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GHQが日本国憲法作成を急いだ理由は何?
GHQが日本国憲法作成を急いだ理由は何でしょうか? 戦後占領統治に際し天皇制を利用したいと考えていたアメリカが 極東委員会の発足により天皇制を廃止されることを恐れ、 事前に既成事実を作るためと認識していますが、 そもそも、天皇制を利用することにどのようなメリットがあるのでしょう?もし、極東委員会が天皇制を廃止をしたとして(例えば)共和制 になったとしたら、天皇制を利用することに比べてどのようなデメリットがあるのでしょうか。
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- yot15
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1、日本国憲法の制定 大日本帝国憲法を改正して、現憲法が出来たのは紛れも無いことで現代では、法的に有効とされているとする見方が主流です。ポツダム宣言を受け入れた大日本帝国は、それに沿った法律の整備が当然必要であります。その第一歩が、戦後第一回目の衆議院選挙でした。 この選挙は当然大日本帝国憲法下の最後の衆議院議員選挙です。あ くまで民主制を強調したいGHQは、早い段階の法整備を命じるのは 当然の権限でしょう。 2、天皇制の継続 ポツダム宣言を纏める段階では、原案に天皇制を認める文言が有ったそうですが、米大統領(惚けルーズベルト=側近の案)の反対で削除されたのです。それはソ連を対日戦に参戦をしやすくする為でもありました。 ポツダム宣言が、天皇制継続の内容では、この宣言を日本がいち早く受け入れてしまうとアメリカは考えました。そしてソ連の参戦が八月九日に想定されていた為、この参戦が法的効力を失うと考えたのです。従って、ポツダム宣言の会議に出席した<トルーマン副大統領>も当然天皇制継続を認める意志は持っていませんでした。 ドイツ降伏後芽生えた<冷戦>の芽は、ルーズベルトの側近以外の人々に危機感をもたらし、<パットン将軍>などには、ドイツ降伏直後既に「本当の敵はドイツではなかった。」と言わしめています。こんな情勢下で、マッカーサーと天皇の会見が行われ、マッカーサーが占領政策を円滑に行う為、天皇制継続を決断したとされていす。 3、天皇制の廃止 終戦の詔勅の後、日本軍は急速に解体され、兵士はあきれるほど急速に戦闘意欲を喪失しました。その例外は海軍掃海隊で、これは解体されず、後海上保安庁となり、独立後掃海任務のみは、警察予備隊へと引き継がれます。つまり天皇制の廃止による混乱は、終戦の詔勅発表時直後ならいざ知らずマッカーサー到着後は余り考えられません。 4、天皇制のメリット こんな訳で天皇制のメリットは、GHQにとって冷戦の対処であったろうと推測出来ます。日本の左翼政党は、天皇制の廃止論でしたので、これと対抗するにはもっとも好都合な手段と判断したのでしょう。
- morimaru47
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確かに、GHQが日本国憲法の作成を急いだ理由は、天皇制廃止を主張するソ連やオーストラリア等が参加する極東委員会の発足の前に機先を制して、既成事実を作るためだったと思われます。 アメリカが占領統治に際して、天皇制を利用しようとしたのは、何よりも天皇制の廃止に伴って予測される反発と混乱を恐れたからです。 明治以降、天皇制は、実質的には象徴として機能しており、国民精神の拠所になっていました。これは、敗戦によっても本質的に変わりはなく、当時の保守政党のみならず、社会党も含めた大多数の政治勢力が、「国体の護持=天皇制の堅持」を最大の命題にしていました。天皇制の廃止を意図していたのは、人民共和国を志向する共産党と一部の急進勢力だけでした。 天皇制廃止に対する国民の反発は、現在では想像できないほどに強いもので、一気に反米感情が高まる懸念もありました。 結局、天皇制に代わって、疲弊した国民を統合する機能を果たすものがないことをGHQが認識していたのです。むしろ、敗戦時だからこそ、天皇という求心力を失えば、国内は未曾有の混乱に陥ったことでしょう。その混乱を収拾して占領政策を遂行する方途が、GHQにはなかったわけです。 敗戦後に共産党の主導の下で、労働運動が一気に興隆し、今にも革命が起こるような外観を呈していましたが、いくら初期の占領政策が進歩的だったといっても、これは当然にGHQが支持するところではありませんでした。 仮に、共和制が敷かれたとしても、日本にはアメリカ流の政治文化的な基盤が乏しいので、ソ連型の独裁政権が登場するとか、時勢に迎合したポピュリズム型の脆弱な政権によって不安定な政局が常態化するなど、占領統治にとっても、著しい支障が出たことでしょう。 つまりは、占領統治上、国内政治の安定を優先する観点から、国民に対して求心力をもつ天皇制を利用したのです。
- komimasaH
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敗戦の8月15日から、憲法発布の翌年11月3日の間の期間です。 9条と天皇の位置づけ以外は、国連憲章の国籍離脱条項など を切り貼りして作ったもので、そんなに手間をかけてつくったとは思えない憲法ですね。 こういうことでは、と思います。 ・法制定のハイアラーキーの問題 日本国の新たな法律体系を構築するためには、最上位の憲法を決めな いと、他の法律がつくれない。特に裁判制度。 ・ソ連の干渉を早めに排除するため、早く日本を独立させるという配慮 天皇制の維持のメリットは、今ではとくに感じられないでしょうが、特攻などの異常行為をみると廃止なんて 考えられないでしょう。空爆でも皇居や京都は爆撃対象外でした。別に利用するわけではなく、影響を恐れたということでは。 ちなみに、GHQの憲法制定グループの中にも、共産主義のシンパがいて、かなり 条文に影響を与えていたという説もでてきているようです。
- yakyutuku
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天皇制云々に関してはポツダム宣言受諾の背景に国体の護持に関する密約があるから維持したまでです。 天皇制廃止は、占領に対する反乱や治安の悪化、対米感情悪化、など占領政策がうまくいかなくなる可能性を高めます。アメリカにとって必ずしも廃止する必要のない存在なので、相手の感情を考慮して現状のような形にしたのです。