• ベストアンサー

親族が死を宣告されました・・・・・・・・・

年末年始世間では皆楽しいとか忙しいとか言って騒いでいますが・・・ 私も過去この時期さわいでいましたが・・・ とうとう来ました小さな頃からいつかはって覚悟はできていましたが 信じたくないし創造もしたくありませんでした きっと涙するんだろうな?とかいつも思ってましたがついに別れの宣告が来ました はっきりいって残りわずかな命だそうでいつ亡くなってもおかしくない状態だそうで・・・先生も治療の手段すらない状態だそうです 病名などは個人の特定されたら困るので差し控えますが重病です・・・ みなさんこういった経験ありませんでしたか? こういう時ずっとそばにいてあげて悔いのないように孝行すべきだと思って予定はすべて削除し親族の最後の人生にできる限りかかわりあえたらって思ってます 今はずっとしんどいし胸が苦しいし言葉ではなかなか言えませんが私自身が爆発しそうな現状です もうすぐ仕事も始まるしそれまでに死んでもらっても困るし始まってからでもばたばたしてて困りそうだし とにかく毎日苦しいです たまに友人との会話なんかで発散しますがこんなことしている場合じゃないとふと気づき電話切ってまた病院行く こんな繰り返しです こんな時はいったいどうすれば言い方悪いですが気持ちが楽になるのでしょうか? 親族のことを思うと自分ごときが味わう苦しみ空腹イラダチそれ以上を日々味わっているので自分ももっと苦しむべきでしょうか? 自分にムチうっても親族は回復しません わかっていますが・・・私が倒れても親族はきっと喜びません わかってはいますが・・・ とにかく人生初の境地に今います こんなサイトで質問してる場合じゃないかもしれませんが病院にずっといても気持ちがはりさけそうになるし会話できますが本人にはこのとは言えませんし・・・会話もだんだんできなくなってきたし・・・

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • WAT-2007
  • ベストアンサー率40% (16/40)
回答No.6

自分の話をします。 自分の場合は母親でした。今から10年前、自分が22歳のときで母が53歳でした。 白血病で長くて6ヶ月早くて3ヶ月と宣告されました。 結局9ヶ月で他界しましたが、自分の場合は親族より身内のため父親と弟と3人、正直最期はこっちが倒れるくらいまで苦労しました。 自分の母親のときは最期の会話をしたのは自分でした。それまでほとんど会話も出来ないほど記憶がないのに(もう自分たち3人以外は誰だかも解らない状態)「自分がその日の看病を終えて帰ろうとしたとき「あまり遊び歩くんじゃないよ・・・」これが最期の言葉でした。珍しく母親らしいこと言うなと思いながら「してないだろ?ずっとここに通い詰めているし(笑)」と話をして帰った翌朝6時に電話があり危篤を知らされました。自分は親戚などへの連絡をし父親は通勤中引き返して病院に向かいました。自分が病院に到着したときすでに父親が最期を見届けた後でした。 自分たちにとって不謹慎ですが自分と父親の気持ちは母親も楽になっただろう・・・そして自分たちも・・・という気持ちでした。これが現実でもあるんです。 自分たちにはもう悔いはありませんでした。出来ることを精一杯やったと・・・ hyakunigirさんの気苦労は痛いほど解ります。病気と闘うのはあくまでその人で自分たちはそれにどこまで打ち込めるかの手助けに過ぎない無力さを知りました。時々は自分は主治医の胸倉を掴んだこともありました。でもそうしても病気は治らないんです。 でもhyakunigirさん、あなたが倒れることを誰も望んではいないし、自分の心を傷つけてはいけません。 その人のために自分を守りつつ自分がしてあげられることをしてあげる。これで十分です。 自分を大切にしてください。

その他の回答 (5)

