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武道家が、他者からケンカを売られたり、侮るような態度を取られたとき等に、怒るのは未熟な証拠?

 以前、「武道家が、他者からケンカを売られたり、侮るような態度を取られたとき等に、怒るのは未熟な証拠」と言った内容の話を耳にしたのですが、それは本当ですか?  本当なのであれば、その理由も教えてください。  よろしくお願いいたします。

みんなの回答

回答No.10

>グッと堪えて立ち去る等、適切な行動を取れるような人間もまた >成熟した人間のように思えるのですが 「成熟」の具体的要件は脇に置きましょう。 心の中での怒りは、自己コントロールできないことは記載済みです。 また、これが発生した場合であっても、相手が違法、不当と言えない軽微なものであるなら、これを表面に出すことなく対応するのは、人間としての成熟であることも記載済みです。 一方で、武道家、いわゆる道の一定水準に達した者は(武道家に限らず)、その身体と心の鍛錬により潜在意識において(意識することなく自然に)、前述の余裕のみならず、自律、自制、さらに公正、公平が働くと言うことだと思います。 人間としての成熟は、他人に迷惑をかけない、公益を優先、争い事を恣意的に助長させない、権利の濫用をしないという、少なくとも顕在意識での制御により外観上のこれらの行為または無作為を欠いては成立しないでしょう。 一方、道の一定水準に達した者は、到達した水準に見合う潜在意識の段階での自己統制を行う者ではないでしょうか。軽微なことでは、怒りを発生させないのは武道家としての成熟とみなせるか不明ですが、怒りを発生させるのは未熟な証拠と成り得ると思われます。 武道家たる者、その身に付けた技が優秀なればなるほど、それを統御する高度な道義心が不可欠であることは言うまでもありません。 そして、この高度な道義心は、心身に染みついたものでなければならず論理思考、顕在意識での理解だけでは不十分なのです。

noname#68007
質問者

お礼

 アドバイス、ありがとうございました。  bananasandさんは、そのようにお考えになられるのですね。

noname#68007
質問者

補足

 皆様、ご協力ありがとうございました。  『武道家が、他者からケンカを売られたり、侮るような態度を取られたとき等に、怒るのは未熟な証拠』が真なのではなく、『怒りを否定的に捉える武道家が、他者からケンカを売られたり、侮るような態度を取られたとき等に、怒るのは未熟な証拠』が真なのかもしれませんね。  また何かありましたら、宜しくお願い致します。  寒さが厳しくなってまいりましたので、お体には十分ご留意ください。  それでは失礼致します。

回答No.9

どうも「怒る」に誤解があったようです。 ご質問者様は、「怒る」を内心の怒り自身を言っているのですね。 私は、「武道家が」が主語なので、師範や指導者など、第三者から見た外観上の「怒る」、つまり、言動、威嚇、態度等の発現と捕らえていました。 感情として沸き起こる怒りは、顕在意識では制御不能なわけですが、武道家として成熟した者であるならば、他者からケンカを売られたり、侮るような態度を取られた程度では怒り自身が発生しないことの反対解釈で、「未熟な証拠」が真ではないでしょうか。 この程度のことならば、状況の的確な判断により、その先に予想される事態を肉体的精神的に回避可能とする余裕が潜在意識にしっかりと刷り込まれていること(この余裕が怒りを発生させない)が成熟の不可欠な要素かと思います。

noname#68007
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。  つまり、成熟している武道家や格闘家は、ホックシールドの感情理論にあるような、心に怒りを感じないパーソナリティをしている、とお考えなのですね。    しかし、bananasandさんのお話を伺う限りでは、ありのままの怒りを心身に感じながらも、その先に予想される事態を回避する為に、グッと堪えて立ち去る等、適切な行動を取れるような人間もまた成熟した人間のように思えるのですが、その辺りは、どのようにお考えでしょうか?   【補足】  これは『成熟した武道家であれば怒り自身が発生しない』とお考えのbananasandさんには無関係な話ですが、今後誤解を招かない為にも、この場を借りて補足させて下さい。  ここでいう『怒り』とは下記の通りです。 ・心に生じる怒り。 ・心に生じた怒りが基となって現れる態度や言動等の内、法的または倫理的な観点から考えて問題無いと思われる範囲のもの。(例えば、理不尽に罵倒された状況における、眉間に寄るシワ等)

回答No.8

失礼をいたしました。ご指摘に従い、表現を改めます。 >「武道家が、他者からケンカを売られたり、侮るような態度を取られたとき等に、怒るのは未熟な証拠」それは本当ですか? 本当です。 理由 怒るのが当然と言える場面は、自分自身や第三者に実質的損害、不利益が発生した場合です。つまり、不当に権利を著しく侵害された場合です。基本的人権の侵害、不法行為、違法行為による被害等がこれに相当します。 ケンカを売られた、侮るような態度だけでは、これにあたりません。 なぜならば、ケンカを売られた、侮るような態度のみでは、実質的損害にならず、これに対応する心理は快不快の域を超えて怒るに達する理由が無いからです。 また、これで怒るのが当然あるいは相当とするならば、売られたケンカは買うも不当ではない、侮るような態度には反撃するも不当とはならないになるからに他なりません。 なお、怒るのは未熟であるか否かと武道家であるか否かについても上記の理由から直接関係はありません。 武道家だから、怒るのは武道家として未熟な証拠、は真ですが、 武道家でなくとも、怒るのは成人として未熟な証拠も真と言えます。

noname#68007
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。  こちらこそ、前回、私が補足欄に記述した文章については、失礼にあたらないかと心配しておりました。  その件で気分を害するようなことがありましたら、この場を借りまして、お詫び申し上げます。  さて、頂いたアドバイスの件ですが、それは、どのような見地からのご意見でしょうか?  心に怒りが生じることを、何が『不当』等と定めているとお考えですか?

