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国鉄大阪153系新快速登場当時のグリーン車両の行方

関西地区の新快速電車で以前使用されていた153系は 新幹線開業によって廃止されて余剰になった東海道山陽線の昼行急行電車の車両を転用したものだったと思うのですが、グリーン車の車両の行方はどのようになっていたのでしょうか。 当時の東海道山陽線の153系急行はほとんどグリーン車が付いていたはずですが、新快速にはグリーン車がなかったので、グリーン車の車両だけ当時まだ153系急行を運転していた区間に転属になって行ったのでしょうか。

みんなの回答

回答No.2

153系のグリーン車は、快速用として113系に連結するために全車両が改造され113系の一員として使用されました。その後京阪神地区のグリーン車全廃時に一部が廃車となった以外は東京へ移転し、東京にて使用され続けました。

noname#41506
質問者

お礼

回答どうもありがとうございました

回答No.1

鉄道誌に書かれていた事で153系の当時の事ははリアルで知りませんが、 山陽新幹線岡山開業前には新大阪(大阪)発着の153系急行は「ながと」(新大阪⇔下関)「宮島」(新大阪⇔広島・呉線経由)「鷲羽」(新大阪⇔宇野)「比叡」(大阪⇔名古屋)「とも」(新大阪⇔三原)等が走っていました。 お書きになられた通りこれらの大半を廃止,減便に伴い余剰となった153系列車を用いて、新快速が運転されました。 余剰となったサハシ153の全てとサロ165,サロ152の一部は下関に転属し、「山陽」(岡山⇔下関)や安芸(岡山⇔広島・呉線経由)に使用されていました。 残りは田町や幕張に転属し、「伊豆」や昭和47年に電化された外房線急行の電車化の際に165系に組み込まれたと思います。

noname#41506
質問者

お礼

回答ありがとうございました。