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なぜ創価学会が良いのか?

私の周りには数多くの学会員がいますが、何がそんなに良いのか全く理解できません。たかだか人間一人(池田氏)を崇拝し、聖教新聞や公明党推薦によって周りの人々を苦しめ、会員本人も仏壇・墓・お布施によって多くのお金を吸い取られ・・・それでも熱心に信仰するのは何故でしょうか? 私が周りの学会員を見て感じることは、自分のことしか考えてないなぁ~と思います。自分の幸せの為に祈り、それが良いからと言って自分の価値観を無理やり他人に押し付ける。簡単に言えばそんなふうに見えます。 おそらく聖教新聞や公明党を勧めるのは、自分の格をあげる為ですよね?少し善人な人であれば、それを勧めることが本当に相手の為になると思っているのかもしれないですが、どちらにしても自己中心的な考えですよね? 人それぞれに価値観があると思いますから、私は創価学会に入っている人を批判はしませんが、周りに押し付けるのは勘弁してほしいと思います。それが本当に宗教的に良いことだと思っているのでしょうか?学会員の方に是非お聞きしたいです。

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回答No.8

ご返信ありがとうございます。 私の母は狂信的な学会員、父はご本尊は信じて入信はしていたが学会組織は大嫌い、という両親でした。母は何事よりも学会を優先する人で、 父とは毎日のように学会のことで夫婦喧嘩が絶えませんでした。 私も当然のように入信させられ、小学生の頃から活動を強要されました。 私自身は学会の会合や活動が大嫌いで、会合の連絡が来るたびに嫌でたまりませんでしたが、そんなことを言えば母から厳しく叱責されました。 母は私が悩んでいてもまともに聞いてもくれず、ただ「ご本尊に祈りなさい」と言うか、「イヤイヤ会合に行っているからだ」と叱るだけでした。 学校でいい成績を取っても「ご本尊様にお礼しなさい」が常套句で 私自身の努力を認めてくれることはありませんでした。 子供心に、学会の家庭じゃない友人がすごく羨ましかったです。 親というものが、子供の努力を認めてくれるものだと知ったのは中学生の 時です。 それでもやはり、幼い頃から刷り込まれた「学会を辞めると地獄に堕ちる」という教えは根強く残り、学会に馴染めない私が悪いのかと考えたり して、脱会しようとまでは思いませんでした。 私にも子供がいて、生まれて一ヶ月で入会させました。 小学生の時までは、子供の会合でのゲームや、お菓子がもらえることが 楽しくて(^^;割と喜んで行っていたので行かせていましたが、中学生 になった頃から徐々に疑問と「胡散臭い」と言うようになり、会合自体を 嫌がるようになったので、気持を尊重して無理強いはしていません。 この点では主人も意見が一致していて、将来子供の判断で脱会しても 構わないと思っています。 両親とは10年ほど前に絶縁しました。 父は無残な晩年を送り数年前に他界(葬式には行きませんでした)。 母は年金生活を送っていますが、母の兄弟姉妹の中では母が唯一の学会員 ですが、お金のことで兄弟に迷惑をかけまくり、母が一番不幸な境遇になっています。 学会員であろうとなかろうと、幸・不幸は無関係です。

noname#37435
質問者

お礼

度々のご回答ありがとうございます。私の親戚も同じような環境でした・・だから家族はバラバラです。一般人の考え方からすると、宗教のおかげで成績がよかったり幸せになるなんて考えられないんですけどね・・。全ては自分の力で物事は良い方向に進むんですよ・・もちろん、minato0911さんが良い成績をとれたのもminato0911さんの努力以外の何ものでもないのにそんなことも分からなくなるなんて・・・本当に宗教は怖いものです。「学会を辞めると地獄に堕ちる」というのも本当に言われていたことなんですね・・さすがに、そんなことは言わないだろうと思っていたのですが・・。これも一般人から見れば“あり得ない”って笑い飛ばせるところなんですが、学会の教えがインプットされているとそうもいかないのでしょうね。そもそも、宗教団体なんて人間が作り出したものなのにそれを辞めたぐらいで地獄に堕ちるような力はないですし、宗教はするのもしないのも本人の自由ですから、脱会すると言う人も素直に受け入れることが本来の宗教のあり方だと思うのですがね・・。 この度は宗教によるお辛い人生をこの場で語っていただき、本当にありがとうございました。minato0911さんが宗教の負の部分に気づいたおかげでお子さんまで同じような目に合わさずに済むことがせめてもの救いですね。

その他の回答 (7)

