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アウェアネスとクオリア
哲学初心者です。アウェアネスとクオリアについてその定義を日本語で 簡単に説明していただけないでしょうか?とくに両者の関係性についても区別などを明確にしていただけると大変ありがたいです。さらにいえば、近隣の学問における動向についてお詳しい方がおられれば脳科学、心理学、などの最新情報もお教えください。
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こんにちは。 アウェアネス:環境情報を基に論理的な判断を行うこと。 クオリア:知覚情報に感覚的な判定を行なうための要素。 アウェアネスといいますのは環境から作用に対し、主体としての論理的な判断が下される過程を指します。我々の脳内では環境からの知覚刺激による「選択的注意状態への移行」に伴い、認知作業が開始されることによって意識が発生するわけですが、この状態で論理的な結果が選択されることを「思考」といいます。そして、この場合アウェアネスの範囲は主に「主体としての状況判断」に対応します。 では、このようにアウェアネスが「論理的な判断」であるのに対しまして、クオリアといいますのは「知覚情報における質感」であり、我々の脳が「大きい」「少ない」「美しい」といった、直接の認知結果には類さない「感覚的な評価」を行うための要素を指します。 このようにアウェアネスとクオリアといいますのは全くの別物であり、この二つには何の関係もありません。 ただ、解釈そのものは明確に区別されますが、我々の脳内では、実際には当然、どちらも分け隔てなく認知作業に資するものであります。従いまして、このようなものは結果や状況を基に我々の脳内に発生した意識現象を分類するための単なる概念でしかありません。 現在、脳科学では、我々の脳内に発生する「意識」というのは認知作業に伴う「随伴現象」であると捉えられています。それは脳が認知対象の比較・分類を行なうために複数の知覚情報が連合野内の作業領域に短期記憶として一次保持されている状態に過ぎず、意識とは特定の生理学的構造によって作られるものではありません。 このような現象に対し、その結果を概念として分類し、実際の行動や情動などと対応させるのというのが従来からの心理学的な手法であります。従いまして、このようなアウェアネスやクオリア、あるいはアフォーダンスといった解釈はそのために用いられるものです。 これに対しまして、このようなものの原理や意義を追求するというのは純粋に哲学的な作業となりますが、仮にそのようなことが行なわれたとしましても、これが実際の脳の生理学的構造に基づく客観的事実として立証されることはまず間違ってもあり得ません。ですから、このようなものを哲学で論ずることには全くの意味はありません。 アウェアネスを論ずる東京大学の哲学者の論説を読みましたら、「意識とは人間だけに発生するものであると結論付けられる」と述べられていました。このように、これを哲学で扱おうとしますならば如何なるひとも必ずや間違った結果に辿り着くことになりますので、くれぐれも、それだけはおやりにならない方が良いと思います。
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- ruehas
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こんにちは。 ANo.1です。回答をお読み頂きありがとうございます。 >意識とは人間だけに発生するという哲学的なロジックはどのように導かれたものなのでしょうか? 回答をする前にちょっと情報を集めましたら、アウェアネスに関する論説を抜粋したHPに載っていました。学者さんの名前は忘れましたが、そこにははっきり「東京大学」と記してありました。自分の目を疑い、何度も読み返してしまいました。 前回答でご説明致しました通り、アウェアネスとは意識現象の結果を分類する概念であります。 我々は外界から与えられた情報を基に論理的な結果を選択するわけですが、この過程がアウェアネスであります。そして、そのためには外界の現象は個々の対象として表象化されなければならないわけでありまして、意識とはこのため発生するものです。 では、我々人間の「言語認知機能」とは外界の対象を表象化し、それを言語化する機能であります。ですから、この学者さんの論説によりますと、意識というのは対象を言語化するために発生するものであるから、言語化を行なわない他の動物には意識は発生しない。故に、意識とは言語認知機能を持つ人間だけに発生するものであると結論付けられる、ということになるのだそうです。 しかしながら、複数の対象を比較・分類した論理的な結果が無意識のうちに選択されるということはありません。従いまして、意識というのはこのために発生するものであり、人間には言語認知機能があるために意識が発生するというロジックは、果たしてこの時点で本末転倒ということになります。 