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親族の死を切欠に色々考えてしまう。
26歳男です。 先日、祖父がなくなりました。 祖父は3ヶ月前に末期がんで余命宣告されており、僕自身ぐずぐずしていたので 元気な状態で会うことは出来ず、数週間前に倒れたということで 病院に駆けつけました。 危篤状態でしたが意識はかすかにあり 「もう思い残すことはないよ、ありがとう」という言葉を掛けてくれました。 医師からは肺炎が原因の発熱で苦しんでいる常態なので 熱が下がれば、自宅療養に切り替える流れになるという説明を受けていましたが 祖父は病院で眠るように亡くなってしまいました。 お葬式で見る祖父の顔。骨になってしまった姿を見てなんともいえない気持ちになりました。 小さいころは祖父の家によく遊びに行ってましたが、年齢を重ねるにつれ 行く回数は減って行く一方で、今になってですが何故もっと顔を見せてあげられなかったんだろうと 正直すごく後悔しています。 僕は数年前にうつ病を患っており、当時は何種類もの薬を服用しておりましたが、2~3年前から状態がよくなり 薬の服用をやめました。 自分ではもう完治したんだと思っていたのですが、ここ一年調子がいい時、悪い時の波が交互に来るように なり、つい最近までは本当に調子が悪かったんです。 正直、消えてなくなりたいとも思う日もありました。 自分は何をやっても駄目で価値のない人間だと毎日思っていました。 その最中、祖父の死をきっかけにいろんな気持ちがこみ上げてきました。 当たり前のことですが、誰しも明日死んでしまう可能性あるわけで そう考えると、まだ自分にはやり残したことがいっぱいあるんだとわかりました。 生きたい、死にたくない。死んではいけないと思いました。 そして誰にも死んで欲しくない、家族や大切な人が死んでしまうのが怖い。想像しただけでいたたまれない気持ちになり、祖父の死の悲しみに合わせて恥ずかしながら一人部屋で泣きじゃくってました。 両親も今は元気ですがいつ死んでしまうなんてわからないので、今出来る限りの親孝行をしよう。 残された祖母になるべく顔を見せてあげよう。人にもっとやさしくしようと思いました。 それと同時に自分の今の状況は本当に恵まれているんだなと感じました。 ここ最近まで自分のことしか見えていなかったですが 結局悩んでいたのは些細なことで、それが原因でずっと身動きとれないでいました。 自分を守るばかりで、後悔する生き方しかしてこなかったことを痛感しました。 いつ死んでもいいように今出来ることを全力でしようと思いました。 26歳にしてこんな当たり前のことを感じるのは、少し幼いかもしれませんが そう感じました。 ただ不安なのが、この気持ちが一時的なものではないかということです。 調子が悪かったここ一年、気持ちが高揚することは何度かあったのですが 一時的なものでした。 もう悩んでいる暇はないし、また過去に薬を飲んでいたような自分に戻りたくありません。 今僕は混乱しているだけですか? 乱文失礼しました。
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- strbegger-po
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拝読させて頂きました。 そして、祖父様のご冥福をお祈りいたします。 ご相談者様は祖父様の死を境にいろんなことを学ばれたんですね。 偉いと思いますよ。(とても感受性と相手を想うお気持ちの強い方だとお見受け致しました。) >>誰しも明日死んでしまう可能性あるわけで そう考えると、まだ自分にはやり残したことがいっぱいあるんだとわかりました。 生きたい、死にたくない。死んではいけないと思いました。 仰るとおりですよ。人と言うのは“生きている”と考え(思い)がちですが、それは大きな間違いで“生かして頂いている”と解釈することだと思われます。(少なくても私はそうした考えですね・・・。) >>結局悩んでいたのは些細なことで、それが原因でずっと身動きとれないでいました。 自分を守るばかりで、後悔する生き方しかしてこなかったことを痛感しました。 こうした心境にまで至った・という事は偉そうな言い方になりますが、凄く思考的に大人(進歩・精神的向上)になられた・という事だとおもいますね。 >>いつ死んでもいいように今出来ることを全力でしようと思いました。 26歳にしてこんな当たり前のことを感じるのは、少し幼いかもしれませんが そう感じました。 いえいえ、そんなことはないですよ。逆に言えば26歳の若さでそうした人(人間)として大切な事に“気づかれた”・“悟られた”と言えないでしょうか・・・。 >>もう悩んでいる暇はないし、また過去に薬を飲んでいたような自分に戻りたくありません。 そうですよね。