回答No.5

他人事ながら胸が痛いです。落ち着かないのも仕方ないです。限られた時間かもしれませんが、精一杯その方を支えてあげてください。でも体だけは壊さないように。

  • marientry
  • ベストアンサー率28% (47/166)
回答No.4

<親族のことを思うと自分ごときが味わう苦しみ空腹イラダチそれ以上を日々味わっているので自分ももっと苦しむべきでしょうか? 自分にムチうっても親族は回復しません わかっていますが・・・私が倒れても親族はきっと喜びません わかってはいますが・・・ ↑このような思いは、きっとご親族の死が近いことを質問者さんが受容するのが辛くて、自分自身を責めることで、辛さから逃避しているのだと思います。 私自身も、母の担当医から母の死が近いことを宣告された時、よく自分を責めていたのを覚えています。 でも、私は母の残された時間内に、母の為に自分ができることは何なのか・・と言うことを考えた末、兎に角可能な限り母の側にいて、看病しようと決め、実行しました。 しかしながら、まだ1歳にも満たない息子が居た為、思うようには看病できませんでしたが、勿論母も私の状況はわかっていて、私ができる範囲で最大限母を看病してることは、わかってくれていたみたいです。 質問者さんには、ご自身の仕事や生活があるのですから、まずはそれを優先した上で、できる範囲内で親族の方の看病をされればいいのではないでしょうか? もしくは、質問者さんが仕事を辞めてまでも、24時間看病をしたい!と願うのなら、それも有りだと思います。 兎に角、ご自身の後悔が残らないよう、看病されればいいと思います。 結局、宣告を受けた2ヵ月後、母は他界しましたが、やるだけのことはやったと言う気持ちが自分の中にある為、安らかな気持ちで母をあの世に送ることができたと思います。 いろいろ大変ですが、質問者さん自身健康に気をつけて、頑張って下さい。

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8905)
回答No.3

そうそう、順番なんですよね。 その方だけが特別なのではありません。 いずれは自分の番も来るんです。 話しはしなくても気持ちはわかってくれていると思います。 たくさん心で会話して静かに見送ってあげられたらそれで良いのではないでしょうか? それだけ想ってくれている人がいるのですから、その方はとても幸せだと思いますよ。

  • origin3
  • ベストアンサー率45% (19/42)
回答No.2

心中お察しします。 確かに質問してる場合ではないという気持ち(不謹慎だとか)もよぎるでしょうが、まずは初めての体験だからどうしていいのかわからないので動転してるという印象を受けました。 親族ならば親や兄弟あたりの近いところではないのかもしれませんが、どうですか? 私は父を亡くしました。 暮れや正月はなかったです。 父という親でしたし、母も看病で倒れたので仕事を辞め看病に専念しました。 今思うと、後悔しないくらい一緒に過ごせたし話したりできたのでやれることをやったと思うので好きだった仕事を辞めたことも悔いはありません。 その方にどうしたら自分が後悔しないのかを考えてください。悲しむ前にすることがあります。 悲しむだけでは「逝く方」は喜びませんよ。だって、一番辛いのはご本人ですから。 しっかり生きていく覚悟みたいなものを行動で示せるといいですね。安心されると思います。 この一瞬、一瞬が大切です。悔いのないようにお過ごしください。

  • zap35
  • ベストアンサー率44% (1383/3079)
回答No.1

>みなさんこういった経験ありませんでしたか? 生きていれば当然皆経験することです。私も既に両方の祖父母、父母を見送りました。正直言って直接的なアドバイスはありません。いずれ、「そうやって順番に見送っていくものだ」ということが自然に理解できるようになりますが、今のhyakunigirさんに「理解しろ」と言っても無理でしょう。 質問を拝見して感じたのはhyakunigirさんは「純粋に悲しんでいる」ということです。 以下は推測が入りますが、これは裏返すと「危篤なのは親ではない」ということです。自分の親が亡くなる場合悲しんでいるばかりではすみません。親なら亡くなった後の色々な心配があって、純粋に悲しんでいられないのです。(これからの生活のことや葬儀や相続など諸々手続き等) hyakunigirさんよりもその「親族」に近い方が身内にいらっしゃるのではないですか。その方はもっとつらい気持ちだと思いますよ。 hyakunigirさんもお辛いでしょうが、「もっとつらい思いをしている人がいる」ことにも気づいていただきたいです。その方の「負担」を少しでも軽くして差し上げることが今のhyakunigirさんの役割ではないでしょうか。

noname#48689
質問者

お礼

もちろんそのとおりです 補助はできるかぎりしていきます これからはばたばたしそうです 運命かぁ まだ未練たらたらです

関連するQ&A