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なぜ「ハグする」なのか?

最近、「抱きしめる」ことを「ハグする」と表現する人が非常に多く目に付きます。 少なくとも、10年位前にはこんなことはなかったように記憶しています。ちなみに、当時から私は英語圏では「ハグ」という表現を使うということは知っていましたが、日常的には使ったことがありません。 なぜ最近になって急に「ハグする」という表現を使う人が増えたのでしょうか? 個人的には、なぜかわからないのですが純粋な日本人同士の話で「ハグする」という表現を見るとなんだかイラっとします。「抱き合う」「抱きしめる」という立派な日本語があるのだから、そちらを使えばいいと思うのですが(相手が外人とかならわかりますが。「つれらる」という意味で)。

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  • Parismadam
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回答No.5

はじめまして。 ご質問1: <なぜ最近になって急に「ハグする」という表現を使う人が増えたのでしょうか?> 「照れ」なんですよ。 日本人には欧米人のように、出会い頭抱擁するなんて習慣はありませんから、「抱擁する」「抱きしめる」という言葉には、感情や重たいものが込められていて、気軽に使える動詞ではないのだと思われます。 「赤ちゃんを抱く」ならともかく、「友人を抱きしめる」「友人に抱擁する」といった表現には、深い感情が込められています。 一方「ハグする」という外来語を使う時点で、気分はもう欧米人なんですよ。欧米人の演技に入っているので、気軽に頬と頬をこすり合わせることができるのでしょう。 「接吻する」→「キスする」も日本語に定着して久しいので、そのうち別の表現が出てくるかもしれません。仏語でよく使われる「ビズー」などが登場するかもしれません。 「性交渉する」も「Hする」という表現が使われるように、日本語の響きの持つ重み、生々しさを払拭するために、考え出された口語表現も多くあります。「ハグする」もその一つだと思われます。 ご質問2: <個人的には、なぜかわからないのですが純粋な日本人同士の話で「ハグする」という表現を見るとなんだかイラっとします。> ご質問で指摘されているように、「純粋な日本人同士」なのに、欧米人のまねをしているからですよ、きっと。 「日本人同士で、習慣でもないハグなんて似合わない、何がハグだ」と内心感じておられるのではないでしょうか? 茶パツ・金パツが登場した頃の、先輩世代の「いらだち」と同じ現象だと思われます。 ご質問3: <気取っているような、ライトなような・・・。なんだか気持ち悪いことは相変わらずです。自分ですすんで使おうという気にはならないですね。古いのかな・・・。> いいえ、立派な日本人のアイデンティティがしっかりしていらして、誇りを持たれている証拠だと思いますよ。ハグという言葉、習慣がまだまだ日本に定着していないため、違和感があるのだと思います。それは当然です。 英国を経て仏国に長年在住していますが、ハグする環境の中にいても、日本人同士ではハグしたりしませんから。「照れ」があるような気がします。 感じ方は人それぞれですので、使用に不快感を感じられるのであれば、なれない単語は使わなくていいと思いますよ。個人的に使ったことはないですが、相手の会話に合わせて使うのは、別にこだわりはないと思います。 以上ご参考までに。

noname#62235
質問者

お礼

詳しい解説ありがとうございます。 照れから外来語を使うようになっていっているのでしょうか。 確かに、「接吻する」という表現はなんとなく重い気はしますね。 セックスすることを「まぐわう」とか言ったら、エロ小説みたいですしね。 将来的には、一般的な言葉になっていくのでしょうか。 なんだか、取り残された気分です。

その他の回答 (6)

  • Ishiwara
  • ベストアンサー率24% (462/1914)
回答No.7

やたらに新語を創作・使用すべきではありませんが、意味の区別があるときはしかたがないでしょう。 「抱きしめる」の「しめる(絞める)」に問題があります。挨拶として抱くときは、相手の背中に軽く手を回すだけで、決して「絞め」たりしません。 ですから、こういう使い分けは、極めて自然です。

noname#62235
質問者

お礼

はぁ、そうなんでしょうか・・・。 やはり私が古いだけなんでしょうかね・・・。 ありがとうございました。

  • hirorocchi
  • ベストアンサー率25% (349/1366)
回答No.6

意義が合っている訳ですから良いんじゃないですか? 最近使い始めた言葉としてはセレブの方がいらっとします 古い言葉ではバイクもいらっとする言葉ですね

noname#62235
質問者

お礼

ありがとうございます。 「セレブ」は、日本語に対応する言葉がないからいいような気もしますが・・・? 「バイク」は「単車」でしょうか?なで二個車輪があるのに単車なんだ?という疑問はありますが。関係ありませんが(笑)。

  • ringouri
  • ベストアンサー率37% (76/201)
回答No.4

「ハグする」を使うようになった背景は皆さんの回答がとても参考になりました。 一点、私の語感から言うと、従来の「抱く」が単なる「抱きしめる」行為をさすというよりも、「セックスする」「性的関係を結ぶ」というニュアンスが強くなったため、挨拶的な抱く行為に対して言う場合に避けたいという心理が強く働くようになっているのかなとも思います。 つまり「ハグする」を使う人達の「抱く」は主に「セックスする」と同義なのかも。 そのうち、「寝る」というのも避けるようになって「スリープする」なんて表現になったりして...?!

