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知識を身につける意味
衒学的というのか、知識をいたずらにつけることっていうのは、意味があるのでしょうか?いわば、知識をつける趣味です。特に、自分の生活上有利になるとか言うことではなく、まったく自分の人生に関係ないカルチャー的な知識、そういうものを蓄積していく意味というのはあるでしょうか? これが昔の貴族社会とか上流階級社会だといみがありました。サロンなどで、機転の利いた会話ができることが、人脈的にも実利的にも有利に働いたということもあったでしょう。ところが今日的に、一庶民が博学であったところで何の得があるのか、さっぱりわからなくなります。むなしさと紙一重なきさえしてしまいますが、どう考えたらいいのでしょうか。
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こんにちは。 身に付けた知識といいますのは見識として用いられ、結果として外に現れ出るものです。ですから、衒学的というのはまだ十分な見識の育たない未熟な状態を指します。この「見識」というものを追求したのがソクラテスですね。 知識といいますのはこれを実践するためだけに身に付けるわけではありません。そのあらゆるものが自己の視野を広げる要素となりまので、それは使わなくても必ず役立ちます。何故ならば、果たしてそれは行動選択の結果として必然的に外に現れ出るものだからです。 「理性行動」とは思考結果に基づいて選択されるもの指します。ですから、知識を身に付けるならばその分だけ「情動行動に対する理性行動の比率」が高くなります。 この理性行動といいますのは未来の結果を予測して選択される計画行動であります。これに対しまして、知識をひけらかすというのは自己顕示欲に基づく「情動行動」に当たります。 このように、知識といいますのはそれを見識として用いない限り我々は「正しい未来の結果」を選択することができません。では、知識といいますのは見識として働き、未来の結果を左右するものです。ならば、人類が知識を身に付けるならば、その結果は必然的に人類の未来に反映します。 「下手な考え休むに似たり」といいまして、人間、視野を広く持たなければどんなに考えても正しい結果を得ることはできません。知識といいますのは幾ら身に付けても決して無駄にはなりませんから、心配はいらないです。
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- nisekant
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著書「ハンディ(ハンデ?)キャップの原理」参照 孔雀の尾=トリビア 一見して無駄に見える尾であるが、無駄を有しても生存競争を勝ち抜く力をもっているというサイン!らしい
- tono-todo
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人と人が係わり合って生きていく中で、様々な知識は必要です。 衒学的と言われますが、そういうものを介して、思わぬ人との深い付き合いが始まる例は多く、あながち拒否するものではないと思います。 ただ、勿論その知識を自慢げに披露する人とは付き合いたいとは思いません。 私の経験ですが、(私はエンジニアです)ヨーロッパの技術者と付き合い、友人になろうとする時、ヨーロッパのキリスト教に関する知識はそれほど重要ではありませんが知っていればbetter、逆に日本の仏教・神道その他日本人の精神的背景に対して見識を披露することは非常に有効・重要でした。
お礼
基礎体力のようなものという考えにかなり共鳴できました。無駄な要素はあまりないでしょうね。
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お礼
ひけらかすとか、社交で有利になるとか、実効性があるとか、それは確かに余計なことなんでしょうね。あるいは使い方を間違えている。正しい判断を下しやすくするために、高々人間の頭脳にいくら詰め込んでも、無駄になるような代物ではないでしょうね。