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日食の予言方法
世界中には昔からいろいろな暦がありますが、中には日食や月食をわりとよく予言できる暦もあると聞きました。 今でこそコンピュータである程度計算できますが、昔はそんなものはなかったはずです。 それなのに日食などを予言できるというのはどういうことなのでしょうか。 具体的にどのようにして日食などが起こる日時を求めたのか教えてください。
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- outerlimit
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予言ではありません 綿密な観測に基づく、推定計算です 中国には 8千年以上にわたる天文観測の資料が残されているそうです ここ2千年ほどの間に中国の暦が何度か改定されています(長くて数百年、短くて数十年で) この改定の理由は、日食や月食の期日の推定のずれと言われています
お礼
ありがとうございました。
- staratras
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現在では小学生でも少し面倒な計算はすべて電卓やパソコンにお任せというのが一般的ですので、コンピューターなしでどうやって計算していたのか疑問に感じられるのももっともですが、コンピューターや電卓がない時代でも、膨大な量の日食の予報の計算を行った学者はいました。たとえばTheodor von Oppolzer という19世紀のチェコの天文学者は紀元前1208年から紀元2161年までに起こった(起こる)8000回の日食と5200回の月食を計算した「食宝典」を1887年に発表しています。 ところでコンピューターがなかったり高嶺の花だったりした時代のほうが、紙と鉛筆やそろばんなどで何とか工夫して計算する力はあったと思います。例えば私が高校生のころ読んだ天文関係の雑誌や書籍には彗星の見える位置(赤経・赤緯)を軌道要素から手計算で計算する方法が載っていましたが、そのままでは掛け算・割り算が面倒なので、7桁の対数表を用いて掛け算を足し算に、割り算を引き算に変えて行うやり方でした。今ではこのような計算はパソコンの天文ソフトで即座にできて、大変便利でよいのですが、コンピューターを使わない手計算の力は残念ながら落ちていると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 苦労することも必要ですね。
天保暦では黄道と白道の交わる時を観測と計算で導き出していたようです。 これは西洋の最新天文学、ラランデ暦書を必死に和訳した結果でもあります。 貞享の改暦でようやく日本人が始めて改暦を行ったのですが、 どうも、ケプラー並の学者もいたようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%94%B0%E5%89%9B%E7%AB%8B 天文学の勉強。 地道な観測と努力。 地道な勉強と計算。 これらが日食を予言させたのでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 たしかに、簡単に求めたというよりは、必死に地道な作業をして求めたのでしょうね。 我々現代人も昔の人のそういった姿勢を見習う必要がありそうですね。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 不規則に見えて、実は規則的なんですね。 こういうのを見つける昔の人たちはすごいですね。