- ベストアンサー
こどもの書いた古文を添削してください。
今日、朝起きたまへれば、まことに咳ひどけれ。 やむなく学校休みけり。 そして一日程、寝起きの生活したまふ。 夕方、いと咳ひどくなりぬれば、朝昼夕とまことよき薬、 飲みけむらむ。 その夜、早々と寝たり。 子どもが、古文日記を書きたい言って、今日一日の出来事を綴りました。 どこかおかしいところはないか教えてくれと言われたのですが、 知識不足により、正しい添削が出来ません。 多分、現代文にすると、 今日の朝、起きてみたらば、大変咳がひどくて、やむを得ずに学校を休んだ。 そして、一日ほど寝たり起きたりの生活をした。 昨日夕方、大変咳がひどくなったので、朝昼晩と、とても利く薬を飲んだ。 その夜は、早くに寝た。 という感じなのだと思います。 上記の古文で、おかしいところはありませんか? 詳しい方、添削お願いできないでしょうか。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
いい大人がやることならば、どうかと思いますが、中学生?くらいのお子さんが興味を持ってすることであれば、勉強にはなっても何も悪いことはありません。 いい傾向ではないですか。 応援、ご協力させていただきますよ^^ *今日、朝起きたまへれば、まことに咳ひどけれ。 1.自分の動作に尊敬語「たまふ」を用いるのはおかしいので、平叙文に。 2.「ひどけれ」は、形容詞「ひどし」の已然形ということでしょうが、厳密に言うと、古語に「ひどし」という形容詞はない。 程度が激しいということであれば、「いみじ」とか「いたし」とかが近いでしょう。でも、別に、擬古文として書きたいのだということなら、古語にない語でも使って悪いということはありませんからね。 3.「ひどけれ」が已然形になる理由がない。 已然形で結ぶ場合は、係助詞「こそ」が係っていなければなりません。 ここは終止形に。 →今日、朝、起きたれば、咳ひどし。(擬古文としてならこの程度) *やむなく学校休みけり。 1.「けり」は、間接過去、または伝聞過去といって、自分自身の経験ではないことを一般的に述べる場合に多く用いる助動詞です。 自分自身の経験を語る場合には、多く、「き」という助動詞が用いられます。 →やむなく学校休みき。 *そして一日程、寝起きの生活したまふ。 1.自分の動作に尊敬語「たまふ」を用いるのはおかしいので、平叙文に。 2.厳密に言うと、「そして」という接続詞は、古語にはありません。 「さて」が近いでしょうか。 →さて一日ばかり寝起きの生活す。 (古文としてもう少し体裁を整えたければ、「さて一日ばかり、寝つ起きつ暮らしつ」とかかな) ・夕方、いと咳ひどくなりぬれば、朝昼夕とまことよき薬、飲みけむらむ。 1.「いと」の使い方上手です^^ 2.「なりぬれば」完了の助動詞「ぬ」を適切に使えています。 3.「けむ」は過去推量の助動詞で「~ただろうか」、「らむ」は現在推量の助動詞で「~ているだろう」という意味を表します。 いずれも、この文脈には不適切。 はずして、過去の助動詞「き」、または完了の助動詞「つ」のみ補います。 ・夕方、いと咳ひどくなりぬれば、朝昼夕とまことよき薬、飲みき。 (でも、夕方咳がひどくなったので、「朝」「昼」に薬を飲んだ、と言うのは、理論的に言っておかしいですね・・・) ・その夜、早々と寝たり。 問題なし。 お子さんの素敵な思いつきを潰したくないので、お母様、やんわりとご指摘下さい。 何も全部を直ちに直さなくてもいいではありませんか。 このうちの幾つかだけでも。 自分の経験だけを綴ろうとすると、用いる助動詞や、動詞にもあまり変化がなく、単調で面白くないのですぐ飽きてしまうし、ワンパターンで大した勉強にもなりませんので、自分の身の周りに起こった出来事を客観的に描写する(○○君が××さんに何をした)と、表現に広がりが出て、勉強も進み、面白いので長続きするかもしれません。
その他の回答 (2)
- beubeu
- ベストアンサー率70% (7/10)
素人添削です w ・No.1 さんと同様、「たまふ」が変。 ・「けれ」で已然形止めしておきながら、係り結びの係助詞、たとえば「こそ」が無い(?)。 ・「学校」には「を」を入れた方がよいような。 ・「けむらむ」は意味がよくわかりません。「けむ」は過去推量・過去伝聞に使用しますよね。「らむ」は現在推量・仮定・伝聞・婉曲・反語などに使用しますよね。一緒に使うことはあるのでしょうか。単に完了などの助動詞にすべきではないでしょうか。
お礼
添削ありがとうございました。このように添削できてしまうとは、素晴らしい知識をお持ちで羨ましいです。回答は、大事に保管させていただきたいと思います。
まず、自らの行為に対して「たまふ」などの敬語は用いません。自分に対する敬意を表していることになります。 また、動詞の活用や単語なども現代国語とかなり違います。 よって学者でもなければ、完全に正しい古文など書けません。現代人が古文を書けるようになってもあまり意味がないのです。入試では、読んでだいたいの意味が捉えられればよいのです。 現代人が古文っぽい文章を書いても、雰囲気を出すぐらいがせいぜいではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございました。「よって学者でもなければ、完全に正しい古文など書けません。」本当ですね。ご意見伺い、考えさせられるところがありました。
お礼
くだらない質問に、取り合ってくださって本当にありがとうございました。ここまで、答えてくださることに感激しております。今は、まだ小さいので、「正しく書くとこんな風なんだって。」という言い方で指摘します。もっと大きくなったときに、もう一度日記と一緒にmiirumatsuさんの添削文を渡そうと思います。お陰様で、日記がよりよい思い出の品になりました。