回答No.7

こんにちは。元学会二世です。主人とは学会員同士で結婚しました。 昨年私だけ脱会しました。 まだ人生では学会員だった頃の方がはるかに長く、その中での思いや 経験をお話したいと思います。 私の直接の脱会理由は大まかに言えば「地元組織への不信」です。 元々熱心ではなかったのですが、会合に出ればそれなりに楽しいことも ありましたし、学会のこと以外でもお付き合いができる婦人部の人も いました。しかしそれは、「学会員同士・池田名誉会長を尊敬している」と いう条件付の親密さでしかありませんでした。 私が2年前の選挙で「どうしても公明党を支持できない」と言ったことで それがはっきり分かりました。応援できない、と言う前にきちんと 地区で開かれた「公明党の勉強会」に参加しました。 当時の争点は私の仕事にも関係していたので熟慮の上での判断でした。 直後から婦人部の人たちの「公明に納得できないならもっと勉強してっ!」 「幹部の指導を受けて」と電話攻撃と連日の家庭訪問。 支持できない理由を話してもきちんとした説明がなされず、相手が言葉に つまるととどめの「池田先生のために!」 それから徐々に仲が良かった(と思っていた)人も離れていき、道で会っても 無視か睨んでいく。だんだん悲しく、バカバカしくなり、本部に直接脱会届を送付しました。 学会では「人権」を理念として大きく掲げていますが、基本的な権利の 選挙権すら自由になりません。 また「学会では真の友ができる」という意味のことを教えられましたが こんな条件付の親密さ・友情なんていりません。 今、rei_oo_kaさんの周りの学会員が優しく、親しげにしているのは 「いずれは入会を」と思っている部分もあると思います。本当に親切な 人もいるので、全員がとは言いませんが。 池田名誉会長は遠い人です。いくら立派な表彰を外国から受けていても 普段会うわけでもなく、尊敬できなかったですし、どうでも良かったです。 大事なのは身近な人たちとの人間関係です。

noname#37435
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。あなたの体験談を、是非No.5(No.6)の方に見ていただきたいものです。所詮、宗教団体の中の人間のつながりなんてそんなもんですよね?宗教という鎖でつながれた間柄ですものね・・。そんなしがらみのない普通の友達や家族の方が余程“本物”だと思います。私の本音としては、家族という最も大切な間柄でさえ「宗教」が絡むと壊れるものだと思っています。宗教に対する思い入れが強ければ強いほど、他の大事なものが崩壊していくんですよね。私はそんな親戚を数多く見てきていますので・・。理性を保って宗教をし、周りの本当に大切なものを見失わないことのできる人だけが宗教をする資格があると思います。 ところでminato0911さんは学会2世ということですが、2世ということは子供の頃から学会の教えを叩き込まれてきたわけですよね?そのあなたが、学会に疑問を抱き、脱会までしたことは本当に凄いことだと思います。強い意志と相当な勇気が必要だったことでしょう?No.4の方も同じ経験をされたようですが、本当に賢く・強い選択だと思います。脱会されたり、学会に疑問を持つのは、2世の方が多いようですね?私の主人もそうですし・・。宗教とは本来自分の意思でするものなのに、まだ何も分からないうちから子供を入信させて自分の信じる宗教を教え込ませるなんて親のエゴだと思います。結果的に、あなたやNo.4の方のご両親を責めるような形になってしまってすみません・・。でも、子供は被害者だと感じます・・。

noname#173349
noname#173349
回答No.6

質問者の質問に答えて2度目の投稿となります。 >創価学会に入るまでは、あなたのご家族やお友達はあなたの悩みを真剣に聞いてくれることはなかったのでしょうか? いえ、友達はたくさんおります。友情は青春の宝です。 身近な悩みとなれば、友達というのは必要不可欠です。 しかし、数少ない「親友」がいたとしても、その人にだって悩みがあるし、それを解決する術をもっていない場合も多いのだから、 他人の悩みをどこまでサポートしてくれるかわかりません。 >最終的に悩みを解決できるのは自分だと思っています。どんな困難に当たってもその悩みを自分で乗り越えることが人生の修行だと考えるからです。 その通りだと思いますよ。ようは、自分です。学会でもよく「祈りは叶う」と言いますが、あくまで叶える主体は"自分"です。 病気を治すのは、薬ではなく、"自分"であり、金を稼ぐのも"自分"の努力に他なりません。その力を引き出すのが、信仰です。 努力を続けていくための"生命力"を引き出すのが、信仰です。 努力なくして、苦労なくして、仏法の真髄はありえないのです。 >ところで、創価学会の人は「死」という場面にどう対処するのですか? 死ぬときは死にます。いつ死ぬかわからない。 だから、「今」生きているこの瞬間を大切にせよと教えるのが仏法だと思います。 一言で言えば、生命を強くすることです。生命が永遠であることを説いてますから、その永遠である生命を磨けということです。 実践です。人間革命することが、そのまま死への準備となります。 死ぬということは、今まで身につけていたもの―財産・地位・名誉・学歴―すべてが剥ぎ取られます。生命そのものがどうなっているかという真実と一人で向き合うことになる。それが死です。そして、仏法では、仏法に身を染めた人は、生きるときも、死ぬときも「歓喜」であることを教えます。 >“しつこい勧誘”をするのはありがた迷惑になります。 お気持ちはよくわかります。信教の自由というのは、教える自由もあるし、断わる自由もあるということですから、自由に対して、一方の自由を行使してくださいとしか言いようがありません。

