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終戦記念日とお盆の関係
お盆は8月13日~15日のことだと理解していますが まさにお盆である8月15日と終戦記念日が重なったのは 意図したものでしょうか、偶然でしょうか?
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ポツダム宣言の受諾可否をめぐる御前会議は、8月9日午後2時に始まり、12時間経っても結論が出なかったと言います。 通常の御前会議は「事前に発言者も発言内容も結論も決まった上」開かれた形式的なもので、この日はまったく異例な事です。 鈴木貫太郎総理を除く6人の構成員は3対3で対立したままとなり、鈴木総理が天皇のご聖慮を仰いでやっと受諾が決定した。 これがなんと次の日の8月10日午前2時20分であったというから、天皇を徹夜仕事に巻き込んだ非常事態である。 最後の御前会議は8月12~14日に数十時間開かれ、14日午前10時過ぎに、やっと終戦宣言のご詔勅内容が決まったと言う。 ・・・曰く、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す。…」 このような経過ですから恐らく「月遅れのお盆」に合わせると言うことより、連合国側に返答を迫られて15日になったと思います。 『お盆までには・・・』という気持ちが有ったかも知れませんよ・・・人は重大事を決定したり発表する為には『精神的区切り』がないと踏み切れない弱さが多いのです! あの日は朝からよい天気で、丁度きのう今日の東京の空のように抜けるような空ときびしい暑さの元でラジオを聞いていました。 疎開先の家でラジオも無い人が多かったので、5、6家族が集まって聞いていたのですが、ラジオが古くてガーガーという雑音で 聞き取れず、皆一様に黙ったまま負けたとも勝ったとも分らず解散したことを覚えています。 それから町外れの北上川まで泳ぎに行き、帰り道に盗んだ夏の青リンゴがやたらと美味かった・・・! 次の日・・・あれはやっぱり負けたんだと言う話が広まり・・・そんなことを云うのは非国民だと言う「在郷軍人(退役者)」がいたり、 ホッとする人がいたり・・・毎年いつも天気のよい15日には思い出すのです。 月が替わって進駐軍がジープでやってきた時【敗戦】という実感が湧きました。。。
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第二次世界大戦は、1945年(昭和20年)年8月に入って、広島・長崎へ原爆を投下されたことで、日本は完全に戦う力がなくなり、これ以上犠牲者を増やさないために、8月15日の日正午、日本の降伏条件などを定めた連合国側のポツダム宣言を受諾したことを、昭和天皇がラジオ放送を通して発表し、戦争が終わったことを国民に知らせました。 この第二次世界大戦の終りを記念し、平和を祈るために、終戦記念日となったので、お盆である8月15日と重なったのは偶然です。 終戦と云っていますが、実際には敗戦です。
補足
ご回答ありがとうございます。 少し質問の仕方が悪かったようですが、ポツダム宣言を受諾し玉音放送(敗戦) があったのが8/15であることは存じております。 ただ、単に連合国側との交渉の結果、だけではなく、なぜ8/15だったのかといった歴史上の裏話があれば知りたかったので質問した次第です。
お礼
ありがとうございました。 やっとすっきりした気がします。 私も「精神的な区切り」論に同感です。 現代ではメディアを通じてしか、見聞きすることのない「戦争」が ほんの57年前には身近なものだったのですね。 私の父母も10歳の時、長崎で終戦を迎えています。 EIVISさんと同様、ジープの進駐軍で敗戦を実感したそうです。