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「仏形」とはどういう意味でしょうか

飛騨に伝わる「宿儺(すくな)」という異形のものに関しての伝承について書かれたものの中に「宿儺は一種の仏形であったという言い伝えもある」という一文があるのですが、「仏形」とはどういう意味でしょうか。 宿儺は地元の千光寺に「両面宿儺像」というものが伝わっているほど飛騨では知られた存在で、仁徳天皇六十五年に朝廷が派遣した武振熊(たけのふるくま)によって退治されたと「日本書紀」などにも記されている「顔が前後両面にあり手も足も四本」という怪人です。 件の文章は書紀などで触れられている「里に出ての悪さを見かねて退治された」ということに対して「そのような(悪い)ものではなかったと伝える別の伝承もある」という意味であるとは思うのですが。 ご存知の方お教え頂ければ幸いです。 宜しくお願い致します。

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  • alpha123
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回答No.1

仏形=仏像と思って良いでしょう。仏がときとして形あらわしたものというくらいか。 両面宿儺は日本書紀では悪人扱いだが仏教伝えた人でもあり信仰の対象です。英雄で恩人です。 誰か高貴な人の双子の兄弟だった気配もありますね。追放した(遠ざけ隠したが)が都から地方に行けばお付きの人含め地元にとっては知識や技術の伝道者です。大切にされたでしょう。 大和朝廷自体が九州にあった邪馬台国滅ぼして移動し奈良に都定めた気配がある。農耕民族にすれば舟で海渡ることが出来る、馬で遠くに駆けつけることが出来る、それを支える技術者集団いてははあらそうことも不可能な支配階級です。朝鮮半島から北九州や中国地方日本海側に到達し、勢力拡大する過程で共通の神話が共有されたことでしょう。それで安定し武力で平定しても国譲りといえば従わない人との和平交渉はスムーズです(抵抗派は全滅で記録も残らない) 東北に強国があったのは(芭蕉 つわものどもが夢の後)北九州から移住した人たちが金掘り当てた面もある。頼朝義経が争ったのも京と奥州の挟み撃ち避けたい東国武将の政治でしょう。 鈴鹿峠の東は東国で未開の地だが(東夷です(^^))

mapato
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 なるほど、「仏像」と同義と考えて良いのですか。 「仏形」とも言うとははじめて知りました。 ですがそうしますと「宿儺は一種の仏形であったという言い伝えもある」ではなく「宿儺像は一種の仏形であるという言い伝えもある」というような感じにしませんと文章的にややおかしいようにも思います。 しかし書いた方はそう言いたかったのかもしれませんね。 それにしても「双子の兄弟を一体の怪人に見立てたのではないか」というお話は興味深いですね。そのようにも考えられるとは・・。 いつか実際の宿儺像をこの眼で見てみたいものです。 面白いお話どうもありがとうございました。