noname#37435
質問者

お礼

>他人の悩みをどこまでサポートしてくれるかわかりません。 →私は悩みのサポートを相手に求めてはいませんが、求める人にとっては学会のような場が必要なんでしょうね・・。そもそも、私の考えとしては家族が他の誰よりも自分のことを理解し、本気で心配してくれると思うのですが・・。そうでない家庭もあるということでしょうかね・・ >努力を続けていくための"生命力"を引き出すのが、信仰です。 →宗教という土台で努力をせずとも、日常的な場(仕事・勉強など)で努力をすればいいことでは?普段の生活の中で、その日その時を精一杯に生きていれば自ずと“努力を続けていくための生命力”というのは身につくと思うのですが・・。失礼があったらお許しください・・無宗教である私の感覚としては、宗教という非現実的な場に時間を使うよりは、それを現実的な場に生かした方が余程人間的に成長すると思うのです。勤行をすることによって魂のレベルを上げるというのであれば宗教的考えからしてまだ理解ができます。しかし、聖教新聞や選挙活動をすることなどが修行になるとは到底思えないのですが・・。学会員には聖教新聞ノルマ等があるそうですね?そういうものはノルマを決めてやることでしょうか?学会員たちが本当に良いと思ってそれを世の中の人たちに知らせたいと思うのであれば、ノルマ等課せずとも自分たちの意思で広めると思うのですが・・ >「今」生きているこの瞬間を大切にせよと教えるのが仏法だと思います。 →これは私も同じ考えです。わざわざ宗教に学ばずとも日々の生活を一生懸命に生きていれば自然に感じることだと思いますが。ただ、「生きる目的が無い」「生きていても楽しくない」という人達が、このような宗教によって生きる喜びを感じられるのであれば、宗教も良いものだと思いますがね・・・宗教の最終的な目的はそういうことなのでしょうか? >一方の自由を行使してくださいとしか言いようがありません。 →断って一度で引いてくれれば何の問題もないんですがね(^^;何度も何度も言われると創価学会恐怖症のような状態になってくるんですよね・・。上記にも書いたようにノルマ等があるからこんなにしつこくなるんじゃないですか?学会の中で、そういう問題についてもよく話し合っていただけるとありがたいのですが。

noname#173349
noname#173349
回答No.5

創価学会ほど、温かい組織は見たことがありませんね。 冷たくて、よそよそしい世間とは違って、学会のなかには家族のような安心感があります。苦しんでいるときも、他人事ではなく、自分のことのように悩んで、祈って、はげまし続けてくれる大勢の人たちがいます。そんな庶民の優しさがすみずみまで広がってる温かい団体です。 創価学会がどうして良いのかは、個人の問題かもしれませんが、少なくとも私はここに人生を学びました。 人間は、いつか必ず死にます。無宗教の人たちは、この事実にどう対処していくのでしょうか。 お金も、解決してくれない。学歴、権力、地位、いずれも幸福を保証してくれるものではない。 親も、教師も、友人も、「死」という場面では助けることができない。 この厳粛なる運命を見つめて、今生きている人生を価値的に生きていくための宗教だと思います。

noname#37435
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。創価学会に入るまでは、あなたのご家族やお友達はあなたの悩みを真剣に聞いてくれることはなかったのでしょうか?もし誰も聞いてくれなかったけど学会員だけが聞いてくれたというのであれば、あなたが創価学会を好きになった理由はよく分かります。ただ、そうやって学会によって幸せになった人が周囲にも同じ気持ちを知ってもらいたいと言って“しつこい勧誘”をするのはありがた迷惑になります。これだけは心に留めておいて欲しいのですが、学会によって幸せになる人もいますが、学会を必要としない人もいるということです。soka123さんは“しつこい勧誘”をしてないかもしれませんが、私の周りにはそんな人もいるのでこの場を借りて学会を必要としない人の意見を書かせて頂きます。まず、私は家族や友達に悩みを聞いてもらえます。但し、最終的に悩みを解決できるのは自分だと思っています。どんな困難に当たってもその悩みを自分で乗り越えることが人生の修行だと考えるからです。また、私も「死」は恐れますが、人間である以上かならず死は訪れます。それは宗教をしていてもしていなくても同じことですよね?私は「死」という場面を誰からも助けてもらいたいとは思いません。私に「死」が訪れるとき、それは神・仏が私に「死」をお与えになった時だと思いますので。ちなみに私は無宗教です・・・神・仏は信じますが・・。ところで、創価学会の人は「死」という場面にどう対処するのですか?

