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自分がキライな自尊心とは

過去に幾つか同様の質問をさせて頂きましたが、 私は非常に自己否定感の強い人間です。 けれども、過去にある精神科医(仮にM沢S夫)に「自己愛性人格障害」と診断され、 「あなたは非常に自尊心が高いんだよ」と言われました。 過去の当サイトでも同様の指摘を受けました。 しかしそれほど自尊心が高い人間が、 何故このように自己を否認し続けるのか当人には理解できません。 「高い自己イメージが現実の自己を否認しているのだ」 というご意見もあるかもしれませんが、 少なくとも自覚的には私は「あるべき理想像」など思い描いたこともありません。 太宰治について書かれた評論で、 「自尊心の裏返しの自己否定」という言葉が頭から離れません。 自己を否認し続ける自尊心とはなんでしょう・・・ http://okwave.jp/qa3163113.html http://okwave.jp/qa3171725.html

みんなの回答

  • chongaa
  • ベストアンサー率14% (1/7)
回答No.3

>「自尊心の裏返しの自己否定」 「他人に否定されるくらいなら、先に自分で否定しちゃおう」っていうことではないでしょうか。そうすれば、他人に否定されたときに、自分と周りに対して免罪符になります。 ゴキブリが極端に嫌いな人は、逆にゴキブリの気配に敏感で、ゴキブリがいないことを確認するためにゴキブリを探したりします。 「高い自尊心=高い理想像」ではないと思いますし、否定に対して過敏なのと、理想像の有無は必ずしも直接関係無いと思います。

noname#37669
質問者

お礼

>「他人に否定されるくらいなら、先に自分で否定しちゃおう」っていうことではないでしょうか。そうすれば、他人に否定されたときに、自分と周りに対して免罪符になります。 なるほど、そうかもしれませんね。 参考意見ありがとうございました。

回答No.2

●(1)…少なくとも自覚的に私は「あるべき理想像」など思い描いたこともありません。 ↑↓ ここでお書きのこの文にすでにご自身が発する問いの答えを ↓↑ ●(2)「自尊心の裏返しの自己否定」 を、自己完結されて書かれておられるのではないでしょうか? (2)であげられた言葉 「自尊心の裏返しの自己否定」 (1)の文の中の自尊心にあたる箇所はどこかとみていきますと、「思い描いたこともありません」と。何を思い描いたことがないのか?とさらにみていきますと「あるべき理想像」など。と、お書きです。こうしてみていきますと、あるべき理想像のようなものを思い描いたこともない(思い描かない)ことをひとつのプライドとしてお持ちなのではないかと。仮にそうであるとするならば、「思い描いたこともありません」と、あたかも自覚的なようにおっしゃる一方で無自覚的にすでに体を現しているこの矛盾。持たぬはずの、あるはずのない理想像に。ちょうど、わたしは無神論者(無宗教)ですと言葉を発する者のように。特定の宗教には属さないだけのことで、無神論者(無宗教)というひとつの属性に体をなす。これもひとつの宗教ではないのか。 「あるべき理想像」など、思い描いたこともなくとも、知らぬ気がつかぬうち像がひとつたち現れる。

noname#37669
質問者

お礼

お忙しいところわざわざご回答ありがとうございました。

  • spitzer3
  • ベストアンサー率9% (3/32)
回答No.1

>自己を否認し続ける自尊心とはなんでしょう・・・ もっと満足できる自分にしたいが、いくらやってもそうすることができないときの苦しみよって生じたものがこれにあたると思います。  たとえば、無理なことなのに、生きたいと思う人を観てみれば、分かります。生きたいけど生きれない状態のとき、苦しみが生じていると思います。  このように得たいけど、得られないものを求めたときに生じる苦が嫌で嫌でしょうがないとき、自己の存在によって生じている感じに嫌気がさし、自殺をしたりして自尊心が強いときでも自己を否定するのではないかと思います。  なので、自尊心を持つことによる苦しみを取り除くには、自分の求めているものが得られないものであり、たとえ、得ようとしても、その得ようとする努力が無意味であると知ればいいのではないかと思います。  絶対に努力すれば得られるというような甘い世界ではない気がします。  ですから、適当に努力すればいいと思います。 カジノの賭けと同じで、引き際が重要なのと同じで、ずっと駆け続けていたら、負ける可能性が高くなると思いますよ。

noname#37669
質問者

お礼

お答えありがとうございました。 いろいろ参考になりました。