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“勉強のテクニック”を学校で教える事はできないのか
私は以前、学習塾で講師のアルバイトをしていました。その時に強く感じた事は子供たちの多くが家庭学習に於いて効率のいい勉強法をとっていないし誰もそれを教えていないという事です。年齢に合わせた効率的な学習方法を国家単位で研究しそれを教育の現場で子供たちに教授すれば、授業時間を減らしつつ学習量を維持するというような芸当も或いは可能なのではないかと夢想してしまうのですがそういう事は実行できないのでしょうか?
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私が子供の頃,運動するときに水を飲んではいけないと教えられ,足腰を鍛えるためにうさぎ跳びをさせられました。今はそんなことはありませんね。 水分補給がなぜ必要なのか,今ではよく知られています。 同じように,学習方法に問題があればそれは改められます。寺子屋の時代には四書五経などをわからぬまま暗誦していましたが,ブラジルの物理の授業がそれと同じであったことがファインマン氏のエッセイに書かれています。一字一句間違えずに記憶しても,その言葉が何を意味しているのかわからない物理学生を大量生産していました。 中学校までの理科の教科書では実験が増えてきました。仮説-実験-検証を重んじているためです。暗記ではなく,科学的な思考力を身につけさせるための授業は「仮説実験授業」として40年以上前に提唱されました。 「効率的な学習方法」とは,小手先の受験テクニックだけではなく,思考力をつけ応用の効く人間を育てるための学習方法も含まれていると考えています。仮説実験授業の提唱者の板倉氏は国立教育研究所(当時)に所属していましたので,「国家単位で研究し」ているともいえるのではないでしょうか。 (以下は回答ではありませんが)ただし時々の政府によって振り回されると,国家単位の研究もどこに向かうか判ったものではありません。教育基本法の「不当な支配に服することなく」とは,戦前の反省から国家による支配からの自由も含んでいたと思うのですが,新法では時々の政府が作る法律によって右往左往する骨抜きの「基本法」になってしまったのが悔やまれます。
>「効率がよい」=「要領がよい」であって猿真似以上の事はできません。 効率良く物事を遂行できることは創造性の助けにはならずとも邪魔にはならにと認識しています。上記の主張の理由をご説明頂けると幸いです。←あなたの回答で間違いはありません。そして補足説明を求めていますがあなた自身が既に答えを出しています。それは<創造性の助けにはならず>です。今既に求められているのは「創造性」です。これがないから「猿真似以上の事はできない」になり、中国、韓国に技術が追いつかれています。つまり今の時代は「創造性」がないと日本国が近い将来に失墜すると予想します。まだ意味不明?先ほどと同じでどういう論理展開なら納得いくのか補足願います。 >しかし私の価値観とは180度違うからそのような回答になった 出世を人生のゴールとする考え方と質問者様の考え方は180度違っておられるようですが、最初のご回答では“社会で役に立つ”事を大きな基準として話しておられました。 つまり実社会で通用する力を身につける事(要領の良さは実社会で通用する力では無いのですか)は是で、出世をする事は非という事でしょうか?←最後に書きましたよね。強要はしないと、なぜなら個々人考え方が違うし、私の価値観だからと・・・。 それと先刻の“勉強を通して身につける考え方こそが社会で有用である=効率よく知識を吸収する方法は役に立たないという理屈が良く理解できないのですがもう少し説明して頂けますか?”という質問には答えていただけないのでしょうか?←重複しますが、「忘れるから・・・」の一言です。再度ご自分の経験と照らし合わせる事を希望します。わたしの経験値で言えば塾(予備校)へ通いましたよ。そしてテクニークなるものを教えてもらった気がします。敢えて「気がします」と書いたのは何一つ覚えていないからです。そんなものですよ、あなたはテクニークにこだわりがあるようですが、自己満足でしかありません。その事は肝に銘じた方がよいかもしれません。 言葉に敏感なようですのであえて指摘します。解答者ではなく回答者です。別に課題を解いているわけではありませんので。