noname#68007
質問者

補足

 ご回答を頂ける皆様へ  当質問に関連した質問を、新たに投稿させて頂きました。 『怒らない武道家・格闘家の精神構造』http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3546475.html

回答No.7

>「武道家が、他者からケンカを売られたり、侮るような態度を取られたとき等に、怒るのは未熟な証拠」 売られたケンカを買うは外道、 侮るような態度程度で怒るのもチンピラの類ですよ。 武道家かどうかなど関係ないでしょう。 武道家でなければケンカを買ってもそもそも未熟だからしょうがないとでもお思いか。 空手有段者より。

noname#68007
質問者

お礼

 ありがとうございました。

noname#68007
質問者

補足

 これ以後、ご回答を頂ける皆様へ、杞憂とは存じますが念の為に申し上げます。  当方と致しましては、質問文の通り、「武道家が、他者からケンカを売られたり、侮るような態度を取られたとき等に、怒るのは未熟な証拠」という話の真偽と、その理由を教えて頂きたく存じております。  宜しくお願い致します。

noname#82286
noname#82286
回答No.6

個人的にはNO.1さんの意見はどうかとおもいます。 基本的は媚びてでも逃げるべきでしょう。 格闘家なのですからそれをおっぴろげにして水戸黄門の印籠み たいに制圧するというのはどうかと思います。 よく人を無視する人が威圧的な態度をとりますがあれも同じことかと 思います、「お前はオレの価値観からすると嫌いだオレの価値観に従え!」といわんばかりの人が居ますがあれもおなじ印籠効果です 基本的には格闘家ならばオレは格闘家だ、いざとなれば格闘でやっつければいい 出来る限り逃げようという考え方で行動しなければいけないのではないでしょうか これは他の人でも言えることで一々なめられることを気にして威厳たっぷりに 無視す人がいますがあれはどうかと思います 無視するなら相手を威圧せずに無視すればよいのです。 それが人の道というものです。

noname#68007
質問者

お礼

 TENNTENNSEVENOKさん、アドバイスありがとうございました。

  • ojasve
  • ベストアンサー率20% (96/469)
回答No.5

私はただのおばさんですけど、近所の小学生に、ケンカを売られたり、暴言を浴びせられたって、怒ったりしません。だって、どうせガキですから。元々怒るような相手ではないからです。 武道家-ケンカを売る他者 おばさん-小学生 のような者ではないでしょうか。もともとレベルが違う。 怒るのはあほらしいですよね。

noname#68007
質問者

お礼

 ojasveさん、ご回答ありがとうございました。  レベル=精神的なレベル と解釈させて頂きます。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.4

武道家に限ったことではないと思います。 ただ、武道をする人は精神的な鍛錬も必要です。 つまり炎のような闘志と、氷のような判断力の同居のための訓練です。 もし相手からの挑発を受ける度に激昂するようでは、相手の策略にハマり常勝は望めません。 常勝できないということは、武道家なら死に直結するのと同義です。 それゆえ、安易に挑発に乗り怒ることは、未熟だということなのでしょう。

noname#68007
質問者

お礼

 mojittoさん、ご回答ありがとうございました。  そのように考えて、怒りが生じること自体を否定する流派もあるのですね。

回答No.3

 私は武道は精進してはいませんが。  感情に衝き動かされて、怒れば未熟として自分を誡めるのでしょう。  喧嘩を売られたり、侮辱されたら、それなりにぴたっと制します。  黙過してもいいなら、黙過しますが。  平和のためには自分の心にも戦争をして、激情を制しますが、必要であれば、身を挺して制します。  ロマン・ロランも引用している、≪平和とは戦争のなきことならず≫というのは、どんな精進にも構えですね。  

noname#68007
質問者

お礼

 krya1998さん、アドバイスありがとうございました。

  • compequal
  • ベストアンサー率42% (61/145)
回答No.2

no1の方の回答に補足するような形ですが、 いちおう、もっと基本的なところから申し述べておきますと、  ふつう、 「武道とはケンカのためのものではない。むしろ、自分を磨くためのもの。」  というのが、だいたいの武道が共通して教えていることだと思います。空手しかり、柔道しかり、ボクシングしかり。ボクシングに至ってはプロライセンスを持っている人間が素人を殴ると、法律で、凶器で殴ったのと一緒とみなされますね。  というわけで、ケンカを売られたり、侮られたりしたときに、おもわずムカっとして怒ってしまうというの、落ち着いた心を持っていない、ということになります。

noname#68007
質問者

お礼

 compequalさん、ご回答ありがとうございました。  そのように考えて、怒りが生じること自体を否定する流派もあるのですね。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.1

こんにちは。 状況判断によります。 「怒って威圧すれば相手がびびって逃げる」と考えられる時なら、未熟でもなんでもありません。 ただ、一般的にそういうケースはかなり少ないと思います。 また、この様に自分で判断してわざと怒るのでなく、反射的に激昂してしまうのであれば、自己のコントロールが全くできてない状態であり、未熟であるといえます。

noname#68007
質問者

お礼

 myeyesonlyさん、ご回答ありがとうございました。  そのように考えて、怒りが生じること自体を否定する流派もあるのですね。