「複数形にするとなぜ普遍性を強調することになるのか?」ですが、
形の上では複数形の「エロヒーム」という言葉でユダヤ人が意図しているものは、あくまで唯一神です。
多神教的な世界のなかで、抽象的な一神教を展開していったユダヤ教ですから、
ユダヤ教の枠内でイスラエルの神としての唯一神の概念を展開させると同時に、
当然ユダヤ教を超えて、その他の多神教に対立する神としての概念も展開していきます。
前回の回答にも書いたように、
ヘブライ語聖書では神は「世界の神」「アブラハムの神」「永遠の神」…などといった様々な呼称で現れますが、
この様々な現れは別々の神ではなく、そのどれもがイスラエルの唯一の神を表しています。
つまり唯一の神の様々な面を表しています。
それらを統一するものとして、複数の「エロヒーム」という形でもって普遍性を強調しているのです。
同時に、「エロヒーム」という複数形でイスラエルの神を表すことで、
外部に向かっては、
イスラエルの神は様々な形態の多神教の神々に対立することを示しています。
哲学カテをのぞきましたが、
「神を複数形にすると一神教の普遍的バージョンになるか」と問題を一般化してしまうと、
ユダヤ的発想の次元からは離れた問題となってしまいます。
ユダヤ的発想を離れて、哲学的、論理学的に考える上では、
哲学カテで挙げられるであろうは回答は大いに得るものがあると思います。
しかし、彼ら(ユダヤ人)が行っているのは論理学や哲学ではなく、あくまでイスラエルの神の教えを守り実践することです。
従って、ユダヤ教の発想を離れた次元でそのような問題を論じることは、
ユダヤ教にとってはあまり意味のないことでもあるのです。
論点とは離れてしまいますが、ヘブライ語聖書は子音だけで書かれています。
そのため母音の付け方によって、複数の読み方、つまり解釈が可能となります。
従って様々な解釈が、例えば今話題となっている神の名が複数存在するといったようなことも、
外部の目からはいかに論理的矛盾のように思えても、
それらの解釈がユダヤの伝統に則って導き出されたものである以上、
そのどれもがユダヤ教では等しく真なのです。
お礼
dddluiddd さん、回答ありがとうございました。 まだ疑問なのは、最後の段落です。複数形にするとなぜ「普遍性を強調」できるの?