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取り柄の無い人間は生きていてもいいかと訊かれたら?

「人は何の取り柄が無くても生きていてもよいか?」 とあなたは友人に深刻な顔で相談を受けた。 あなたはなんと答えますか? この時注意したいのは、 「何を言ってるんだ、お前にだっていいところはたくさんあるよ」 という発言。 「何の取り柄も無い人間は生きていてはいけないのか?」 という問いに対して 「お前にもいいところがある、取り柄がある」ということは=取り柄の無い人間の否定ということになると思うのですが・・・

みんなの回答

noname#54215
noname#54215
回答No.5

「んなことないんじゃね?むしろ取り柄がなかったとしたら生きてちゃいけないの?」 もしくは 「取り柄が無い人とかいなくね?」 で終了です。

noname#79626
質問者

お礼

お答えありがとうございました。

noname#168741
noname#168741
回答No.4

構わないでしょう。取り柄がなかろうと世の役に立たなかろうと生きた い人は生きたらいいと思います。取り柄がない事を理由に死ねる人も少 ないと思いますが。 逆に取り柄があるから生きてていいと思う事の方が怖い気がしますね。

noname#79626
質問者

お礼

>取り柄がなかろうと世の役に立たなかろうと生きた い人は生きたらいいと思います 仰る通り、「生きたい人は生きればいい」。 ただこの場合は、「生きていることへの懐疑」に対してどのように対応するかです。 >逆に取り柄があるから生きてていいと思う事の方が怖い気がしますね。 うん。正にその通りですね。 お答えありがとうございました。

  • larme001
  • ベストアンサー率44% (271/608)
回答No.3

友達に相談されたらどう答えるか?ということだと単純には言えないでしょうが、この質問に対して自分の思ったことをのべると 「そもそも人間が生きるという行為自体がその人の何らかの取り柄を発揮する行為だと思うから、生きている以上とりえがないなんてことはあり得ない」ともおもいますね。 どんなに、「じぶんでは取り柄がない」とおもっているひとでも、たとえばその人が自分と会話することで自分(私)に何らかの影響を及ぼしている。それがだれでもいいと思う人がいるかもしれないですが、その人と全く同じような影響を他の誰かが全く同じようにできるかは分からないですよね。その影響の良し悪しは別として少なくともその人がそこに「生きている」という事実は何かしらの変化を与えているのだと思います。 「あの人は取り柄がある」とどのように定義するのかわかりませんが、ようするに「才能や他人にはまねできない何かがある」というような意味だとおもます。そしたら、その人が私あるいは、個の世の中に生きることによって与える影響はその人にしかできないのだと思いますよね。先ほど良し悪しやその程度は関係ないと言いましたが、それは「良いか悪いかというのは絶対的なものではなく、結局主観的な判断でしかない」とも思うからです。そして良いという感情は悪いという感情がなければ存在しないものとすれば、悪い(あくまで主観的にですが)というのもなくなればいいとも思わないものですよね。誰かが失敗したことによって、「自分はこうなりたくない。」とか「こういう困っている人を助けたい」とかりに思うようになれば、それだけでその人たちによって自分が生かされているともいえる気がします。 かなり抽象的ですが、、、僕が思うに「取り柄」なんてしょせん相対的、主観的なものでしかないと思います。たまたま受験勉強ができることがすごいという価値があった、そしてたまたまその人が他人より受験勉強をすることが得意だった、というだけです。こういうとなんか悪いですが、もちろんそういうできることというのは大切だと思いますよ。でも、できること以上にしたいことを持つというのも大切ではないでしょうか?できること=したいことだったら一番いいのですが、、、。そうなったときに野球選手とか芸術家とかまあ、、、ごく一部の「天才」といわれるのでしょうかね? もちろん「取り柄がなくて困っている」という人に「取り柄がない人は生きていない」なんて行ったら誤解されそうですので、、答えになってるかわかりませんが、自信をもって誰にでも主張できるものではないですが。

noname#79626
質問者

お礼

難しいですね・・・ 人間(自己)の生存を他者の判断に委ねた時に、 人はどのようにその存在を裁くのか? 好悪によってか? 才能による影響の大小によるのか? イチローとホームレスの命に軽重は無いにしても、 神がどちらか一人を選べと言った時に人はどう選択しうるか? 質問が言葉足らずでした。 「人が自己の存在意義を見失った時、或いは存在意義を見出しえない時」 つまり自己の内部に生の根拠を失っている時に、 他者はどう行動するか? ご丁寧なお答えありがとうございました。

noname#100767
noname#100767
回答No.2

友人ですよね? まず、取り柄の無い人間なんていないと言うことを 懇々と話して理解してもらいます。 そして、質問の答えとすれば、誰にだって平等に生きる権利があるのだから、取り柄があろうが無かろうが、そんなことは何の関係もない。 また、人が生きていくのに、誰かに生きてもいいのか悪いのかなどと、 聞く必要も、認めてもらう必要もない。 生命あるのもは、どんな動物も植物も全て、生きるために生まれてくるんだ。 と、答えます。 もとろん、友人が納得するまで話します。

noname#79626
質問者

お礼

哲学のカテなので、人生相談のカテならしないような疑問を提示させてくださいね。 >まず、取り柄の無い人間なんていないと言うことを 懇々と話して理解してもらいます。 友人が納得するしないということ以前に、 何故、上記のようなことが云えるのでしょうか? すいません、失礼を重々承知の上で、敢えて言わせてください。 少なくとも、このお答えでは「わたしは」納得できないのですが・・・ とても「綺麗事」に聞こえてなりません。 無礼のお詫びと回答へのお礼を申し上げます。

  • hx6d6b
  • ベストアンサー率14% (4/27)
回答No.1

>あなたはなんと答えますか? 人権で保護されてるし、問題ないでしょ。 「何を言ってるんだ、お前にだっていいところはたくさんあるよ」の発言は、「いいところのない人間などいない」という前提に基づいた意見なので「取り柄の無い人間の(人格・生存の)否定」というより誕生の否定に近いと思います。 けれど「人は何の取り柄が無くても生きていてもよいか?」という客観的な質問に対して、「何を言ってるんだ、お前にだっていいところはたくさんあるよ」は焦点を第二人称に絞っているので失言ですよね(笑)

noname#79626
質問者

お礼

>人権で保護されてるし、問題ないでしょ。 法律論ではなく、存在論の質問のつもりだったんですが・・・ 憲法で保証されている「生存権」を無視してお考え頂きたいのです。 >誕生の否定に近いと思います。 問題は、誕生してしまった以上仕方が無いけれど、これ以上の生の継続の意味の有無ですね。 「お前にも」というのは確かに失敬ですね (苦笑) お答えありがとうございました。