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教育問題の本質から外れた議論が多すぎないか
「ゆとり学習」がどうの今はあまり聞かなくなりましたが「反抗期」がどうのと、実はすごく虚しい議論のように思います。幾人かの作家さんらが言っているように(たとえば笹沢佐保のエッセイなど)、問題の核心は、社会や親のあり方だという考えにすごく同調します。 つまり、私はそう考えるものですが、ではなぜ、これほどにその核心から離れたような議論が教育問題として浮上するのでしょうか。そして、一度も社会や親のあり方が一番なのだという議論が主流にならないのか、私の貧しい頭脳でもそう思うのに、なぜ社会はこれほどにこんな大事なことに無頓着なのか、まったく理解に苦しんでいます。 子供のころから苦しんでいます。 たとえば私は、親の愛情が不器用で、ある意味薄い環境で育ったから、それが不満で親に当たったりしてきましたが、それを「反抗期」とかがずけられた。それが似非論理とは言いませんが、それに対抗するような「親のあり方」のような議論が並立的になかったからです。だから内の親も、正当化するわけじゃなかったんでしょうが、それに毒された。その結果私の気持ちが認識されることもなかった。もっともそのレヴェルの親だったといえばそれまでですけども。しかし、そういう害悪の例もあるわけです。「ゆとり」にしても同じことじゃありませんか。勉強する動機付けやらを、その子供の心がどう言う風に社会や家庭で育っているかという核心に触れずに、なにか枝葉なところで議論する。こんな風潮に巻き込まれたら、子供はおかしくなりますよ。私も十分おかしくなりました。 もうこういう核心からそれたものをそれというのは、やめてほしいんですよね。
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現代は実証の社会といって差支えなかろうと思います。当の議論する人々の周りに実証できる数字の証明や具体性がなければ議論のテーブルにも上がらない(上げる能力がない)のが現代社会です。 そこであなたの言われている >勉強する動機付けやらを、その子供の心がどう言う風に社会や家庭で育っているか を実際数字や具体例で表そうとすると...核心部分は見えませんよね。アンケートによってある程度数字で実証できるとは思いますが、それでも人の心情(人の心の中の量的部分)は数字では現状見えません。(強制的に見せたとしても、あなたの言うとおり核心からはズレが生じる可能性は大ですね) ですので無頓着なんですよ。(テーブルに上げられないと言っていいでしょう) 自分は何も無頓着側からモノを言ってるつもりはありません。ただ、なぜ親子や地域社会に対し学会や国等がメスを入れないかというところを答えたにすぎません。
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- kytknom
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Q 社会や親のあり方だという考えにすごく同調します。 A 社会や親のあり方を簡単にいい方向に向ける施策(実行上)を誰 も考えつかない。 仮に良い考えを見いだしたとしても、誰も同調しない。 なぜなら、誰もがみずからをきびしく律することなどできないか ら。 日本が昔のように物に恵まれない時代になったら、精神的には豊 かになるかも。 Q これほどにその核心から離れたような議論が教育問題として浮上 するのでしょうか. 教育評論家等も聞こえのいい、少し効果のある程度の施策しか言 えないんでしょう。 あるいは、ほんとに効果のある施策は、これまでの教育評論家等 の言っていることと矛盾するのかも。
お礼
自らを律し得ないという現実がある。なんという悲しさ情けなさなんでしょうね。そして、核心から外れたことが市民権を得る。似たようなことはよくありますね。
- pluto003
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子供を育てるのはその土壌です。その中で最も影響力があるであろう存在が最も身近である親であり、第二に学校であり教育制度、というのが一般的であり、その順位はともかく親や学校が大きな影響力を持っている事は間違いないでしょう。 ゆとり教育等々は、その中の一要因としての学校教育のあり方やその責任をどう果たすかが論じられているだけで、それですべての問題が解決するなどは誰も言ってないし、だれも思ってもいない事でしょう。
お礼
第一番目のほうは統御できないので、仕方なしに、統率できるほうをどうにかこうにかすることなんでしょうね。
- omeger
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議論を行えば様々な説が出てくるものです。 相関関係は計算できますが、因果関係を特定するのは専門家にとっても難しいです。 百出の議論を反証していくことで、物事の解決法は生み出されます。 自分の専門からのアプローチで物事を解決するのが専門家の前提です。 なんでも家では、議論するのに十分な知識を獲得できません。 どのような現象が起こったとしても、 社会学者が話せば社会が原因であり、 経済学者が話せば経済が原因であり、 心理学者が話せば心が原因であります。 疫学家には血中鉛濃度が原因だと言っている人もいます。 色んな考え方まとめてくれる人は素晴らしいことですが、 日本の学者は、自分の専門の内集団で固まって、世論との対話に努力しないと嘆く人もいます。 特に専門のない素人に関しては、身近な経験に基づいて、 心理学者っぽい解釈を取りたがる傾向があるとかいうことです。 (ファーンハム「しろうと理論」) 政治感によっても原因が絞り込まれます。 保守主義者は伝統の喪失が原因だと言い、 民族主義者は外国が原因だと言い、 マルクス主義者は資本主義が原因だと言い、 リバタリアンは政府の統制が原因だと言います。 また教育問題といっても何を教育問題としているかで 認識に違いが出てくるでしょう。
お礼
専門からはなれられない。それなので、不毛な細分化された議論に終始するという限界点があるのでしょうね。それを、もっと総合的に、学際的に扱うことはできないんでしょうかね。
- gohara_gohara
- ベストアンサー率37% (573/1517)
非常に単純な疑問として、あなたが思ったこと=本質、なのでしょうか?
お礼
本質だと思っています。
- jamiru
- ベストアンサー率5% (170/3044)
社会問題を教育に擦り付けているだけ。 昔の、子供の面倒は母親の役目だろう!!ってのと同じ。 灯台下暗しとはよく言ったものですねぇ。
お礼
はい。教育機関にとってはいい迷惑でしょう。ただ、子供の面倒は今も昔も親であることは変わりないでしょう。
- moby2002
- ベストアンサー率27% (95/342)
まぁ、ああいう議論はたいてい机上の空論を極めるわけですが・・・ 私も、家庭や地域社会の影響が大きいと思いますが、現実的な問題として、 それらを国がコントロールすることは無理なんですよ。 なので、国が指示を出せる教育機関での対策などになるわけです。
お礼
大変簡潔に、要旨をまとめていただいたので、よく分かりました。
- okg00
- ベストアンサー率39% (1322/3338)
で、質問は? >私も十分おかしくなりました。 同意します。
お礼
同意していただき助かります。
お礼
分析的、専門的なのがどうしても主流であり市民権を持つという風潮から逃れられません。それが不毛さを生むとしても、それ以外の方法論に立脚できないという、人間性の限界のでしょうか。