- ベストアンサー
目を見て会話をしないのは、何故ですか?
日本の伝統的な考えかたでは、目をじっとみることは失礼だと言われていたそうですが・・。 (1)その理由はなんだったのでしょうか? (2)現代でも、目を見て会話をしない人が多いと思いますが、なぜでしょうか?(失礼だというのは、何故失礼だと感じるのでしょうか) ご存知の方、教えてください。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
(1)はこれだと思います がんを付ける 他人の顔や眼をじっと見る意の俗語。不良仲間などで因縁をつける時の語。眼を飛ばす。 >(2)現代でも、目を見て会話をしない人が多いと思いますが、なぜでしょうか? はずかしいです。 「目は口ほどにものを言う」と言う言葉があります。 目を直視すると、目を直視されると、心を見透かされたような気がします。
その他の回答 (2)
西洋的とか日本的とかと絡めるとよく分かりません。 しかし、私もあまり目を合わさないようにしています。 それは、「聞く振りをして実際聞いていないよりは、聞いていない振りをして、実際はよく聞いている」というほうが、よりつつましいというか、頼れるというか。そんな感じのほうがいいんじゃないかと思っています。ですので、テレビの討論(ゲスト同士の会話)で、やたら発言者の顔を食い入るように見る人がいると、非常に違和感があります。むしろ、下を向いて(あるいは新聞などを読んで読むポーズで)、実際は傾聴しているというのが、好きなんですけどね。
眼を見るというのはその相手のひとを物に変えてしまいます。物に変えてしまうと言うことは完全に支配する、されるの関係になることです。これは大変失礼なことです。いわゆる西洋風の社会ではお互いを物としてみることが是認されているのではないでしょうか。西洋風ですと眼を見ないということはその人の存在を軽んじているということからが逆に大変失礼なことになるのではないでしょうか。
お礼
回答をくださった皆さま、ありがとうございました。 つつましさ、ということが重んじられているのですね。 ポイントを皆さんにあげたいところですが、回答順とさせていただきました。