳細を説明せずに単に「まあ支持」とだけ言っている官房長官(でしたっけ?)の発言は、あれ国益上問題ないのでしょうか。 例えば、じゃあある時期突然どこかの市町村や県、島などに日本以外の国籍を持った人が大挙して入ってきて国籍取得して過半数を占め、既成事実として数年経過した時に独立運動し始めたとして、それに抗議しようとしたら「コソボはいいのに俺たちはダメなのか」ってことになりませんか。今国民が知ってる情報の限りではそれが可能じゃないでしょうか。

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  • DieMeute
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回答No.2

(1)国連コソボ暫定行政ミッションはコソボの警察、司法、行政、制度構築、経済の分野などを統治する為に設けられました。 選挙が行われ、自治政府ができた後は、じょじょにその権限を移行しています。 既に貿易、教育、警察などの権限が移譲されました。 戦乱で酷い状況だった為、統治機構を作るのは大変だったようです。内務省や法務省が設立されたのは、ほんの2年前です。 治安維持や出入国管理はKFOR(国際安全保障部隊)が担当しています。参加国は36ヶ国で約1万6000人の軍隊です。 また、コソボ警察(7000人)とUNMIK配下の警察隊(3000人)が、警察任務についています。 なお、コソボ自治政府は軍隊は持っていません。 (2)コソボがセルビアの自治州であった時、アルバニア系住民の「自治の確立」はなされておらず、セルビアにより酷い差別にあっていました。 コソボの住民の9割がアルバニア人であったにもかかわらず、司法、行政、立法機関はセルビア人に握られ、公職からも追放されていました。さらに就職等でもセルビア人が優遇され、いい仕事はセルビア人でないと就けませんでした。高等教育でのアルバニア語も使用が禁止されていました。行政機関への届出等は全てセルビア語でないと受け付けてもらえませんでした。 全てにおいてコソボでは少数派のセルビア人が優遇され、アルバニア人がその下に置かれていたのです。 しかも宗教も違います。 さらに経済的不満もありました。コソボは地下資源が豊富な地域で、有望な鉱山などもあります。しかし、旧ユーゴスラビア国構成地域の中でコソボは、経済的に最も貧しい地域です。これはセルビアがコソボの資源をこれまで搾取してきたからだという思いがあります。 つまり、コソボに住むアルバニア人とすれば、独立してセルビア人の支配を脱し、自分達の国ができればセルビア人への優遇はなくなり、アルバニア語も自由に使う事ができ、自分達の住む土地にある資源も自分達のために使え、暮らしも楽になるだろうという思いがあります。 なお、アルバニアとの統一は、コソボ自治政府もアルバニア政府も現在のところ否定しています。 あまり他国を刺激したくないという思いもあるでしょうが、アルバニアとしては、経済的なものもあるでしょう。経済的にうまくいっていないので、コソボと統一したら経済的に共倒れという事にもなりかねませんので。 また、アルバニアのアルバニア人とコソボのアルバニア人では、部族が違います。アルバニアはトクス族で、コソボはゲグ族です。必ずしも、全ての面で同じというわけではなく、風習など違いがあるようです。 ただ、それでもアルバニア人としての連帯感は強いものがあるようですが。 (3)コソボ域内にセルビアが移住させようとしたセルビア人は、ボスニア・ヘルツェゴビナなどの紛争において難民になったセルビア人の人達です。 コソボ内のセルビア人の状況について、UNMIKは憂慮しています。コソボ独立について、コソボ、セルビアと会談が行われた時も、コソボ内のセルビア人について自治権を持たせる事や、セルビアからの経済援助を与える事ができるよう提案したりしています。 KFORがコソボに展開した事で、セルビア人に対する弾圧はかなり沈静化したそうです。しかし、それでもなお、セルビア人の拉致、虐待、殺人などが頻発しているそうです。 紛争で逃げ出したセルビア人がなかなか元いた土地に帰還しないのは、KFORやUNMIKの統治下でも、セルビア人への虐待がやまない事から、これらの機関に対し強い不信感を持っているからだと言われています。 また、逃げ出さず残っているセルビア人にしても、復興作業はアルバニア人の居住地区から行われ、セルビア人は後回しにされているという不満があるようです。 ただ、正義は行われるよう努力されています。コソボ自治政府で首相に就任したハラディナイ氏は、セルビア人への暴行容疑で訴追され、辞任を余儀なくされました。 KFORやUNMIKも努力はしているのでしょうが、その人数には限りがあり全ての面で完璧とはいかないようです。 (4)官房長官の発言はみていないので・・・ ただ「コソボはいいのに・・・」というのは強引ではないでしょうか。 独立を望むコソボのアルバニア人は昨日今日、あの地に住み始めたわけではありません。 もともとコソボの地に住んでいたのは、アルバニア人の先祖と言われるイリュリア人で、それも紀元前の時代と言われています。国もあったそうです。 その後、セルビア人がやってきて国を作り、人口的にはアルバニア人を凌駕したと言われています。しかし、その後、オスマン・トルコ帝国に支配され、その支配を嫌ったセルビア人の多くがコソボの地を去ります。 以後、コソボの地で最も多くの人口を擁したのは、アルバニア人です。 最小に見積もっても現在から300年以上も前から、コソボではアルバニア人が一番多く住んでいたわけです。しかも一番、最初に住んでいたのもイリュリア人というアルバニア人の祖先と言われる人達です。 そうした歴史的事実があるコソボのアルバニア人と、国籍取得して数年で独立というのは、同じレベルでの話しにはならないと思いますが・・・