現にお薬はお止めになられているのですから過去の事は引きずらない様にされた方が宜しいと思いますよ。それに言い過ぎかとは思いますが、精神面での病はご自分が引き起こし・呼び込んで・いる。とも耳にした事があります。 “一時的”なものでは・と心配されるお気持ちは解からなくもないのですが、『完治』した・とご自分に信じ込ませる事が一番だとおもいますよ。 調子がわるいとお思いになられた時は“プラシーボ効果”を(暗示)を施すとしたこてもできますよね。 ただのビタミン剤なのですが、それを飲む事で、『気持ちが軽くなった。』・『改善されてきた。』と訴える患者さんが居られるとした信憑性の高い“データ”が存在します・・・。(気持ちの持ち様・あり方・と いったものに関係性が高いのかとも・・・。) しかし、ご相談者様には必要ない様に思われます。 >>今僕は混乱しているだけですか? 今まで、お話せさせて頂いた通りです。そんな言は間違ってもないですよ。 ちょっとだけ“疑心暗鬼”になられているだけですよ。 最後に一言ですが、今回の祖父様の“死”により、ご自身の中で“メンタリティー”の変化が如実に表れた事と思われます。 或る意味、これは祖父様からの“メッセージ”だったのかも知れないですよね。 ご供養されてくださいね。とても御喜びになられるに違いないですよ。 ・・・今回の事で、一回りも二回りも大きくなられたのではないでしょうかね。 とても悦ばしい事だとおもいますよ。(祖父様に感謝ですね。)
- yueko69
- ベストアンサー率21% (5/23)
抗うつ剤の服用を辞める事はある意味奇跡です。 薬に頼りそこから抜け出せない人が殆どの中、 もう薬を服用したくないと言う勇気に感動しました。 誰も悩まない人なんていない。 自分の事しか考えられないのは普通です。 自分の事が価値ある人間だと思えてる人はいません。 人の事を思うからこそ「自分の事しか考えてない」と気づけたのではないでしょうか? 自分は価値ある人間とおごった事を考えてる方が危ないですよ。 人は無くす事でしか気づけない・・・ 命の大切さ、人の思い、優しさ・・・・ 私の親族は殆ど癌で他界してます。 そして私の祖父母・両親も癌で既に他界してます。 そんな中で私は思います。 肉体は無くとも想い・思い出は私の中で生きている。 大事な人を亡くして「~しとおけば良かった」と後悔して当たり前です。 後悔無く人の死を受け入れることって不可能だと私は思います。 混乱して当たり前。 ただ、そう言う時に誰かに話せる事が自身の心の安定には必要とは思います。 ここで話して他の方の話しや意見を聞く事で心が落ち着きませんでしたか? なのでもう少し人に頼る、甘える生き方が出来る様になれば良いですね。
>今僕は混乱しているだけですか? いえ、うつ病のほうは良好に向かっているんだな・・・と感じました。 悪いときは、他の人のことを気にすることは、あまりできなくなるので。 気持ちが高揚するって、調子が良いってことなんですよね。 ただ、調子の良さに合わせて、知らず知らずつい力が入ったり、頑張り過ぎたり・・・。 こんなことは誰でもです。 別にうつ病でなくても。 私も調子に乗っているうちに、すぐこけたりします。 あまり頑張らないように。 焦らずに、ゆっくりと。
- gokuu999
- ベストアンサー率51% (538/1038)
こんにちは。 お祖父様はあなたに素敵なことを教えて下さったんですね。 命の尊さと、一度きりの人生を精一杯生きること。。。 近い人が亡くなれば、誰だって混乱するし泣きじゃくるし、居たたまれない気持ちになりますよ。 そうでなくても、毎日のように気持ちは変わるし、テンションもやる気も落ちたり上がったり、 お天気のようなものだったりします。 今はやる気と希望に満ちていても、明日は自分がどう感じるか分からない。 明日の自分と今日の自分が同じことを感じるか、全く保障はありませんよね。 だからこそ、「何かを決意し前向きな気持ちになっている今」を噛みしめます。 明日の気持ちを心配してもどうにもならない、明日にならないと分からないんですもの。 だから「今」 そして、いつでも「そういう自分がいた」ことを忘れません。 気持ちが高ぶって感動したこと、 悲しくて泣きじゃくった日、 喜びに満ち溢れた時、 何かを決意した時、 その時の気持ちを薄れても、そう感じた「自分がいた」ということ。 その時の自分は「今の自分」と同じ自分なんだ・・・ と、私は常に思います。
肉親の死というのはいろいろなことを教えてくれますね。 あなたは少しばかり感受性が強いようですが普通のことですよ。 仏式であればこれから四十九日や初盆や一周忌などの法要があると思います。 お仏壇に手を合わせたりお墓参りをしたり法要を執り行うのは、死者のためというより残された者のための儀式です。 故人を偲ぶことで自分の心のよりどころを確認し生きる意味を見いだして行く儀式です。 なので機会ある毎にそうしてお参りをしましょう。 徐々に気持ちは落ち着いて行きます。