お礼
>つまり今の時代は「創造性」がないと日本国が近い将来に失墜すると予想 >します。 <創造性の助けにはならず>と同時に私は創造性の阻害にもならないと申し上げました。要するに効率が良いことと猿真似しか出来ない事には直接の大きな関係は無いと言う事です。猿真似しかできないという問題は創造性を育む教育で解決すべきであり、“創造性を育むためには効率を犠牲にしなければならない”というような状況が生まれない限りは別の問題です。 >>つまり実社会で通用する力を身につける事(要領の良さは実社会で通用する力 >>では無いのですか)は是で、出世をする事は非という事でしょうか? >最後に書きましたよね。強要はしないと 私は強要については何もお話していません。上記の様な価値観をお持ちなのかと、加えて言うなら個人の栄達は非でも日本国の失墜は憂えておられるのかとお尋ねしたいのです。 >>勉強を通して身につける考え方こそが社会で有用である=効率よく知識 >>を吸収する方法は役に立たないという理屈が良く理解できないので >重複しますが、「忘れるから・・・」の一言です。 答えになっていません、私はなぜ上記の部分か等号で繋がるのかお聞きしたのであり“効率よく知識を吸収する方法は役に立たない”理由をこの質問では聞いていません。
>あなたの目的は? 効率的な勉強の方法を公立学校で提供することは(その是非では無く)可能かどうかに関する意見を募る事です。←「勉強」という言葉は「強いて勉める」つまり本来であれば一般的に誰しもがしたくない事を強制的にさせる事です。だから「効率的な勉強」という言葉に矛盾を感じます。 >効率の定義は何ですか? 国語辞書を調べてください、効率という単語は各議論でいちいち定義づけをしなければならない程意味の不確かなものではないと認識しています。←辞書程度の定義でよいのですね。大抵は自分なりの定義付けをするので敢えて質問しましたが、正直残念です。理解しました。 >効率がよい事があなたの価値観ですか? 日本語として意味をなしていませんが“万事につけ物事を効率良く遂行する事を優先するのがあなたの価値観ですか?”という質問であると仮定してお答えします、Noです。しかしそれは効率性を無視していい事のエクスキューズになりません。←意味不明ですいません。字数制限があるのでかなり省略しすぎました。さて、<それは効率性を無視していい・・・>辞書程度の「効率」があなたの定義であれば必要ありません。塾講師ならわかるでしょう?「効率よく身に付けた知恵・知識」はいずれ忘れます。苦労すればするほど覚えているものです。自分の経験と照らし合わせて下さい。 >寺子屋?の方が正確ではないかな・・・・・ 正確ではないです、国語辞書を調べてください。また解答者様の認識は世間一般の常識からも乖離しているものと考えます。←また辞書レベルですか・・・。あなたのような塾は「寺子屋」という言葉がピッタリです。誰に話しても通用すると思いますよ。「寺子屋的な塾」とね。あくまでも第2者、第3者への簡潔な説明には使える言葉です。あなたの言う辞書的な意味とは乖離しますがね。あと「世間一般の常識」と言うのは今後使用を控えた方がよいでしょう。歴史を学習すればわかります。これが私のあなたに対する宿題です。 >私はそもそもこの質問自身がNOだったから反対と答えた。まだ飛躍してますか? 飛躍しています、というか私が指摘した >塾講師は子供を有名校に進学させるために存在するから質問に反対であるという部分の補足にそもそもなっていません。←話がややこしくなりました。この程度で問答を繰返すのもあなたの言う「効率的?」ではないのでどういう論理展開なら納得するのか手法をご教授下さい。おそらく平行線状態が続くと思われるので。 以下の内容は2回目の回答にします。随分と長く書きましたからね。
お礼
