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「友達」って必要?
はじめまして、 「心理学」のカテゴリーに質問するのははじめてです。 今、友人関係に悩んでいます。 メンタルヘルスのカテゴリーに以下の質問をしましたが、 ↓ http://odn.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=334701 もっと今のわたしの気分を心理学的に説明できないかと こちらに来ました。 URLなどをポンッと放り出して大変不躾ですが、 みなさんのアドバイス、ご意見を伺えれば幸いです。
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- Akiko_H
- ベストアンサー率26% (42/159)
はじめまして。私自身の友達の定義としては、何でも言い合える(ただ、お互いが愚痴の掃き溜め場になっては駄目)事、一緒にいて不愉快でなく、また不愉快な思いをした時には口に出して言える事。お互いを信じ合える事などです。URLも拝見いたしましたが、moonglowさんは悪く言えば思い込みが激しく卑屈になりがちで、良く言えば感受性が強くて心の優しく繊細な方なのでしょう。 「困った時だけ頼る」それは友情ではありません。 「困った時も助け合う」そんな関係が築ける関係が友達だと思います。友達が必要かどうか、それはあなた次第です。
- ken0321
- ベストアンサー率27% (10/36)
はじめまして 質問にあるURLを見ました。 またNo1さんの回答も読ませていただきました。 ほとんど言い尽くされていますが、私の言葉ですこしコメントします。 (1)質問について No1さんの言うように「自分にとって受け入れやすい、安心できる」回答を待っているだけで、それ以外を受け入れない姿勢が強固に見受けられます。 (2)心理学的に ・「甘え」の体質が思考回路全体に染み付いています 浪人を許される家庭の経済環境、大学卒業まで経済的面倒を見てくれる家庭、 収入を得ずに生活保護で生きていける社会的環境、いつでも相談に乗ってくれ る親友の存在、等々あなたがそれらの甘えを最大限に享受していたため思考 そのものが「甘え」を前提に組み立てられているように思えます。 ・言い訳の聞かない子供がくじを引いて、自分の好きな「大当たり」が出るまで 他人の迷惑・助言に耳を貸さず何回でもくじを引き続ける、そんな「甘え」が 強く感じられます。つまり、ここで言う「大当たり」とは上記の自分にとって 心地よい回答になります。 ・友人との件は、「実態としても問題」ではなく「あなた自身の中の虚像の問題」 と思えます。質問は友人との関係についてですが、実際はあなたが「もっと甘 える事が出来るのか?甘えつづける事が出来るのか」の自己確認をしたいという 心理的欲望から発しているものと思えます。 (3)アドバイス ・心理学者の意見を聞きたければ、精神科のクリニックへ行かれる事をお勧め します。お金も掛かりますし、あなたにとって心地よい回答が得られるかは 判りませんが。 ・ひとまず友人の件は、回答を急がず保留しては如何です?その上でNo1さんも 言っているように「やりゃあいいんだ、やりゃあ。」の気持ちですべての面に 向かってしばらくトライしてみます。数年後にまた友人について考えればまた 違った見かたも出来るかもしれないし、(良い意味での)違った関係になって 行くのではと思えます。 (4)これをお勧め ・あなたにとって「甘え」と「うじうじした」性格が気に入って心地良いものと 思われます。 ・このような場でそれを質問の形で表に出すと、多くの集中攻撃に晒されるはめ になります。 ・したがって、親友との件も自分の心の中で「うじうじ」、「もんもん」と悩む のが一番楽しいはずです。別に結論を出さないと死ぬとか食うのに困る訳では ないのですから。
お礼
お返事を頂いたこと、わざわざ、他の質問をお読みくださったこと、感謝いたしますが・・・・ 人々の善意によってしか生きることの出来ない人間の 苦悩が、あなたや1番さんのような「成せばなる、成さねばならぬ」で「克服」出来て来たような強い人間にわかるのですか? 自分の両足で大地にしっかりと根を降ろし、 自分の力で生きていく、それが人間、いや生きとし生けるものすべての本来の姿です。 「甘え」=「快適」という発想が到底理解できません。 「やりゃいいんだ、やりゃ!」 思わぬ体育会系精神論を聞かされました・・・・ 「心地よい回答」ってなんでしょう? 「あなたは甘えてても構わない」という免罪符でしょうか? そんなものはこちらから返上します。 あなたのような(あなたがわたしをきめつけているのでこちらも決めつけて言います)プロダクティブな人たちには 「施される」苦しみなど想像もつかないでしょう。 このようなわたしの反応、「予想通り」とほくそえんでいらっしゃることでしょう。
- dd44
- ベストアンサー率28% (151/521)
今の気持ちを心理学的に・・・。 というのは、受け入れやすく、安心できるような回答を求めているのだと思いますが。はっきり言って、普通の言葉で言えばただの「甘え」だと思います。 ちょっと躓いたからって、ちょっと役立たずと言われたくらいで投げ出してしまうところ。それこそが甘えです。 もちろん、甘えや言い訳の全くない人間なんていませんし、それが必要なときもあるでしょう。 でもね、人間(というか動物でも)、自分を甘やかしたら何の進歩もないし、どんどんスポイルされていくんです。楽な方に楽な方に流れていくんですよ。(もちろん僕もそうですが。) 楽器でも、スポーツでも、最初は全然うまく出来なくて苦しいでしょう?それでも諦めずやっていれば少しづつ、うまくなっていきます。 たぶん、あなたは、そういったほんのちょっとの忍耐に慣れていないのでしょう。あなたの友達が「あの時期は精神的に参っていた」と後になって言ったのも、その時期に必至に耐えていたからでしょう? 僕も大学時代、何に対しても言い訳してしまうような、甘え腐っていた時期に、友人にこう言われました。 「やりゃあいいんだ、やりゃあ。」 特に哲学なんてやっていると、何でもかんでも言葉で理由をつけて、正当化したくなるのかも知れないですが、結局は事実から目をそらして、自分の都合の良い解釈をしていませんか? 急に良い人間に変われるような特効薬も、言葉も、便利な心理学用語もありませんよ。誰でも失敗におそれ、リスクを背負って生きているんです。 他人に誇れるような結果が出したいのなら、「やりゃあいいんです。やれば。」あとはその結果を受け入れる。それだけでしょう? 友人にも、そのおもいのたけを残らず話してしまったらどうですか?卑屈にならず、言い訳をせず、自分の友人でいてくれることへの感謝を言葉で表せばいいとおもいますよ。 そして、あなたがその友人とつきあうかどうかを決めるのは、あなたがつきあいたいかどうか、それだけです。
お礼
お返事アリガトウございます。 『急に良い人間に変われるような特効薬も、言葉も、便利な心理学用語もありませんよ』 仮にあってもわたしには効果はないでしょう(笑) アリストテレスは『哲学は、富めるときは身の飾り、病める時は心の避難所』といっていますが、少なくともわたしにとってはそのどちらにもなり得てはいませんね。 ご指摘のように「哲学」が良くも悪くも自己の防衛に役立ってくれているなら却って助かります。
お礼
お返事ありがとうございました。 他のおふたかたのお答えもある側面では「正論」でした。 しかしそれはわたしにとっては縁の無い一般論的正論でしかありません。 まずわたしという存在の内側の苦しみを理解してからのお返事に改めてお礼申し上げます。