  • yukkymama
  • ベストアンサー率31% (15/47)
回答No.4

学会2世です←親が学会員の子供のことをいいます。 そしてアンチ学会です。 親が狂信的な信者で自宅を会合に提供していました←私がやめさせました。そして私は創価系の学校もでています。私自身子供の頃からの洗脳でやめることもできず幹部もしていたことがあります。脱会届もだしたいところですが親との折り合いもありますので思いとどまっています。 貴方様の質問は本当にその通りです。そしてあれほど嫌われる行為をしながらも、回りの学会の人への人権尊重というか思いやりをなんとなく文面から感じました。私の人生談になりますが、このサイトをみた学会側が私を特定してくるかもしれないので間接的な表現になるかもしれませんがご了承ください。 あなたに知ってほしいことはまず学会によって一番苦しんでいるのは、狂信的な信者の家族だということを知ってほしいです。そしてあなたに新聞などをすすめてくる大半の人が実はすごいストレスを抱えながらすすめているという事実←どうしてすすめるのか後々お話します。それから創価学会員駆込寺というサイトがあります。学会をよく知る私としてはこのサイトの脱会体験記を広くみなさんに読んでほしいです。このサイトの脱会体験記はすべて真実だと思います。このサイトの管理人となんの関係もありませんが全くの個人でなんの利益も求めていないと思います。私のように学会に長くいた人間にとっては内容をみればこれは実は○○○会で運営しているんだというように解ってしまいます。そして組織がらみのサイト等はまあ週刊誌のようにあまり信憑性はありません。 これから書きたいことがいっぱいあるので支離滅裂になるかもしれませんがご了承ください。 私の両親は私が生まれたときから熱心な信者でした。父はとにかく折伏←勧誘のことです、などとにかくすごい成果をあげる人でした。母はバカがつくほどまじめに活動し、新聞配達からはじまり、夜の9時まで家のこともする時間もないほど言われたことをすべてやっていました。おかげで一家団欒もなくご飯もまともなものも食べられず、子供のころの学校や家での生活は長くなるのもありますがあまり思い出したくもないようなものです。そして子供の頃の真っ白なキャンパスに学会は正しい、池田大作先生はすごい人、この信心をやめたりご本尊を誹謗すれば地獄に落ちる、この3つを徹底的に塗りこまれます。学会の子はおかしいと思っても誹謗するのはだめなことと思っているので学会に対する不平不満を押し込めるようになります。実際親に学会の悪口など言ったら大変です。地獄に落ちるなど言われます。こんなのおかしいと思いながら学会に所属していた私の見た学会を語ります。 なんでそんなに熱心にやるのか?私自身幹部をしていたのでよく解りますが、学会の美学は寸暇も惜しんで活動することなのです。そして徹底した組織と思想の統一です。私の女子部の幹部時代の話しですが(女子部と婦人部では少し雰囲気が違うので女子部の組織の話しです)、活動化の部員さんが少しでも学会の意向と反していると見抜けばすぐに直属の上司みたいな人に報告し←すべてその上に報告がいきます。徹底的に学会の組織にのせてあげるんだという名目で同じ考えにさせます。そして学会活動は毎日のようにあり、若い女性が帰宅は夜9時過ぎです。仕事が遅い人は祈って時間革命境涯革命しましょうとか言われます。人材グループとか呼ばれるところは活動や言動がもっと過激になってきます。 私もそうでしたが学会の悪口を言われるのは学会員はつらいのです←いまはなんともありませんよ。そして新聞の勧誘や折伏や選挙のことがあるので学会なのに不幸だねと言われるのが怖く学会の人は基本的に自分の悩みを学会以外の人には話しません。おのずと周りの学会の人や学会の自分の上司のような人にしか話さなくなります。そうすると昔の学会はとにかく題目だ!でしたが、今の学会は「折伏、選挙、新聞啓蒙」この3つのうちどれかを時期によって「人間革命には○○よ!」とか言われます←学会の首脳部でどれを重点にやるか決められていますそして抜群の組織性で会社でもないのにそれがすぐに広まります。具体的な目標数値まで決められその達成のために組織をあげて会社のノルマのように躍起になります。本当会社のノルマと同じで世の中的にみたらたいしたことではないのに達成しなければダメ人間、達成したら英雄です。そして個人のためではなく世の中の平和のため、相手の幸せのためだと教えられます。 なんでそんなにおかしいことしているのに気が付かないの?と思いますよね。それはどの宗教でもそうでしょうが多くの人に信こう体験があり裏切ったら罰があたるとか、学会は正しいんだから自分の考えが間違っているんだとか、考えたりします。そしてご存知のように反逆者←私もその一人なんでしょうが、滅多打ちに罵られます。その罵りさえも自分の中にある悪を断ち切るため必要・・・と言われ・・・おかしいと思っている学会員は意外と多いんですよ。 聖教新聞は毎日のように配られ会合、折伏、選挙、学会員には自分の時間がほとんどありません。忙しい会社の人は仕事は持ち帰ったり顧客への電話等もありますが一応きりというか家に帰れば休めますよね?学会の幹部はそうはいきません。会社のようなノルマ体質なのに、会社に出社しないでそれをやるのです。連絡、関連書籍新聞等の購読、会合の企画運営、布教活動、そして部員さんを励ましましょう!!!とかいって家庭訪問←幹部がこれをしないとダメ人間にされます、そして学会員が目標にするお題目一時間等々きりがありません。