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虐待の世代連鎖について
虐待の世代連鎖についての数字が知りたいです。被虐待者だった人が、 虐待者になる確率はどのくらいなのでしょう?そういう数字ってあるんでしょうか?あるとしたら、どこの機関がとっているのでしょうか? よろしくお願いします。
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これはたしかに興味深いことですが、実際の数値を取るのはまず不可能だと思います。何故なら、そもそも「虐待」として統計が取れるということは、何がしかの事件性がなければなりません。しかし実際には、事件化しない虐待というのもたくさんありますよね。 もし何らかの統計があるとすれば、虐待事件となって表に出たうちで、その加害者が過去に虐待を受けていた率が何%か、という形になるでしょうけれども、この過去の虐待というのも事件化していないと統計としては難しいので、おそらくこうした統計は現存しないように思われます。統計を取れるように努力中、というのが実際のところではないでしょうか。
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通信教育での勉強は大変と思いますが、がんばってください。 「障害は罪ではない!世の中にお荷物な人・不必要な人は一人もいません!みんな大切な役割をもっているはずです。」 貴方のように考える方が沢山ふえてくれればよいのにと思うと同時に少しだけ安心もしているのです。 障害の妹にどう接してよいかを死ぬまでわからなかった父のことを思い出します。自閉症児も外来で対応するのに戸惑う看護師をみるたびに「しっかりしなさい」と思うことも、歯科の治療中に押さえるのに人手がいるとき躊躇なく診療室に入って押さえ介助して一生懸命はなしかける男性に感動するときもありました。きっと貴方もそのような素敵なパパになるでしょう。福祉は報いがないの当たり前と考えないと続きませんが、命に向き合うという感動は大きいと信じています。 無理解に涙することも多いのですが、貴方のような若い方が障害者を優しい気持ちでみてることを知るだけでも幸せに感じました。 妹には後悔もしているのですよ。4歳の息子が「気持ちわり。あっちいって」の一言からとうとう最後までその後妹に会わせなかった事など。まだ父親にはなっていませんが、やはりその時が不安です。・・・大丈夫ですよ。父親になる不安より障害者にかかわり自分の子もと不安になることは多いそうですよ(養護保母さんの話ですが) 「この地球(ほし)にすんでいる僕の仲間たちへ」早速読んでみますね。 お元気で
忘れましたので加筆を。 じゃあそれすらない人はどうしたのか? エリザベスサンダースホームとか戦前戦後に孤児にかかわった人の子と調べてみませんか。 母親以上の愛情を注いだ方もいます。でも母親の愛情でなければとこだわりながら生きた人もいたと思います。どんなに注いでも伝わらない絶望を育てた人も味わうこともあったと思います。 ただ、母親に捨てられたという思いを取り除くことは困難なことだとも考えています。
数値はわかりませんが、私がなぜという補足を要求したかについて説明させてくださいね。被虐待者だった人が、虐待者になる・・・でなく「なりやすい」のではないでしょうか。 愛仕方を知らないのは、愛されたことのない人よりも愛されたことに気がつかない人ではないのでしょうか。 貴方の答えにならないことかもしれませんが、私は東京のある孤児院で働いたいました。事情はさまざまです。 お母様が病気の方・女医で忙しい方・母親が蒸発した・捨てられた子・置きざりの栄養失調の子。母親が愛人を作り別れ話から殺されてまい父親が一時避難に預けられた子もいました。 こんな小さな命にも、格差も隔たりもありました。特に名もつけられずに拾われた場所を本籍の住所として、拾われた場所の区長が名付け親になりますが橋の下・川の側など場所に意味づけた名を付けられる度に私は怒りを覚えたことがあります。大きくなって自分の本籍をたどった時、その光景をどんな思いで見るのでしょうか。想像しただけで涙が流れましたよ。でも愛されなかった分一生懸命家庭を大切に子に愛情注ぐ人も沢山いるはずです。それとは別に世の中のせいにして向上しない人を多いのかも知れません。特に印象に残ってる子は、全盲で捨てられた2歳の子のことです。養護施設の中でも、一緒に遊ぶこともテレビのアニメを音だけ聞いていたこと。(今のように副音声もありませんでした。)私の父は、関東大震災で親も兄弟も失い遠い親戚に引き取られ、子育ての経験のない人を母と呼びながら育ちました。折檻もひどいものだったと子供心にご近所の人から聞いたことも何度もありました。半紙すら購入できないで新聞紙で習字をしたことあったようです。 父は家族というものを持っても愛し方を知らない部分もあったように思えます。また子を叱る時の叱り方も自分がされたような罰を与えることもありました。その度に母は父を責めるのでなく、私たち兄妹に不器用な父を弁護していました。母親になって、子供を叱る時に同じような叱り方をしていないかいつも気がかりでした。(自分を見てる自分がいたようです。) 貴方読まれた本、私も読んでみます。どうぞ感性を大切になさってくださいね。補足から貴方の優しさが伝わりました。ごめんなさい。そして有難う。
お礼
「愛されたことに気づかない」のは不幸なことですね、でも20・30年後に気づくことを祈りましょう。 現在、時々ですが自閉症児と接するボランティアをしています、子供達は親から愛されていてとても可愛いのです。でも一方で障害があるゆえ捨てられた子がいることを最近知りショックを受けました。 自閉症はコミニュケーションをとるのが苦手ですが感情はいたって正常で世の中の状況、自分の置かれた状況はすべて理解しています。人よりストレスの多い、まして捨てられた彼らは膨大なストレスを発散するすべを持たないまま自傷行為に走り、反抗しまた自己嫌悪に陥ることを繰り返すそうです。 障害は罪ではない!世の中にお荷物な人・不必要な人は一人もいません!みんな大切な役割をもっているはずです。 そんな思いで、私はなにかできないかと通信制の福祉大学で勉強しているしだいです。 私も父に心的虐待らしきものを受けました(父との和解はできていますが)。まだ父親にはなっていませんが、やはりその時が不安です。 あっそれと東田直樹君の「この地球(ほし)にすんでいる僕の仲間たちへ」もぜひ読んでくださ。 ありがとうございました。
何のために知りたいのですか
補足
虐待について学ぶ機会があり、特に知りたいのは虐待されて後、幸せな家庭を築けた人についてです。デイブ・ペルザーの体験記では立ち直る原動力は虐待される前の母からの愛情のようですが、じゃあそれすらない人はどうしたのか?それを考える為の質問でした。質問の仕方が良くなかったかな。けっして興味本位のものではありません。
- eroero1919
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直接の回答になっていなくて申し訳ないですが、「血の繋がった親子と血が繋がってない親子で虐待を受ける確率に違いはあるか」と研究した人がアメリカでいるようです。それによると、血が繋がってない親子で虐待が起こる可能性は血が繋がった親子に比べて7~19倍のリスクがある、のだそうです。共通しているのは「かなり高い確率だ」ということくらいで、数字に関してはばらつきが大きすぎて信憑性のあるデータにはなっていません。 虐待の世代連鎖についてのその数字を取ることの難しさは、協力してくれた人たちの話をどこまで信用するべきか、というところにあると思います。虐待をしていた親がその親から虐待されていたかどうか本人の証言くらいしか調べようがないですし、人間はウソをつける生き物だからです。
お礼
回答ありがとうございました。 そういう数字があるのですね、動物の世界でも血のつながりのない、 子殺しがあるそうですが、人間も同じですね。 虐待について統計をとる難しさが分かりました。
お礼
そう言われれば確かにそうですね、事件化しなければ数字はとれませんもんね。ご丁寧にお答えいただきありがとうございました。