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小西隆佐と行長について
小西行長の父、堺の商人、隆佐について。 父が商人であるのに、行長は武士(大名)になっています。 このことで父の商売に影響は出ていたのでしょうか。 1・例えば大名小西家の御用商人になっていた。つまり利益が上がっていた?(行長が薬屋と呼ばれるのを嫌っていたのでこの線は薄いかも・・・) 2・行長の兄弟も代官などを務めたようですが、隆佐だけが商いをしていた。子供には後を継がせなかった?(隆佐の代で商家としての小西家はなくなった?) 3・1とは逆に関ヶ原の合戦で行長が負けたので、商家小西家も無くなった(取り潰しにあった)? 調べても判らない部分が多くご存じの方は教えてください。お願いします。
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お礼
案外武張っていたのですね、小西家って。行景も戦闘に負けて自害ですか。武家そのものですね。 もともと海の商人は海賊などと戦う為に有る程度の武装もしくは武士を雇うなどしていたのでしょう。武家とまでは行かなくてもそこそこ戦闘に対する心構えのようなものがあったのでしょうね。 隆佐や行長が三成と親しかったと言うことからして、処分が似ても仕方ないですね。家の存続は難しかったのではないでしょうか。 歴史は勝った方が作る権利(?)があることから見れば、隆佐島流し、または御家断絶、改易、市中引き回しの上打ち首獄門などなど、なんらかの見せしめ的宣伝があっても不思議ではないのですが、文書などは見つかっていないのです。おっしゃるとおり謎であります。 回答ありがとうございました。
補足
再度の回答ありがとうございます。参考にならないなんてとんでもない。充分参考になりました。