そしてこれを数多くこなした人が賞賛されます。そのような人が活動報告をしたりてこんないいことがあったのよみたいな信こう体験を話すのでみんなそれを目指します。悩みのない人はいないと思います。学会の人は学会活動でしか悩みは解決できないと考えるようになります。私は子供の頃一時不登校をしたことがあります。いま思えば自分でも口にすることができない苦しさがたくさんあり一気に爆発したのです。考えてみれば本当にひどい生活で精神状態でした。親が私の話しを真剣に聞き、家事をすればすぐに解決したことでしょうが、まず親が私にすごい憎しみをあらわにし殴られたりしました。そしてますます学会活動をして題目を唱えていました。今思えば学校の先生や同級生の思いやりには感謝感謝です。それでも私は自分の本音さえ押し殺しているので何が原因なのかさえ考えることができませんでした。 学会の一つの考えは学会でしか本当の人間関係を築くことができないです。学会を辞めた今私は自分の悩みを友人に話すことができそれが一つの解決方法だということをしりました。そして本当にいい夫にめぐり逢い幸せです。夫が学会に反対していたため学会に居た頃夫と別れろみたいなことを言われたことがあります。今思うとおそろしく本当に苦しかったです。心の奥では夫の意見に賛同なのに言ったら地獄行き?みたいな。あと私が学会を辞めた理由は結婚でではありません。家庭内の問題←本当に洒落にならない大変なことが起こり、そもそもはその問題が勃発したのは親が学会にのめりこみ親として人間として間違っていたからだということに気がついたからです。学会の人は学会の人に災難が降りかかるのは「信心がどこかおかしいからだ」といいます。しかし家ほど真剣にまじめに活動してきた家はこの世の中ありません。 それからご質問にありました、多額の財務は家の親はお金もないのに白百合の華を咲かせましょうなどと言われ、百という字が入っていますよね、百万しましょうということです。保険を解約してやりました。でも学会の人に誰一人として多額の財務をしているという意識はありません。功徳で返ってくると信じています。それから対立組織の方に行くと寄付をしぼりとられるんだそうです。私はお嫁入り道具は百円ショップで充分いいのがそろうのよと言われました。私はあまりしていませんが、会館は使用しているので維持費もかかるし一万はしましたよ。その寄付がどこに行っているのか出てからよく解りました。池田名誉会長の名誉○○賞、同じ賞を福永法源さんももらっていてよくわかりました。でもこの事実を学会の人は一切しらないのです。そして知ってもそれも必要でしょう、まず池田先生の素晴らしさを教えるためには・・・という答えが返ってくることでしょう。あと日顕さんとの裁判も負けているほうがはるかに多いことも知らされていません。週刊誌は読むなといわれていますし、学会の購読物がすごく多いので知る機会もありません。 私が出産するときに母が、「おなかの子には元気に産まれてもらうようしっかり祈らなくちゃ、○○さんに(学会のかなりクセ者の人)障害児が産まれたらなんて言われるか解らない!」私が脱会同然なので悪いことがおこるとみんな信じているのと、この母親の信じられないような発言が学会の中では横行しています。障害児を持つ親御さんご本人に土下座してお詫びしたい気持ちでした。ちなみに学会員の人の家に障害児の子供が産まれると全国共通で過去是の宿業だと言われます←しかも陰で。世の中の母親はだれしも障害児の親になる可能性はあります。ですがどうやって少しでもその子が幸せに生きられるか親が自分を内省し学校のことや生活のことを真剣にどれだけ関われるかおなかにいるときから考えることも大事だと思います。そして真の宗教を持っているのなら妊婦は誰しも不安なときです。宗教国籍を越えて思いやりのある言葉をかけてこそ人間であり、宗教者だと考えませんか? 池田大作さんがなぜこれほど崇拝されるのか、私なりの解釈ですが、その一つは怪しい教祖と違ってお金女性にだらしなくないことでしょう。そして彼の求めるものはそのようなことではないこと←真実は本人にしか解らないでしょう。そして自分で実践して創価学会を大きくしたことと、学者等知識人ともものおじしないで話せるほどだれよりも日蓮の教え法華経のことを勉強していること。そしてそれを取り込んだ指導をすること。人の心をつかむおおらかな雰囲気と腰が低いことでしょう。ちなみに私は学会員さえほとんど逢った事がない池田さんに逢ったことがあります。目配り気配りが行き届いています。彼のいうことは立派ですが、それによって創られた組織でどれほどの人が苦しんでいるのか考えてほしいのです。そこまで学会員いわく慈悲があるのならとっくに手を打ってくれてもいいはず。。。 長くなりましたがけちょんけちょんに学会のことをいいましたが、学会が香典を持っていくというのは全くのデタラメということと、池田さんはじめ学会が自ら法を犯すようなことはしないことは確かです。選挙のときもかなり過激に運動をしますが、こうすると選挙違反になりますみたいのはかなり徹底しています。 あと周りの学会の人いつか私のように辞める人がでるかもしれません。どうぞ温かく迎えてあげてください。私はいまでも近隣友人の思いやりに感謝しています。あと義母に親が集まりの誘いをして学会に入っていることが解りあとから打ち明けたとき、「何かにすがりたいほど苦しいときもある」といわれたときの義母の言葉は忘れられません。なんか救われた気持ちでした。

