- ベストアンサー
(元 稹作)「菊花」について(稹は偏は禾、旁は眞)
一例として、http://freehost25.websamba.com/yxh58/s7.htm によると唐の元稹の作として(稹は偏は禾、旁は眞) 秋叢繞舍似陶家 遍繞籬邊日漸斜 不是花中偏愛菊 此花開盡更無花・・・(1)が見えます。 一方、http://books.sina.com.tw/rongshubook/swordsmen/2007-07-30/18497069.shtml http://www.tcssh.tc.edu.tw/lib/studgrp/class/class_apery/class_8.htm などに見られる如く結句が 此花開後更無花・・・(2)になっているものも混在しています。 中国語のサイトでは(1)が多数派、日本語のサイトでは(1)は絶無のようです。 和漢朗詠集によれば日本に伝わったのは(2)の方ですが、日本でも古くから(1)が正しいとする説はあったということです。 さて、質問です。 1 原詩では「盡」であるか「後」であるか、今日でも不明なのだと推察します。口伝ならともかく文字によって伝わっているのでしょうに原詩がどちらであるか判らないとは意外です。中国語のサイトでは、この詩は大量にヒットしますが「盡」を採っているサイトは何を出典とし、「後」を採っているサイトは何を出典としているのでしょうか。当方は中国語が読めないのでお願いします。 2 「元氏長慶集」という書物があると思います。この書物では「此花開後更無花」になっているのだと推測します。この推理は誤っていますか。 3 「盡」と「後」では作品の完成度に、どんな変化が生じますか。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (2)
- early_bird
- ベストアンサー率37% (3/8)
回答No.3
- izayoi2004
- ベストアンサー率14% (22/155)
回答No.1
お礼
1 について 原本が失われているのが原因で、二説存在することが分かりました。 2 についても事情に納得できました。 3 菅家文草(卷第五 詩五)は岩波版でも確認しておきました。 転句で偏に菊を愛するに非ずといっていることから、作者は菊の他にも花一般を愛でていると推し量れます。となると結句は「後」を採って >>「菊の花が咲いたら、もう他の花は目には入らない」 とするよりは「盡」を採って >>「菊の花が咲き尽くしてしまうと、もうしばらく花は見られない」 とした方が論理として整合する気がします。即ち「盡」を支持します。が、詩心はないので主張はできません。 有り難うございました。14日(日)までは締め切らないでおきます。またの機会にもよろしくお願いします。