noname#62235
質問者

お礼

ありがとうございます。 日本語の崩壊は、なんとしても避けなければなりませんね。

回答No.3

個人的考えですが、「抱擁」という行為が、 従来に比べ、より軽い、あるいは一般的な感覚を伴うようになってきたからではないでしょうか。 つまり、「抱擁」あるいは「抱きしめる」等の表現では重すぎる(あるいは古臭い)、という感覚が芽生えてきたので、 より軽い(ライトな)感覚を表す言葉として、英語からの借用で「ハグする」という単語を作ったのではないでしょうか。 妥当な例か分かりませんが、例えば「キスする」も「接吻する」「口づけする」という立派な日本語があります。 恐らく、堅苦しく重い感じを受けるので「キスする」という言葉が定着していったと思われますが、 その過程においてもこの表現に「イラッと」きていた人がいるはずです。 しかしながら現代の文章として「ハグしてからキスする」を、 「抱擁してから接吻する」や「抱きしめて口づけする」とまで変えてしまうのはどう思われるでしょうか。 私にとっては少々やり過ぎな感があります。 逆にいえば、「キスする」はなぜ「イラッと」こないのか?がご質問の答えと背中合わせになっている気がします。 耳慣れない表現、新しい表現を聞き苦しいと感じるのは、地域や時代を問わず共通のようです。 安易な借用語の使用には、言語の伝達機能の阻害要因になりえますので必ずしも賛成できませんが、 表現可能性を広げるという意味からは単純に否定すべきものでもないと思います。

noname#62235
質問者

お礼

ありがとうございます。 >逆にいえば、「キスする」はなぜ「イラッと」こないのか?がご質問の答えと背中合わせになっている気がします。 そうですね。 やはり、耳慣れない言葉(今まで聴いたことのない用法)というのはあると思います。 でもなー、なんだかなー。気取っているような、ライトなような・・・。なんだか気持ち悪いことは相変わらずです。自分ですすんで使おうという気にはならないですね。古いのかな・・・。

回答No.2

照れくさいから、ではないですか? 抱き合うような行為って、やっぱり日本人の感覚からすると ちょっと恥ずかしく感じると思うんです。 「ハグする」という、なんだかおかしな言葉を使うことで、 「抱き合う・抱きしめる」という行為のイメージ自体を軽いものにしてしまおうと しているのかもしれません。要は言葉の印象ですね。 下の方への回答で「キス」の単語を出されていますが、これだって日本語でいえば 「接吻」になります。ハグが純粋な抱擁と若干異なる意味を持つことがあるのに対し、 (これは下の方が回答されている内容なのであえて書きませんが) 「キス」と「接吻」に意味の違いはありません。それなのに、大多数の人が 「キス」の方を使う。これも、言葉の印象によるものですよね。 「ハグする」にイラっとされるのは、比較的最近使われるようになった言葉で、 耳に馴染んでないからでは。馴れると何とも思わなくなるかもしれませんよ。

noname#62235
質問者

お礼

ありがとうございます。 >「抱き合う・抱きしめる」という行為のイメージ自体を軽いものにしてしまおうと >しているのかもしれません。要は言葉の印象ですね。 そうなんでしょうね。 でもなんかちょっと違和感です。 >「ハグする」にイラっとされるのは、比較的最近使われるようになった言葉で、 >耳に馴染んでないからでは。馴れると何とも思わなくなるかもしれませんよ。 かもしれません。 が、単にハグする相手がいないひがみなのかもしれません(^^;

  • aquiz-c
  • ベストアンサー率59% (54/91)
回答No.1

誤用も含めた外来語からの借用は、 ある意味で日本語の特性と言っても良いと思います hugという形の「挨拶」は従来の日本で一般的ではなく 新しい習慣(とまで言えないと個人的には思いますが)の 呼称として、直接に対応する日本語がないために カタカナ言葉として使われるようになったものと 推測できます 英語の会話/文章の中で用いるのだとすれば 挨拶で抱きしめるのもhugですが、絞め殺す時も同じ単語です 日本語の「ハグ」は、あくまで挨拶の一種の名称でしょう 抱き合う、抱きしめるは、もちろん存在していますが 名詞ではありませんね 対応するのは「抱擁」ですが、必ずしも挨拶という意図が 含まれていませんし、漢語ですから堅苦しさも付随します 個人的な好みを言えば安易な借用による動詞化は嫌いですが そうした経緯がなければ、現在の日本語は無かったでしょうね 非常に多くの「正しい日本語」と認識されている語句が 中国からの借用であったのですから

noname#62235
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 >hugという形の「挨拶」は従来の日本で一般的ではなく >新しい習慣(とまで言えないと個人的には思いますが)の >呼称として、直接に対応する日本語がないために >カタカナ言葉として使われるようになったものと そうですね。この説には納得できます。 なので、このような用法であるなら、「イラっと」はしないのです。 気づいたのですが、私が「イラっと」させられるのは、普通に恋人同士でいちゃついていて、「ハグしてからキスした」みたいな使い方を目にしたときなのだと気づきました。 これであれば、名詞として使う必要もないし、普通に「抱きしめてキスした」でいい話です(字数も減ります)。 だから、aquiz-cのおっしゃるように「今日アメリカからペンパルのジョンがやってきたので、空港でハグしあった」みたいな用法ならまったく「イラっと」はしないのですよね。 ということで、「普通の文脈で、『抱きしめた』『抱き合った』で事足りるのに、わざわざ『ハグした』という表現を使う人が増えてきたのはなぜでしょうか?」と質問したかったことがわかりました。