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奴隷は必ず過酷な労働を強いられていたのですか?
奴隷は必ず過酷な労働を強いられていたのですか? そうでないケースがあったとするなら、それは何時代のどの国のことでしょうか?
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ローマ時代の奴隷はすべてが必ずしも過酷な労働をしいられていたわけではありません。 特にギリシャ人の奴隷は家庭教師や秘書役などの重要な仕事を任される場合もよくありました。彼らは一定の条件を満たせば奴隷から解放されて自由人になり、さらに身分上昇を遂げる例もありました。 過酷な奴隷労働というのはアメリカ南部の黒人奴隷からきたイメージでしょう。
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- Tacosan
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古代だと, かなり極端にわかれるんじゃないでしょうか. 古代ギリシャやローマでは, 上級階層の人は原則的に「商売はしない」のが普通で, どうしても商売をしたいときには奴隷にさせていたとか. このときに使う奴隷を過酷に扱うことはほぼ考えられません. その逆に, 「そういうことには使えない」奴隷には肉体労働をさせる, と. で #6 を見て思いだしたんだけど, インドやエジプト・シリアに「マムルーク朝」という王朝があったんですが, この「マムルーク」は「奴隷身分の軍人」の意味だそうで.
お礼
ご回答、ありがとうございます。
- nacam
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イスラム世界においては、何も無い人が出世するためには、奴隷になる事が必要でした。 買った人が出世をすると、奴隷も出世してゆきました。 もし奴隷を買った人が、スルタンにでもなれば、買われた奴隷は、宰相や総督、貴族になる事もできました。 奴隷からスルタン(国王)になる者もいました。 また、大きな商人の場合は、番頭や他都市の支店長などは、その商人の奴隷が当てられました。 そのため、自ら奴隷となる者も多くいました。 ただし、奴隷を買った人が出世に失敗したり、死んだ場合は、それ以降その奴隷に出世の見込みはなく、悲惨な末路をたどります。 また、イスラム圏の奴隷は、私有財産の所持が認められており、自分を買い戻す事もできました。 また、世界的に絶対的な状況下においては、奴隷のほうが自由民よりも生き残る事ができました。 飢饉などの場合、貧しい自由民は、餓死する者が多くでますが、裕福な人の奴隷が、餓死する事はまずありませんでした。 ギリシャ・ローマ時代においても、才能のある奴隷は、かなり裕福な生活ができました。 自由民と違い、兵役の義務も有りませんでしたから、戦争で死ぬ事もありませんでした。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 奴隷といっても裕福な人もいるんですね。
- komes
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古代ギリシャのスパルタでは奴隷は日常農場で農耕に従事しましたが、奴隷の中で信頼のおけるようで、身体強健なものを選抜して戦時の雑用掛かり(食料運搬や武器の運搬、宿舎の設営など)として使用しました。 どちらが過酷かは判断しかねますが・・・。 古代ローマではギリシャは先進文明国の地位にありましたから、学者や教育者にあたる職業につく奴隷は多かったのです。 又建築家などの技術者も連れてこられこの為ギリシャ文明とローマの文明との混淆が生じました。 肉体労働しか出来ない奴隷は過酷な運命で海洋船の漕ぎ手などに使用されたのです。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 奴隷にも肉体労働とホワイトカラーのようなものがあるんですね。
- PENPENMAKKY
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> 奴隷は必ず過酷な労働を強いられていたのですか? 産業革命以降の後進国にいた奴隷です。 カリブ海では機械化が出来なかったため人の生産力で穴埋めをしました。 よくアメリカ南部の奴隷が挙げられますが、過酷な環境にあったのはごく僅か(そういう屋敷は白人も過酷な暮らしをしています)です。奴隷解放運動の原点は、産業革命にあります。産業革命で人手を必要とした北部の工場地帯が黒人奴隷を欲したのです。ですが北緯35度より北では奴隷保有は禁止されていたので、南部の奴隷を解放させてその労働力を我が物にしようとしたのです。 奴隷解放は1864年12月に南部政府が解放の宣言を行い、65年に北部でも憲法の改正が行われ奴隷制度が無くなりました。(有名なリンカーンの奴隷解放宣言ですが、あれは一切の奴隷を解放しないという内容で、実際の解放はリンカーンの死後に実行されました) 南北戦争終了後、裏切られた白人農場主は黒人の再雇用をせずにヒスパニック系やヨーロッパから来るプアホワイトの雇用に走ります。その結果黒人は仕事を求めてニューヨークやシカゴに行き、スラムを作るのです。その改善が始まったのが1960年代です。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 奴隷解放宣言も奴隷がかわいそうだからと言うより、政治的な意図があったんですね。
- kensan39
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奴隷は売り買いをされるようになってから過酷になりました 要らなくなれば廃棄して新しい奴隷を買うことが可能だからです それ以外は奴隷に成ることで食べて行けるのです 昔は戦争に勝った方は役に立つ人を奴隷として連れて行き それ以外は全員廃棄です 負けることは生きて行くのはたいへん 困難なのです 余程の一族の生き残りが居ないと食べて行けません 今日では一人で生きて行けますが日本も100年前は一族で生きていました 一人になることは死ぬことです 昔は戦争して勝つことは兵士も増えて行きます 負けると大将すら 生きて行くのは難しいです
お礼
ありがとうございます。
- Yelm
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「奴隷」と言っても千差万別です。 有名な例としては古代ギリシャのヘタエラ(酒の席で相手をする女性。後に娼婦的な意味もつく)は一流になると莫大な富を得て豪邸に住み、王侯貴族に匹敵する財をと名声を成していました。 またそもそも殆どの場合「奴隷」は金を払って購入する労働力だという事を考えて下さい。 たとえ家畜でも有能な経営者であれば、過酷な事はさせません。 なぜなら無理に酷使するよりも、無理をさせず長く働かせた方が長期的には得になる場合の方が多いからです。 ローマの奴隷は悲惨な境遇にあったとよく言われますし、それは一面の真実ではありますが、実際には奴隷は貴重な労働力であり、酷使したり残酷に扱ったりするのは愚か者である、と言うのがむしろ一般的な認識でした。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 これは大変勉強になりますね。 物品を購入するのと同じように、お金を出して買う以上は大切に扱うんでしょうね。 また、買った人、売った人、本人と誰もが納得しているのであれば問題ないのかもしれませんね。 今で言う人身売買のような凶悪犯罪というイメージとは大きく異なり、ごく普通の風習だったのかもしれませんね。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 「奴隷」と一言で言っても様々なケースがあるんですね。