度々のご回答(解答ではありませんね、承知しました)ありがとうございます。 >「勉強」という言葉は「強いて勉める」つまり本来であれば一般的に >誰しもがしたくない事を強制的にさせる事です。 その種の揚げ足とりに付き合う気になれませんので >大抵は自分なりの定義付けをするので敢えて質問しましたが どこの大抵なのか理解しかねますが… 言葉というのは本来ある事象や概念を指し示す共通の発音や文字列であり、いちいち各単語の定義づけをしていてはそもそも話し合いが始まりません。学術用語などが各議論で定義づけされるのは仕方ありませんが。 >「効率よく身に付けた知恵・知識」はいずれ忘れます。苦労すればする >ほど覚えているものです。 苦労が知識の定着を助ける例は多々存在しますが大した助けにならない事もありますし、一つの知識に時間を割きすぎたせいで他の必要な知識の吸収に回す時間がなくなってしまう事もあります。また知識が定着するのを助けるのも効率ではありませんか?(覚えたそばから知識が流れ出ていくのは定期テスト対策などの限定的な状況を除いては効率的とは言えません) >あなたのような塾は「寺子屋」という言葉がピッタリです 私は人間であり塾ではありません(しかしこういう使い方をすると寺子屋という言葉はなんとなく侮蔑的な響きがありますね)。またそれは回等者様の個人的な見解であり、正確でも一般的でもありません。“私の息子は寺子屋的な塾に通っています”というような言葉が使われると思いますか? >寺子屋?の方が正確ではないかな・・・・・ >第2者、第3者への簡潔な説明には使える言葉です。 正確かどうかを話していたのではありませんでしたか?勝手に状況を限定しないで下さい。 >あと「世間一般の常識」と言うのは今後使用を控えた方がよいでしょう。 “大抵は自分なりの定義付けをするので”と言うのは今後使用を控えた方がよいでしょう。歴史を学習しなくても解ります。宿題に出すまでもないですね。 >どういう論理展開なら納得するのか手法をご教授下さい。 この部分に関して言うのであれば回答者様はそもそも論理を展開していません(私の指摘に大して全く答えになっていない主張をしただけ)。まともに筋道を立ててお話していただければ納得できると思います。
補足です。最初に書きますが、けんかを売っている訳ではないのであしからず。それでは本題です。 「私は社会に出てからの役に立てる為に勉強のテクニックをどうこういっているのではありません(ただし物事を効率良く処理する能力の訓練としてはある程度の評価をしています)。」→あなたの目的は? またどうしても理解できないのは「効率の良い・・・」の効率の定義は何ですか?とてもひっかかります。効率がよい事があなたの価値観ですか?だから効率の定義が知りたい。私の価値観では相対的なものでしかないと思うけど・・・。 まず有名中学に子どもを入学させる事が世間体の為であるというステレオティピカルなご意見ですが、確かにそういう親は多数存在しますが必ずしもその限りではありません。←何で?私が親なら塾へ行かせません。無駄な投資になるから。 また少なくとも私が働いていた学習塾では有名校への進学のみを目的とはしていませんでした(成績の低い子どもをなんとか近くの高校に入れたり、授業から落伍しないように復習するといった事も行っていました)。←あなたの発言からでは塾講師という大くくりになるけど寺子屋?の方が正確ではないかな・・・・・(そもそも質問は反対するものではありません)←指摘の通りです、じゃあ何で質問したの?その塾講師の目的が、反対に繋がるというのは・・・。深読みしすぎました。質問するからには答えを求めているわけで、あなたの質問タイトル「勉強のテクニック”を学校で教える事はできないのか←できるorできない←私はそもそもこの質問自身がNOだったから反対と答えた。まだ飛躍してますか? 勉強を通して身につける考え方こそが社会で有用である=効率よく知識を吸収する方法は役に立たないという理屈が良く理解できないのですがもう少し説明して頂けますか?←話は戻りますがあなたの「効率」の定義がわからないので答えようがありません。憶測で答えると私の価値観ですが、「効率がよい」=「要領がよい」であって猿真似以上の事はできません。確かに社会に出ればそういう人間の出世が早いし、個々人によりますが、出世=人生のゴールであればそれでもよいでしょう。しかし私の価値観とは180度違うからそのような回答になった。あとは各論だから省略します。私の価値観を押し付ける事もないです。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 >あなたの目的は? 