hyott
質問者

お礼

めちゃめちゃわかりやすかったです!ありがとうございました!! 「アルバニアのアルバニア人とコソボのアルバニア人では、部族が違う」で、私の疑問のほとんどは説明可能です。 ていうか「一般人」って謙遜ですよこれ。 一つ、残ったのは質問の(1)、現在の状況です。 普通に市民生活が送れているのか、日本の都市並みとは言いませんが、まあ特別な状況が発生しない限りは普通に外に買い物に行ったり、街で会話(例えば政府への不満とか、おしゃべりレベルで)できたり、子供が外で遊んだり、できるのか。 その辺りは実際に見てみないと分からないことかも知れませんが、もし何かご存じでしたら、追加でお教え願います。

その他の回答 (2)

  • DieMeute
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回答No.3

NO.2です。 現在では市場も開かれ、商店や露店も営業しているそうです。ホテルも営業し、カフェテラスではお茶を飲みながら市民が談笑している姿が見られるそうです。 路線バスも走っているそうです。 学校も再建され元気に子供達が通っているそうです。 なお日本では、コソボにあるノンダブルカ校という学校と、日本の中学校で交流が持たれ、絵画やメールの交換が行われました。 2005年には、このノンダブルカ校の生徒を日本に招き交流会も持たれています。男子4人、女子4人のコソボの中学生と先生3人が日本に招待されました。 広島三育中学校、北浦三育中学校、広島市立宇品中学校、他数校の生徒と交流を持ったそうです。寮で一緒に生活したり、運動会に参加したり、戦争について語り合ったりしたそうです。 また、この子達は当時、開催されていた愛知万博を見学したり、東京でのシンポジウムに参加するなど、2週間ほど日本に滞在し帰国しています。 コソボの状況があまりに酷かったら、このような招待はできなかったでしょうし、来る事もできなかったでしょう。 コソボでは未だアルバニア人とセルビア人の軋轢があったり、難民問題もあったり、経済的貧困や高い失業率問題があったり、この度の独立宣言で騒がしい状況にあるようですが、それでもある程度の平和は保たれているようです。

noname#66624
noname#66624
回答No.1

>(2)コソボが独立したい一番の理由は何でしょうか 2008年2月17日 『したい』ではなく独立宣言しちゃいましたね

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