現時点での脳科学における認識を述べますと、意識といいますのは表象能力を有する高等動物の脳内には必然的に発生するものです。そして、「表象能力」とは間違っても言語能力ではなく、それは「外界の現象を主体的に扱う能力」と定義され、大脳皮質における認知機能の発達に伴い、生後どの個体にも必ずや獲得されてしまうものです。 学習能力を有する動物は与えられた知覚情報に対し、それが過去の体験記憶と同じであるかそうでないかの判別を行ない、これに従って行動を選択します。これは明らかに知覚情報と記憶情報に対する表象化を行なっているということであり、これに基づく論理的な判定が無意識のうちに下されるということはあり得ません。 では、「何故それが意識なのか」といいますと、我々動物が無意識行動として選択できるのは本能行動や情動行動のように、「反応の結果が予め決まっているものだけ」に限られるからです。従いまして、意識というものが言語化を行なうことによって発生するものであるとしますならば、イヌやネコ、あるいはチンパンジーなどの高等動物が論理的な行動を選択するという事実に全くの説明が付けられなくなってしまいます。 では、現在では昆虫類に至っても何らかの学習能力を有することが広く認められています。ですが、爬虫類以下の下等動物といいますのは脳の構造が我々高等動物とは系統発生的にはっきりと異なります。従いまして、脳の構造や機能が違うのですから、果たしてそれを「我々と同様の意識」と呼ぶことができるかどうかは分かりませんが、少なくとも、それは大脳皮質などの「新皮質」を発達させた高等動物の脳内では「全く同じ現象」として発生するものであると考えられます。 哲学だからといって科学的事実を無視して良いという理屈はないです。むしろ全ての真理とは必ずや客観的事実を前提に導き出されるものでなければなりません。 アウェアネスには「覚醒」といった意味が含まれます。我々の脳では外界からの知覚刺激によって「通常覚醒状態」から「注意状態(選択的注意状態)」に移行することによって意識が発生するわけですが、このプロセスが「覚醒」という言葉に対応します。アウェアネスといいますのはこれによって発生した意識の下で主に「論理的な状況判断」が成される過程をいうものであり、果たしてそれは我々の「コミュニケーション能力」に重要な役割を担います。 このため、営利目的の「能力開発講座」などでは電話や電子メールなどでは「アウェアネス情報」が不足するため、それが円滑なコミュニケーションに支障をきたすなどと紹介されています。ですが、ここにわざわざアウェアネスの概念などを用いる必要というのは全くなく、このようなものは「コミュニケーション・チャンネル」といった概念が宛てがわれ、従来からの心理学では立派な研究対象となっています。ですから、それはテレビ電話といった新しいメディア開発などでは既に「実用心理学」として研究されており、少なくともアウェアネスなどより10年は進歩しています。 この東京大学の学者さんの間違いは、恐らくアウェアネスを我々の意識や行動、あるいはコミュニケーション能力の「覚醒を司るもの」として扱ってしまったことです。意識がどのような形で発生しているのかということはまだ解明されていません。ですが、言語化を行なうために意識が発生するのではありません。意識が発生するから言語化が可能になるのです。少なくともこれだけははっきりとしています。科学的事実とは考え方が全く逆さまであり、本末転倒とはそういう意味です。このため、その論説は端から客観的前提というものを失っています。 繰り返し申し上げますが、アウェアネスやクオリアといいますのは意識現象の結果やプロセスを分類するための概念であります。従いまして、このようなものの原理や意義を哲学で取り扱おうとするならば必ずや事実とは異なる結果に辿り着くことになります。 飽くまでそれは我々の思考や行動などの研究に用いられるものであり、アウェアネスやクオリアといった概念によって意識現象を解明しようというのは手法が完全に間違っています。まして能力開発講座のテキストのように、決してそれを科学的な根拠などと称して持てはやしてはなりません。 とはいいましても、きちんとした哲学者さんであるならば、まさかこれほどまでの間違いを犯すというのはちょっと考えられないのですが。 ついつい余計なことばかり書いてしまいましたが、宜しければ今後の情報収集の参考として下さい。
お礼
ご親切に有り難うございました。 それにしても、回答がつかないものですね。 生物カテでやるべきでしたかね。
お礼
的確な回答を ありがとうございました。 私自身も若干カテ違いの感はありましたが、 現在の心理学カテではこのような論理的で学術的な 回答が得られないのが現状のため、哲学カテにおいて 質問した次第です。 私の短くつたない文章から、意図を汲み取って頂き アウェアネス、クオリアを分かりやすくご説明して頂き 本当に感謝しております。
補足
意識とは人間だけに発生するという哲学的なロジックはどのように導かれたものなのでしょうか?もしよければお教え願えませんか?