noname#37435
質問者

お礼

詳しい体験談を本当にありがとうございました。お辛かったでしょう・・・実は私が何故これほどに創価学会を気にしているかというと、主人が2世、主人の両親が学会員だからです。主人の実家は会合の場になっています、おそらく義父が役員なのでしょうね。幸い、主人は学会というか宗教嫌いなので私には大きな被害はないのですが、主人の実家に行くと“公明党よろしく”“一緒にお題目しようか?”“創価学会も楽しいよ~”など言われます。私は断れるのでそれほど苦痛ではないのですが、ゆくゆくは同居を希望されていて・・そうなると今のままでは済まないだろうなぁと思うんですよね。義父母は本当に良い人で、宗教のことを除けば上手くやっていけると思うのですが、特に義父はとても理知的で常識的な人なのでそんな人が創価学会にハマルのが不思議だったのです。マインドコントロールとは恐ろしいものですね・・本来、日頃の行いが良ければ宗教的な行いが悪くても地獄に堕ちるはずはないんですけどね、そんなことも分からなくなるんでしょうね。ちなみに創価学会員駆込寺は拝見したことがあります。脱会するのにあんなに苦労する宗教なんておかしいと思いますね・・その他のいろんな出来事もオウム真理教を思い起こさせますね、ただ犯罪をおこさないというだけで・・。主人も宗教を嫌っているということはyukkymamaさんのように複雑な思いが幼い頃からあったのでしょうね。でも、宗教嫌いの主人でも、つい最近まで何の疑いも無く公明党に入れていたので驚きました。公明党のどんな政策がいいの?と聞いても分からないので「選挙というのは人に言われて入れるもんじゃなく自分が良いと思った党に入れるんだよ!ちゃんと各党の政策を見なさい!」と言ったら、先日の選挙では他の党に入れていました(^^;創価学会恐るべしです・・。

