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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:島原地方と熊本県天草郡は貧しい土地柄ですか?(からゆきさん))

島原地方と熊本県天草郡の貧しい土地柄について

このQ&Aのポイント
  • 島原地方と熊本県天草郡は貧しい土地柄ではない
  • 島原と天草は旅行した際には周囲と比較して土地が痩せているという印象は受けなかった
  • 水産業は豊かな海を活かした産業であり、島原と天草は水産業の盛んな地域である

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  • fujic-1990
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回答No.2

 いささか、「関連事項」的な回答になりますが、「島原の乱」ってのがありましたよね。一般的には「キリスト教徒」の反乱みたいな話になっていますが、昔、「そうじゃない」という本を読んだことがあります。  あそこは基本的にまずしかったのに、領主がまともな税をとるために、例えば囲炉裏を造ると囲炉裏税、墓を造ると墓税、竈をつくると竈税ってな具合に、すさまじい口実をつけては収奪したので、近くの非キリスト教徒(数はこちらのほうが多い)も一緒になって立ち上がったのが実体だ。宗教戦争じゃない。  というような内容でした。「真偽不明」ということで読み捨ててましたけど、頭の片隅には残っていたようで、思い出しました。  貧しいかどうかは知りませんが、少なくても江戸幕府草創期には裕福でなかった土地柄のようですね。

その他の回答 (1)

noname#118466
noname#118466
回答No.1

唐行きさんとは約100年前の海外出稼ぎ組のひとつの形態でしょう。 当時の日本は現在から想像できないほど貧しく、沖縄、九州、中国地方を中心にたくさんの農民がハワイ、ブラジル、ペルー、メキシコ、アルゼンチンなどに出稼ぎ(結果として移民)に行っています。 海外へ行かない人は国内の繊維工場、炭鉱などで厳しい条件下で酷使されていました。また農村から多くの若い娘が性産業に売られていた時代です。当時の貧しさはテレビ映画「おしん」や小説「女工哀史」で知ることも出来ます。 唐行きさんについて研究したわけではありませんが、唐行きとは当時は「海外行き」のイメージで市場は東南アジアでした。市場に近い九州、特に天草・島原出身者が多かったということでしょう。唐行きさんは当時の日本の貧しさを語るひとつの例として捉えるべきだと思います。 『人身売買』の著者の視点が偏っているような気がしますがブログの引用をもとに云々しても仕方がないでしょう。

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