#1さんの考えもまんざらではないと思います。
敬語は身分の上下をはっきりとさせるためでしょう。
英語に比べて日本語に敬語がはっきりとしているのは、狩猟民族ではなく、農耕民族だからでしょう。農耕は固定された集団の縦社会です。
一方、狩猟は、首長の下に並列に並ぶ横社会です。ここには権威主義ではなく、獲物を何匹しとめたかという実力社会です。歳をとれば幾ら経験があっても、能書きだけでは威張っていられません。
農耕は政治力です。現代の日本の社会のように年功序列が社会秩序を保つ唯一の原理だったのでしょう。実態のない序列を保つためには、日頃からの敬語によって上下関係を際だたせることが必要だったのでしょう。
あくまで、私論です。
お礼
回答ありがとうございます. シャーマンや首長が出てくるのですね. 彼らは神との交信ができるひとだったのですから,やはり神に対する言葉というものが必要だったのかもしれませんね.