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少し迷いがあります。愛とはなんでしょうか?

愛とはなにでしょうか?ちなみにこの例はどこに愛がありますでしょうか? 一例) 社会的に認められてない不倫の上で燃え上がった二人の愛。 将来、障害乗り越えて結婚をしようと約束をするが、 一番考えなくてはいけないのは子供の事。二人は苦悩し最終的に子供の事を考えて別れる事が、その子供に対する愛。もしくはその相手にする愛。 どちらが愛なんでしょうか? それとも両方愛でしょうか?エゴでしょうか? それともスタートから社会通念に反してるので愛にはならないんでしょうか?愛とはなんでしょう? みなさんの解答をお待ちしてます。

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noname#210007
noname#210007
回答No.12

ANo.5の kokoro2006です。 >その子供に対する愛。もしくはその相手にする愛。 >どちらが愛なんでしょうか? >それとも両方愛でしょうか?エゴでしょうか? 子育て中の母親に、子供への愛と男への愛のどちらかを選べと言うのは酷かも知れません。 この愛を考えるには、女特有の母性本能や母性愛を考慮する必要が有るかも知れないですね。 男性には無い物なので説明は難しいですが、 姑と自分のどっちが大事かを問われて困惑する、究極のマザコン夫の気持ちに似ているのかも知れません。 でもその比ではありませんが。 母性愛が強い女性なら、きっと子供を選ぶでしょう。 だからと言って恋人に対する愛が無いのとは違います。 本当に難しいところです。 また女も男も確かに恋をすると、相手の遺伝子を継ぐ子供が欲しくなります。 それは紛れも無く男女間の愛だと思います。 ただ男と女の決定的な子供への愛の違いは、 女はその子が誰の子であろうと、紛れも無く自分の腹を痛めた自分の子で、 十月十日の間自分のお腹で大切に育み、確実に自分が産み落とした我が子です。 男性とは一緒には成らないでしょう。 おそらく彼女さんは母性愛の強い、子供の為には自分の情念を押さえる事の出来る女性だと思います。 これは母親としての本能ですから、子育てが終るまでそっと見守って待ってあげるしかないでしょう。 これを放棄させて一緒になっても、決して彼女さんを幸せには出来ないでしょうし、 結局は質問者様が責められて、二人の関係は終わってしまいそうな気がします。 >それともスタートから社会通念に反してるので愛にはならないんでしょうか?愛とはなんでしょう? 社会通念に反しようが反しまいが愛は愛だと思います。 社会通念が折角の美しい純愛を犯罪にまで貶めてしまう事も多々あります。 世界には一夫多妻の国だって有りますし、自由恋愛の国だってあるでしょう。 逆にその国へ行けば日本人の考え方は理解されないでしょう。 でも日本に住む以上は出来れば日本の社会通念で生きて行った方が生き安いですがね。 どちらにしても今愛する相手が望んでいる事を最優先させてあげる。 その為に自分が苦しさに耐えるのは究極の愛だと思います。 そう考えると子供の為には自分の情念をも立ちきる、彼女さんの愛が究極の母性愛とすると、 質問者さんとの愛はニの次ぎになっている?のかな?? でもそれを静かに見守るのが質問者様の彼女さんへの究極の愛なのかも知れません。 何にしても日本社会では不倫は不利ですし難しいです。

kohnewage
質問者

お礼

ありがとうございます。最後にいいまとめをいただけてうれしいです。現在、結論を出して、別れました。友達でいられるかどうかが、今の課題になってます。楽しかったあのころ、好きなまま、別れるところ、一部、認められないところは存在しますが、それはどの人にもいえるので。。まあでも、発言が興奮すると過激なところが、気に入らないところですね。とにかく、次の段階にむかって歩いていけるようがんばります。これで締め切ります。

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  • Tori_30
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回答No.1

僕が思うに、愛とは結果。「幸せになる」「幸せにした」という結果さえあればそれが愛だと思う。 不倫は確かに社会通念に反している。かと言って幸せになれないか?というとそれは違う。極少数ではあるけれど、不倫から幸せを勝ち取った人々はいる。結果的に周囲も幸せにしてね。それは愛だと思うよ。幸せになったんだもん。 対して、生涯法に逆らわず社会通念に反する事もせず、一人の人と添い遂げ子供も育てた。にも関わらずついに幸せにたどり着けなかった人もいる。こっちは意外に大勢いるんだよね。それはハッキリ言わせてもらえば愛ではないと思う。苦痛と隷属の人生だよ。子供も惨め、周囲の人も惨め、もちろん自分が一番惨め。愛などどこにもないと思う。 僕の考える愛とはこういうもの。結果だね。結果が伴わずして愛ではあり得ない。 「貧乏でも・・・」って人は言うけど、それはそれでも幸せだったという結果があってこそ。それで周囲に我慢を強いるならそれは愛じゃない。そう思うよ。

kohnewage
質問者

お礼

解答ありがとうございました。 あなたの考えにも賛同できます。 最終的に幸せになれたかどうかになりますね。 一番大事なのは気持ちですね。 今回のケースでは、そこまではいきつけそうにないと感じてます。 子供に対する良心の呵責、それを上回れるような精神力を持ち合わせてないのが現状です。スーっとはいけません。 付き合いの間で問題が多数起こりました。霊的な物を相手の子供が感じ取りました。見えないものがあって、いってはいけない風にも感じました。何より今の自分自身が置かれてる現状そのものが愛を語るには程遠い現状です。ですが愛だと思ってます。あなたが最後に書いてる、貧乏でもって部分になりますね。お互いがやる気になるエネルギーをお互いが与えられる関係なら貧乏でも幸せになれますし、貧乏からの脱却もできるんじゃないかと考えてます。やはり核たるものがしっかりとしてるかどうかが重要じゃないかと思います。今の段階では恋です。一部分愛があるとすれば、相手の子供に対する気持ちです。誰がなんといおうとも俺は好きだから絶対に幸せにしてやる!!って強い気持ちがないところが躊躇してる原因だと思います。ただ、彼女とは話してて楽しいし、いないと無性にさびしくなるので、好きなのは事実ですが、障害を乗り越えて周りを泣かせて、その泣かせた分さらに幸せにする事を約束できない流動的な部分があります。気持ちが一番大事なのに、予測できない事態に対してはたして対応できるだろうか?って悩みが先にたってしまいます。今も昔もですが、これが私の最上級の愛(恋?)なのかもしれません。現状、自分自身がしっかりしてないと物事がうまくいかないって所にたどり着きました。ただひとつの気持ちに答えが出るには少し時間がかかりそうです。もういいや、いらねえ、とかけんかして別れていながら、どうしても気になってくる、出会ったときの楽しかった頃が忘れられない、前の様に過ごしたい。等、いろいろ考えがめぐってます。 少し他の方の意見もきき、総合的に考えてみたいと思います。