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うつ病になると体の存在がはっきりしなくなるか

できればご体験からの回答をうかがえればと思うのですが、鬱病になる方は普段からあまりご自分の身体のことを意識なさらない傾向にあるのではないかと想像いたしました。よろしくお願い申し上げます。

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  • iye
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回答No.9

正常であろうとする生体こそが異常なのだ、と言っていた人がいたと思います。 ひとは命を犠牲にしてまで、何かを得ようとする欲望とういか、よく言えば潔さを持つ存在なのかもしれない、と思います。どこかで、郷愁の念を抱きながら。 正気であることは、ときに、難しいことに思います。

noname#194289
質問者

お礼

ご教示を重ねていただいてありがとうございました。私なりに勉強を続けてみたいと思います。

その他の回答 (8)

  • iye
  • ベストアンサー率41% (23/55)
回答No.8

お返事ありがとうございます。 なんだか、私には難しくなってきたので、自分なりに少し整理すると・・・ 生物学的に、「うつ病・うつ状態」になりやすい「傾向」というか「素質」みたいなものが、まず、あるように思います。この「素質」をもとに、生体の中で全ての活動が抑制される方向にむかう何らかの変化が起こって、「病」としか言いようのないものになることがある。つまり、活動性を司る生体のある部分が、「一次的」に脆弱性をもっていたり、障害されていることがある。これは、例えばステロイドなどの薬物誘発性のうつ状態などを考えると、そういうこともありうるのかな、という気にさせられます。あとは、この素質と、誘因となりうる負荷の問題と言えるかもしれません。味気ない話ですが、こういう側面もあるでしょう。 うまく理解できなくて申し訳ありませんが、これまでのやり取りの中で何となく感じたのは、これは病気としての「うつ」だけの問題でなく、ひとが生きていく上で直面する課題なのかもしれない、ということです。 体に養ってもらっている使用人でありながら、主人であると「錯覚」する、または、使用人であることを「否認」する。すると、無理も矛盾も生まれてくる、ということでしょうか。 心は体から離れては生きていけない。体の存在を意識するとは、すなわち「生」を意識することになると考えます。そうすると、「精神が体から独立して存在すること」というのは、精神と体が主従関係ではなく、有機的な繋がりを持つこと、あるいは、共存を自覚または受容することで、独立した立場を得るということでしょうか。 逆に質問になってしまって恐れ入りますが、もしよろしければ御教示頂けると幸いに存じます。

noname#194289
質問者

補足

精神活動が体に依存していることは当然ですが精神活動も神経系という体の一部から発現するものです。神経系も呼吸系や循環系と同じようにもともとは体を適切に維持する為に働いていたものでした。昆虫などを見るとよく分かります。人間は大脳が(異常に)発達して体の要請とは別に(体から独立して)精神活動という別個の存在になったと考えられます。独立と言っても体から離れられないことは当然です。また人間(の精神活動)は体が消滅すれば自分も消滅しなければならないことを知ってしまいました。楽園追放の神話は人間(の精神活動)が体という楽園から追放されたという意味だと思います。しかし人間は自分の意志で体という故郷から新たな可能性を求めて旅に出たとも考えられます。欝は旅を重ねているうちに困難に遭遇して故郷に帰りたくなったにもかかわらず自分の故郷に帰ればいずれそこで死ななければならないので帰りたくないと考えている旅人の心情というのは無理でしょうか。

  • iye
  • ベストアンサー率41% (23/55)
回答No.7

単なる言葉の問題かもしれませんが、「過度の独立心」というより、精神の自由への憧れなのかもしれない、と思うことがあります。 霞を食べて生きていたらいい、みたいな。 勝手な私見で申し訳ありません。

noname#194289
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。霞の食べ方を間違えると体を養う為に働くことを重荷に感じるようになったりするかもしれません。

noname#194289
質問者

補足

おっしゃるとおりだと思います。ただ憧れと言うと無害な感じもしますが憧れた結果自分を支えている体のことを忘れると同時に自分の存在理由も一緒に忘れてしまうのではないかと思いました。確かに人間は我を忘れること(体のことを忘れること)がなければとても正常ではいられないと思います。つまり我に返って(体あっての私と思って)ばかりいたらとてもつらいと思います。精神は体から独立しているときに自分の力を信じられるのだろうと思います。うつの場合は我に返った状態が持続する一方、精神(自己あるいは自分)が体によって養われている居候のようなものというようには考えずにあたかも体に対する主人のようなつもりになっているのではないかと思います。誤解されることを恐れて強い言葉を使いませんでしたが、自分が使用人なのに主人であるというを錯覚しているような状態とは言えないでしょうか。

  • iye
  • ベストアンサー率41% (23/55)
回答No.6

とても興味深いお返事をありがとうございます。 「感情」というものを身体的感情と精神的感情とに分けて考える考え方があったと思います。前者は、暑い日に木陰で涼む時に感じるような清涼感みたいな快、嫌な臭いを嗅いだ時に感じるような不快からなる「生理的」な感情。後者は、対話を楽しむ時のような快と、その反対の悲しみなどの不快。大雑把な別け方ですが。 うつ病にあっては、その両方が侵されることが多い。すると、身体に対する「信頼感」、「安心感」みたいなものが希薄になってもやむを得ない気がします。 また、病期・部分寛解期にはとくに、症状である興味・関心の低下、自責感などが自己の身体に対して「肯定的」にさせない、とも考えられそうです。病後においても、心と身体とのつながりに、不安感が残ることもあるかもしれません。 おそらく問題は病前性格についてだと思いますが、私もkaitara1さんのご意見に賛成です。うつ病に限らず、他の多くの病態に同様の傾向が見られる気がしています。(ニュアンスが微秒に異なるかもしれませんが)摂食障害などでは、まさに自己の身体を「もの」のように感じているように見えます。話は少し逸れますが、臓器提供を受けた方が、拒絶反応や免疫抑制剤の苦しみを乗り越えて、提供された臓器はもとより、臓器提供を受けた自分の身体自体を、改めて「自己」に同化させていく過程を考えると、対照的な印象を持ちます。

