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性教育の倫理性
教育現場は子供の自立を支援する場でもありますよね。 しかし、小学校から性教育が必要な意味がわかりません。 恋愛や育児教育の経験がないうちは生物の範囲に留めるの がいいと思ってます。 「性」での問題は自分と相手の心の生かし方から起きます。 つまり倫理の問題。社会の役に立てない未熟な内に不幸を 生ませたくないです。不幸となるかは前もって他人が決め られませんが、どうして性教育が恋愛や育児の経験も自分 で出来る努力=哲学さえない無垢な頃から教えるのでしょう?
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教育というのは、子供を野生児から社会人へと変えていく場であると考えます。「自立」というのは、社会の中でやっていけるようにという意味での自立です。しかし、野生児で生きる自立もあるとは思います。 性は倫理の問題というよりも、すなわち野生性の問題です。 社会に適合するためには、この野生性をうまくコントロールする必要があるのです。 つまり、社会にとっては野生児であることは悪と見なされているのです。 となれば、思春期が訪れる前に釘を差しておきたいのは当然。 性衝動がわき起こってからでは、どんな教育をしたってもはや歯止めがきかなくなってしまっている。 だから小学校の段階で性教育ということなのでしょう。 とまあ説明はつくものの、賛同はできませんね。 性という本能は、教育の手が入れられる領域ではないからです。 間違った性知識の氾濫を食い止めるのは、小学校でもまだ早いと思いますしね。 そもそも、情報をどうとらえるかという思考が育ってからでないと。 そういう意味でmiko-desiさんに同意します。
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- Roman0
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性教育の内容にもよりますが、今学校で行われている「性教育」の大半は、日教組やフェミニストによる左翼活動の一環です。 左翼というものは、基本的に家族の結びつきを破壊することを狙う思想ですから、まさにあなたの懸念を狙ってやっている行為です。
お礼
Roman0さん早速の回答ありがとうございます。 子供には他に教えたい人との関わり方が沢山あります。日教組が 解体しても優れた出版社や教育者がいるのですから、教育に問題 も支障が出てくるとは思えません。 映倫の規制が緩いのも天下りのボケ老人が判定するからああちゃ うし。それに甘んじて受け入れている私達にも責任はありますが、 さすがにコンビニや一般の本屋でも目立つ場所に性描写のある本 を堂々と置いて商売している店主は、ちゃんとした教育も受けて ない倫理感も低いのだろうと思ってしまいます。
補足
学校で「おとうさんとおかあさんが…」って説明は不快です。 子供は「どうして私を産んだのか?」ということ、私は「哲 学初めの一歩」と呼んでますが親に尋ねます。それは自分の 在り方、存在の意味、全人格的に受け入れられたいという願 いも込めて、自分の根源である親に真剣な気持ちで尋ねてい るのであって、両親の下半身の事情を説明して足りるもので はないはずです。それに答えられる親がどれだけ居てくれて いるのかも疑問ですが、説明の仕方うんぬんより先生は恥ず かしくないの? 以下の言葉も検索して疑問の参考にしてみました。 性教育 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E6%95%99%E8%82%B2 日本教職員組合(日教組) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%95%99%E7%B5%84 日本教職員組合ホームページ http://www.jtu-net.or.jp/ 左翼 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E7%BF%BC フェミニスト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88 ジェンダーフリー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC
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お礼
nabayoshさんありがとうございます。そしてお礼が遅れ申し訳あ りません。 >社会に適合するためには、この野生性をうまくコントロールす る必要がある >社会にとっては野生児であることは悪と見なされているのです。 確かに子供は野性的です。倫理は人間が作った家で、家のルール に従うなら守られる。家を出れば日照りや風にさらされ、ぬかる みにはまってしまう。子供はまだそんな自然の中で遊んで危険な のも知らぬよう。危険だというのは私が野生を飼い慣らそうとし たからで、離れてしまうと泣くことになるから怖い。 とサンデクテュベリ風に。 >性という本能は、教育の手が入れられる領域ではないからです。 思春期になると家も窮屈で不器用な翼も何であるのか気付く時が やってくる。その羽根に釘を打ち飛べなくすると外はもっと危険 になっちゃいます。性は自分で飛ぶ為の翼なのかな。 どんな情報でも見極める目と、君を守れる腕力があるならいいけ れど。「なんだもうわかってると思ったらそんなことも知らなか ったのかい?」(まだ子供だな) 「そんなこと言われなくても知ってるしぃ学校で習うしぃ。うる さい!」(親のいいなりになんかなるもんか) 背丈も越され抱えられなくなった子供と最後の親の威厳を示す時、 神秘のベールを見せる時(?)そんな場面が変りそう。 運動会のグランドで家族と一緒にお弁当というのがなくなりました。 親達は家に帰るか手弁当を自分らだけで食べる。会話もできない。 家庭の事情やらで家族が来れないこともあるからだろう。そこで 私は提案したい。子供が教室で給食を食べるなら、暇な親にも子 供と一緒に給食を食べさせるというのはどうでしょうかと(←無理!)