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1678)
回答No.3

創価学会壮年部の者です。 先ず最初に、信教(宗教)の事ですから、「信じる」「信じない」は個人の自由です。また、それを自身を基準に非難する事もあってはならない話です。 >たかだか人間一人(池田氏)を崇拝し、、、、 ・池田大作氏は創価学会の現名誉会長であり、創価学会の信仰の対象ではありません。崇拝をしている訳ではありません。 信仰の対象はあくまでも日蓮大聖人の残された「御本尊」です。 池田名誉会長でさえも、日々御本尊に祈り、行動されています。 これは、全学会員共通です。創価学会創立以来、初代牧口会長の時より少しも違ってはおりません。 >聖教新聞や公明党推薦によって周りの人々を苦しめ、、、、 ・確かに啓蒙活動や選挙支援がエスカレートする中で、度が過ぎてしまい相手の方に迷惑になることも多いようです。これは、反省しなければならない点でしょう。 しかし、何気なく見た聖教新聞の記事がきっかけで、創価学会に理解を示し、自身が入会に至るというケースがあるのも事実です。 また、選挙支援にしても、公明党の実績を語る中で、庶民に直接関わりのある実績を理解され、快く応援していただけたり、「今回は、誰からもお願いされていない。」と言って、一票に繋がる事もあるのです。選挙は「勝つか負けるか」ですから、そういった一人の一票を最も大切に考えているのは、学会員だと私は思います。 >会員本人も仏壇・墓・お布施によって多くのお金を吸い取られ・・・それでも熱心に信仰するのは何故でしょうか? ・信仰の中には「布施業」といって、「法」に対して真心より御供養するといった修行があります。真心から供養をする事で、「仏になれる」といった逸話は数多く残っています。 次元は違いますが、貴方だって恋人や親友からの真心がこもったプレゼントをいただいたりするととても嬉しいでしょう。 貴方の仰るように、「お金を吸い取られ、、、」なんて思ってする事には真心とはとうてい言えませんし、そんな心に功徳なんて顕われるはずはありません。 仏壇・墓といいますが、これは日本人として何処かのお寺(日蓮宗・天台宗、真言宗、浄土宗、曹洞宗など他多数)に属していて、祖先に亡くなった方がいれば、仏壇があったり、何処かに実家の墓があったりするのは当たり前です。まして、創価学会の墓地公園などに比べればとんでもない高価なものです。お寺さんへの維持費や供養なども馬鹿にならない金額でしょう。 創価学会の次元から言えば、「仏壇・墓・お布施によって多くのお金を吸い取られている」のは、実は先にあげたお寺さんなどに属している一般の方々でしょう。 >私が周りの学会員を見て感じることは、自分のことしか考えてないなぁ~と思います。自分の幸せの為に祈り、それが良いからと言って自分の価値観を無理やり他人に押し付ける。簡単に言えばそんなふうに見えます。 ・元々、宗教の目的は「人類の救済(人の幸せ)」を説くものですから、創価学会に限らず自身の幸せを求めて祈り行動するのは当たり前です。 ただ、自分の事だけを願っているかと言えば、そうではないのです。 友人や地域の方の事も祈っている事もあります。 現実の生活の中で、宗教というものを基盤にして生きている人間と、そうではない人間がいるとしたならば、当然として物事の認識や価値観は違ってくると思いますよ。それは、生きている次元が変わるからです。 自分という人間、他人という人間に対する価値観がまるで違うのです。 貴方が「自分のことしか考えてないなぁ~。」というように見えるのも間違いではないでしょう。 >おそらく聖教新聞や公明党を勧めるのは、自分の格をあげる為ですよね? ・全く違います。全ては「法」の為に行っています。 >少し善人な人であれば、それを勧めることが本当に相手の為になると思っているのかもしれないですが、どちらにしても自己中心的な考えですよね? ・それも違います。しかし、貴方の立場から見れば、そういう風に映るのも当然でしょう。先にも書きましたが、それが価値観の違いなのです。 >人それぞれに価値観があると思いますから、私は創価学会に入っている人を批判はしませんが、周りに押し付けるのは勘弁してほしいと思います。それが本当に宗教的に良いことだと思っているのでしょうか? ・宗教的次元から考えれば、正しい法を流布するのは、最善の事なのです。反対に流布しない事のほうが悪人です。 それは、先にも述べましたが「仏の教えは人類救済」にあるからです。人を苦悩の渕から救う為に、仏は法を説かれたのです。流布しなければ目の前の苦しむ衆生を救えないのです。 例えば、貴方の社会での専門分野は何か分かりませんが、後輩が何かをするとして、それをすれば明らかに間違いになったり、会社に損害を与えたりしてしまう事が先輩の貴方が気が付いていたら、正しいやり方を教えるでしょう。それと同じような事なのです。 ・「押し付け」ではないのです。今で言う、宣伝なのです。 新しいTVや冷蔵庫、車や化粧品などが誕生するとCMが流れるでしょう。要は宣伝と同じなのです。ただ、流布というのは、人間が人間関係のある人に話をしていく、伝えていく、ということなのです。 中には、一切宗教の話をしていないのに、長い職場でのお付き合いの中で、その人の人間性にひかれて創価学会に入会する方もいらっしゃいます。 ・また、私たち人間の一生においては、自分の力、あるいは考えではどうする事も出来ない事態に陥ることもあるでしょう。何か解決策や方法があればそれを実行すれば良いのです。 しかし、どうする事も出来ない時に、人は「何かに」祈りを捧げる必要性に迫られるのです。 ここに、宗教の持つ大きな意味があると思います。 ※最後に、、、、、 長くなりごめんなさいね。 貴方自身が仰っているように、「人それぞれに価値観がある」話ですし、見えずらい「宗教」という話でもありますので、一創価学会員として私なりのお話をいたしました。 納得できない点もあるとは思いますが、是非またご質問いただけたらと思います。 それでは、、、、、

