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奥寺康彦氏のドイツ時代の背番号について
TVで奥寺さんのドイツ時代のユニフォームを何枚か見ました。 「7」「10」 などで、私が知る限りではサイドバックの選手がつけるような番号ではない と思ったのですが、 ・サイドバック以外もこなしていたらからこの番号 ・DFでも期待されていたからこの番号 ・番号はあまり関係なかった など考えられますが実際どういった理由でそうなったのか ご存知の方いましたら回答よろしくお願いします。
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- smas
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回答No.1
そのTVを見てないのではっきり言えませんが、当時の背番号はポジション順で付けてたはずなのでどのチームに所属してた時の映像かでありえます。 ケルン時代ならFWでプレイする事が多かったはずです。FWとして移籍したはずですから。赤白系のユニフォームなら1FCケルンの頃の映像だと思いますよ。 H.ベルリン時代(当時は2部)は定かではないですが、サイドバックとしてプレイ始めたのは、ベルダー・ブレーメンに移籍してからだったはず。B.ブレーメンは緑系のユニフォームですが・・
お礼
なるほど、FWでもプレイしていたのですね。 それならば背番号10も納得できます。 ご回答ありがとうございました。