noname#194289
質問者

お礼

再度ご丁寧な御教示ありがとうございます。自己との関係についてのご指摘も大変ためになりました。体に依存して生きていることを束縛と考えてしまう自己は過度の独立心のようなものをもっているのでしょうか。

  • iye
  • ベストアンサー率41% (23/55)
回答No.5

#ANo.4です。 書き落としてしまいましたが、 「普段からあまり自分の身体のことを意識しない傾向にある」人はうつ状態になりやすいか、とご質問を読み替えると、そういう傾向はあるかもしれませんね。 知らず知らず自分に無理を強いるわけですから。

noname#194289
質問者

お礼

ごていねいにありがとうございます。

noname#194289
質問者

補足

前の補足と重なりますが、生きていることを義務のように感じてしまうことと体に対する合理的な従属感の欠如がどうも関係があるように思っています。

  • iye
  • ベストアンサー率41% (23/55)
回答No.4

身体症状が主体の場合、いわゆる仮面うつ病や、病初期・回復期などならそうなのかもしれません。思うように身体がついてこない。眩暈やら、頭痛、易疲労感、倦怠感に「悩まされる」感じ。けれど、これも、非うつ病者の一般的な身体疾患における身体症状や自己の身体への意識の持ち方と区別はつきにくいもののように思います。「体の存在がはっきりしなくなるか」、どうかでなくて、脳の状態が、心と身体に「うつ」の症状を引き起こす。 うつの極期には、心の状態と身体の症状が共に「低い」ところで調和する。意識するしないは関係なく。また、心気症的なうつ病の場合は、逆に、身体への意識が強迫的なまでに高まる様に思います。 一言でうつ状態といっても、昔でいう内因性のもの、不安障害や強迫性障害、パーソナリティーの障害に伴うもの、または統合失調症に近縁のもの、さらには、老化・認知症に関連するものなど様々なので、身体意識についての一般化は難しいように思います。 纏まらないですが、回答になっているでしょうか。

noname#194289
質問者

お礼

大変参考になるご教示でした。複雑な要因があるということがよく分かりました。

noname#194289
質問者

補足

欝の状態になると身体が意識されるのは必ず悪いい意味であるように思われます。しかし欝になる前から、体が健康であるということに対して普段からあまり感謝していないというか体あっての私というような(心気症の脅迫的なものではなく)生きていることに対する肯定感というか、これで良いのだというような体に対する信頼感と同時に体から保護されているという安心感のようなものが希薄なのではないかと思いました。  欝になりやすいヒトは体によってではなく、自分は自分後からだけで存在しているというような無理な独立心というか、ある意味では自分に対する過大な自信があるように想像します。自分のことは知り尽くしているというような感じかと思います。このことが体に対する合理的な期待を忘れた結果なのか原因なのか分かりませんが、病前性格に関係したことがあるように思いました。

  • yopitarou
  • ベストアンサー率31% (22/70)
回答No.3

普段から自分の健康状態を意識しないから、ウツになると思っているのでしょうか? 結論から言うと、正反対です。 ダル気・頭痛・肩こり・胃の痛みなどに敏感(意識している)なので、 内科を受診して、検査をしても異常がないので、 「自律神経失調症(抑うつ状態)」と診断されるわけです。

noname#194289
質問者

補足

ダル気・頭痛・肩こり・胃の痛みなどは体の状態から出てくるものなのでしょうか。私の書き方が悪かったと思いますが、体によって支えられているという感じよりも体を、言うことを聞かない厄介なものというような感じ(うまく表現できません)をもつ傾向があるかなと思ったのです。

  • ren_s
  • ベストアンサー率28% (9/32)
回答No.2

うつ病治療中のものです。 私はうつ状態の時にはつばを飲み込む癖や胃痛、頭痛など体のことを意識しすぎる傾向があります。逆に薬などを飲んでうつの状態が少し良くなったときに、これでもかというばかりにやらなければいけないことを入れてしまい自分の身体(キャパシティー)の事を考えなくなってしまいます。それでその仕事がこなせなくなったりするとまたうつになります。 こんな体験談ですが参考になりますでしょうか?

noname#194289
質問者

お礼

普段はあまり意識しないということでしょうか。御教示ありがとうございました。

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.1

躁うつ病の者ですが、うつ病についても発言できるかと思います。 ご質問の趣旨がよく分からないのですが、うつ病になりやすい人に、自分の体力の限界を超えてまで働く傾向があるのは事実でしょう。 しかし、「うつ病になると体の存在がはっきりしなくなるか」との表題の質問については、答えはNoです。うつ病は心の病気であると同時に、体の病気ですから。ほとんどのうつ病患者は、不眠(特に早期覚醒と途中覚醒)に苦しみます。その他、めまい、立ちくらみ、心臓の圧迫感、頭痛などのいわゆる自律神経失調の状態になります。

noname#194289
質問者

お礼

なるほどと思いました。御回答ありがとうございました。

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