noname#37435
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。いろいろ言いたいことはあるのですが字数制限があるので一つだけに絞らせていただきます。正しい法を流布するのが最善と書いてありましたが、それが自己中心的な考え方だと感じるのです。もちろん創価学会の人にしてみれば、その教えが正しいのですが私にとっては正しいと思っていないのです。私は苦悩の渕にいる時に仏に頼ろうと思ったことはありません。そこから自分の力で道を切り開くことこそが人生の修行だと思っているからです。いわば、苦悩というのは神・仏から与えられた試練だと思っているのです。私は自分が幸せであることの感謝をすることはあれど、自分の幸せを祈ることはしません。それだけでも宗教と考えが合いませんが、私は先祖供養のために般若心経を唱えます。それも否定されたことがあります。お経に正誤があるとは思えませんが。相手のやり方を否定してまで自分たちのやり方をすすめることが押付でなく何といえましょうか?

  • hyakkinman
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回答No.2

NO1です。なぜ、よいのか?という質問に答えていないので、追記します。 「信ずる者は、救われる」それが、宗教の極意だからです。 どんな宗教であっても、やっている本人が心から信じていれば、思いもよらない力を発揮したりすることがあります。それで幸せな気持ちになれるからです。 だからといって、他人に強要するのは「人」としてよくないと思います。十人十色の考え方があるからです。 人間は歴史の中で、「宗教戦争」という愚かな行為を繰り返してきました。今もあります。 また、日本でも「宗教観の違いによるいじめ」や「言葉の暴力」が絶えません。悲しいことです。 どうか、そんなことで対立したり、人を嫌いになったりしないでください。 わたしたち・・いや、私も気をつけますから。 ついでに言うと、私たちは日蓮宗をもとにして活動していますが、教えそのものは、他の宗教や細木数子さんの言っていることとそれほど変わらない「人間らしく生きるための知恵」です。 どうやら、わたしたちの解釈が少し間違っているようです。 「人間らしく生きて、みんなと仲良く。」なれるよう、心がけたいです。

  • hyakkinman
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回答No.1

私は、学会員です。ほぼ同じ疑問を抱いています。 1.それでも熱心に信仰するのは、洗脳されているからです。そうすれば幸せになれると信じているからです。 2.そういう簡単な人は、多いです。元になる教えの解釈がむずかしく、いろいろな解釈の仕方があるからです。中には、そうでない人もまれにいます。 3.押し付けは勘弁して欲しい。そのとおりです。宗教は自由です。学会に入らないと不幸になるなんてことは、100パーセントありません。 4.「他の宗教は、まちがっている。」と言う我々のほうが間違っていると思います。宗教家たるもの、他の宗教をやっている人の悪口を言うのは、言語道断です。「平和」を叫びながら、人の悪口を言うのは矛盾しています。言葉の暴力です。それが書いてある新聞も勧めていません。 あなたのようなかたの意見を素直に聞きながら、自分自身の団体を見つめなおすことも、大切だと思っています。 ちなみに、私は「寄付・お布施のたぐい」はいっさいせず、もっと困っている人たちのために、日本赤十字社に募金しています。 仏壇も「おずし」と呼ばれる2000円くらいの小さなものです。 仏壇の大きさや、墓石の立派さ、お布施の額は、信心深さとは関係ないもののはずですから。 また、武器を持って殺し合いをしないことだけが「平和」じゃありませんよね。「自殺者の多さ」「殺人事件」の多さなどを、なんとかする方向にもっていくことが、わたしたちの役割だと思っています。まず、悪口から直さないと・・・。 どうやら、一般世間の人以上に、自分が「楽」をすることを考え始めて、ドツボにはまっているようです。 どうか、宗教などに頼らない、強い心を持ち続けてください。 ご意見、ありがとうございました。

noname#37435
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。正直なところ、hyakkinmanさんのように客観的に物事を考えられる方が創価学会にいらっしゃることに驚きました。創価学会の教えには賛成だが、やり方に疑問を持っているということでしょうか?学会員の方々にも良い人がたくさんいることは知っています。でも、学会員によって苦しめられている一般人がいることも事実です。hyakkinmanさんのような方が増えて、創価学会をより良いものにしていただければと思います。常識の範囲を超えた啓蒙活動がなくなることを願っています。

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