効率的な勉強の方法を公立学校で提供することは(その是非では無く)可能かどうかに関する意見を募る事です。 >効率の定義は何ですか? 国語辞書を調べてください、効率という単語は各議論でいちいち定義づけをしなければならない程意味の不確かなものではないと認識しています。 >効率がよい事があなたの価値観ですか? 日本語として意味をなしていませんが“万事につけ物事を効率良く遂行する事を優先するのがあなたの価値観ですか?”という質問であると仮定してお答えします、Noです。しかしそれは効率性を無視していい事のエクスキューズになりません。 >何で?私が親なら塾へ行かせません。無駄な投資になるから。 公立学校の教育ではまともな日本文を作成する事も出来ずロクに理論武装する事もできない人間が育つ可能性があると考える親もいるのかもしれません。 >寺子屋?の方が正確ではないかな・・・・・ 正確ではないです、国語辞書を調べてください。また解答者様の認識は世間一般の常識からも乖離しているものと考えます。 >私はそもそもこの質問自身がNOだったから反対と答えた。まだ飛躍してますか? 飛躍しています、というか私が指摘した >塾講師は子供を有名校に進学させるために存在するから質問に反対である という部分の補足にそもそもなっていません。 >「効率がよい」=「要領がよい」であって猿真似以上の事はできません。 効率良く物事を遂行できることは創造性の助けにはならずとも邪魔にはならにと認識しています。上記の主張の理由をご説明頂けると幸いです。 >しかし私の価値観とは180度違うからそのような回答になった 出世を人生のゴールとする考え方と質問者様の考え方は180度違っておられるようですが、最初のご回答では“社会で役に立つ”事を大きな基準として話しておられました。 つまり実社会で通用する力を身につける事(要領の良さは実社会で通用する力では無いのですか)は是で、出世をする事は非という事でしょうか? それと先刻の“勉強を通して身につける考え方こそが社会で有用である=効率よく知識を吸収する方法は役に立たないという理屈が良く理解できないのですがもう少し説明して頂けますか?”という質問には答えていただけないのでしょうか?
補足
創造性の助けにはならずとも邪魔にはならにと認識しています ↓ 創造性の助けにはならずとも邪魔にはならないと認識しています 出世を人生のゴールとする考え方と質問者様の考え方は180度 ↓ 出世を人生のゴールとする考え方と解答者様の考え方は180度 です、失礼しました。
<勉強のテクニック”を学校で教える事はできないのか>は塾講師の発想です。塾講師は「有名大学?、有名高校や有名中学(世間体上)」に入学させるための手段であってかつ唯一の存在目的なのです。だから私はあなたのご質問には反対です。社会に出ればわかりますが、学校で学ぶ(塾で学ぶ?)はほとんど役に立ちません。じゃあ、何故勉強するのか?それは「考え方」ではないかと私は思います。国語で様々な語彙・熟語や文章読解をします。これは知識を豊かにし他人への意思表示を豊かにする事につながります。また数学は問題を解くための論理的思考能力を養います。昨今は「理論武装」と言って第2者、第3者を納得させるためのシナリオ作りに役立ちます。英語はご承知の通りこれだけ国際化が進むと限りなく必須です。このような視点に立つと「テクニック」なんかそれこそ役に立ちません。 社会人からのタワゴトでした。
お礼
ご回答ありがとうございます。 誤解があるようですが私は社会に出てからの役に立てる為に勉強のテクニックをどうこういっているのではありません(ただし物事を効率良く処理する能力の訓練としてはある程度の評価をしています)。効率の良い勉強方法のノウハウが公立学校で充分に提供されていないために子供たちが時間を浪費したり、個人の能力や親の用意する環境が子どもの進学先に過剰な決定力を持ってしまう事が問題だと考えているのです。 >塾講師は「有名大学?、有名高校や有名中学(世間体上)」に入学させる >ための手段であってかつ唯一の存在目的なのです。 >だから私はあなたのご質問には反対です。 まず有名中学に子どもを入学させる事が世間体の為であるというステレオティピカルなご意見ですが、確かにそういう親は多数存在しますが必ずしもその限りではありません。 また少なくとも私が働いていた学習塾では有名校への進学のみを目的とはしていませんでした(成績の低い子どもをなんとか近くの高校に入れたり、授業から落伍しないように復習するといった事も行っていました)。 塾講師は子供を有名校に進学させるために存在するから質問に反対であるとのご意見ですが(そもそも質問は反対するものではありません)、その塾講師の目的が即、反対に繋がるというのは論理が飛躍しています、補足をお願いします。 >国語で様々な語彙・熟語や文章読解をします。(中略)このような視点 >に立つと「テクニック」なんかそれこそ役に立ちません。 勉強を通して身につける考え方こそが社会で有用である=効率よく知識を吸収する方法は役に立たないという理屈が良く理解できないのですがもう少し説明して頂けますか? 国語では漢字、数学では数式、英語では単語・熟語(そもそも日本の公立教育が件の考え方を育むのに適しているとは思えないし、英語の教授法は恐ろしく非実践的なのですが)など膨大な暗記を求められる部分がありますが、この分野の学習を短時間で済ませ、質問者様の仰られるところの考え方の習得・訓練により多くの時間を充てる事は有意義だと思います。
特に、公立高校では、成績上位の子をより引き上げるよりも成績下位の子の成績をこれ以上下げないようにすることが優先されます。 そして、良く分からないですが、成績だけが重要ではないとか言い出します。 私も、現状の学校教育の価値はただ一つ、試験を突破する(課題を解決する)要領を磨くことであると思います。 学習内容は、ほぼ役に立ちません。 ですから、質問者様の考えは最もであると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >特に、公立高校では、成績上位の子をより引き上げるよりも成績下位の >子の成績をこれ以上下げないようにすることが優先されます。 私もどちらかというとこの考え方を支持します、ただしそれが上位の子どもの足を引っ張るエクスキューズにしては行けないとも思います。 >良く分からないですが、成績だけが重要ではないとか言い出します。 これも賛成です、但し成績“も”重要だと思います。
国立大附属校や私立校では行われているはずです。 確かに、公立校では行われていませんが、その理由は、もしそうすると、私立校や国立大付属校が不要になってしまうから、でしょう。同じ教育内容なら、わざわざ高い金を払って私立にやる必要もないし、塾に高い金を払って猛勉強させて国立大附属校に入学させるのも意味が無くなってしまいますから。水や安全と同じく、教育も金で買う時代なのだと思います。 ある公立小の教師が、面積の公式の説明で実にいい加減な指導をしているのを見て、ある人が「何故きちんと基礎から順序立てて説明してあげないのか?時間的に大した差はないはずだが?」と質問したのに対し、その教師は大いばりで「基礎から説明したら、塾に行っている子が退屈してしまう。分からない奴は塾に行けばいいんだ。」と返答し、絶句してしまったそうです。これが公立校の教師の偽らざる姿勢でしょう。 某旧帝大系医学部生が、大学受験数学について「理系数学でも600パターンの解法に集約でき、これだけ勉強すれば、どんな大学のどんな学部の数学入試問題も簡単に説ける」と説明してくれ、非常に感心したことがあります(某超大手予備校のテクニックだそうですが)。質問者のおっしゃる通り、解法テクニックをふくむ勉強テクニックを子供達が知ると、今の平均学力は飛躍的にアップするでしょうね。 でも、「金持ちの子は永久に金持ちに、貧乏人の子は永久に貧乏人でいてほしい」と国は考えているんでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます、国単位で階層固定化の陰謀があるとは到底思えませんが酷い教師もいるものですね。
- TTOS
- ベストアンサー率40% (209/510)
さまざまな工夫がされていると思いますよ。 たとえば算数において「水道方式」とか「100マス計算」とか。 また,授業の進め方にしても指導案を作る実習は教科教育法の授業などでもおこなわれるでしょう。学習効率の高い「導入・展開・まとめ」の流れについては誰でも工夫しようとしている(したことがある)と思います。 「教育技術法則化運動」では,さまざまな実践経験を交流して,よりよい教育ができるように切磋琢磨しています。 質問者さんの経験をそのような場に反映させることが,教育の発展につながると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます、質問の趣旨とは少々ずれますが100マス計算というのは知りませんでした。
- kawakawakawa13
- ベストアンサー率25% (514/2010)
>流石に“違法な介入”とは言ってこないでしょうw、違法とは思えないですし 日教組にとっては、自分達の意に沿わないことは、すべて「違法」という認識なのです。 >後者の教師が残念ながら大多数なのです。 正直申し上げて私にはどちらが多いのかはっきりと断言できません。解答者様がそうお考えになる根拠などを教えていただけると幸いです。 人間は、楽なほう、楽なほうへと流されていくものです。 実際問題として、学校に関する報道を見ると、やる気のない、自己保身に走る教師のなんと多いことか。 私自身、優等生ではなかったし、不良とまでいかなくとも、マンガ本を読んだり、平気で逆らっていた一人です。 学校の中で、真剣に考え、叱ってくれる教師は極少数でした。 今大人になって、周りの友人知人、中には教師もいますが、聞こえてくるのはやる気のない教師・学校に子供を通わせざるを得ない怒り、不満、悲しみです。 教師すら、やる気を失っていくくらいです。 それが現実なのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- sotom
- ベストアンサー率15% (698/4465)
学校の勉強は出来ないよりは出来たほうがいい程度。 要領がいい子もいれば、そうでない子もいる。 しかし、それは学校という閉鎖社会においてのみ。 知識を生かすのは知恵でしょう。そこまで考える必要は無いかと思います。 ・目的の明確化 ・集団における生活 ・向上心・学習意欲 このあたりが見出せたら、あとは勉強したいことをさせれば いいのではないでしょうか。何でも一本化させることのほうが怖い。 昔の文部省は、川は「さらさら」流れると表現しなくてはいけない等と 馬鹿げた事を言っています。「ぴるぴる」とかはダメだそうです。 受動的過ぎると、自分で何も考えられない人間になります。 30人いたら30個の方法があります。そんなもんちゃいますか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 >要領がいい子もいれば、そうでない子もいる。 >しかし、それは学校という閉鎖社会においてのみ。 要領のよさ、すなわち物事を効率良く処理する能力というのは社会に出てからも大切なものではないでしょうか?(勉強での要領の良さが生きる分野ばかりでもないのですが) 実社会にでてから必ずしも必要とされない知識を高校まで9年間、大学までなら13年間もの期間を費やして学ぶ理由の一つはこの要領の良さの訓練なのではないかと私は思います。 >何でも一本化させることのほうが怖い。 他の解答者様へのお礼でも申し上げているのですが、なにも一本化するのではなく子供の適性にあったいくつかの類型を研究したり、個別のテクニックを提供する事だけでもできないのかと考えています。 >30人いたら30個の方法があります。 少なくとも私の体験した範囲から申し上げるのであればその30個の方法は子供の自発性に任せていれば勝手に育つという類の物ではありません。事実、“自分に最も合っている勉強法”などというものを確立している人間は大人でも決して多くはありません。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 >小手先の受験テクニックだけではなく,思考力をつけ応用の効く人間を >育てるための学習方法も含まれていると考えています。 “小手先の受験テクニック”の事をこの質問の趣旨にしています。思考力や応用力の大切さは仰る通りなのですが、そのテクニックを充分に持たないが故に多大な勉強時間を子供が浪費していたりテクニックを持てるものと持たざるものの差が大きく開いてしまっているように思ったからです。