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歴史の日時
どうでもいい事なんですが気になるんで。お願いします。 NHKの大河ドラマや歴史の番組で○○年○○月○○日に 歴史的な出来事が起こった、合戦が始まった。中には○○時とまで。 100年や200年ぐらい前の出来事ならまだ納得がいくんですが、 500年、1000年前の出来事に日時までわかるんですか? 誰がどうやって決めたのでしょうか?歴史の細かい出来事まで誰かが 几帳面に日記でも付けていた訳でもあるまいし。またそれが現代まで 無事に発見されるとも限らないだろうし。くだらないのですが非常に不思議です。
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- m-tahara
- ベストアンサー率38% (383/983)
有名な古事記、日本書紀に始まって公式なもの私的なもの様々な歴史書が存在しています。 また既に書かれているように天皇から始まって公家、僧侶その他多数の日記や手紙が残されています。有名な藤原道長の日記なども本人が書いた原本そのものが残っています。1000年位はちゃんと残っているものなのです。ものによっては。 さらに官庁や私的な用途で使われた記録としての文書も奈良時代以降相当数残されています。 これらによって年号や場合によっては日時まで特定することが可能になっています。 特に歴史上の大事件となると様々な読み物が作られており、より詳細な場合も多いです。但し、この場合実際の出来事より相当後になって作られたり創作が入ってくる危険性もありますので注意も必要です。 なお、一番気をつけねばならないのは様々な事件や出来事の年号が全て判っているのではなく、年号が判っているものに関してだけそれを付けて語られている、ということです。 逆に年号が判らないものは曖昧にしか語れませんし、誰も取り上げてくれなかった事件はその存在そのものが判らないままになっているものがあるかもしれません。 付け加えるなら、大河ドラマや歴史番組でよく取り上げられる戦国時代以降、となるともう文書が怖ろしい程多数出回っている時代ですので、ほとんど問題なく日時の確定は出来るものが多いと思います。
- outerlimit
- ベストアンサー率26% (993/3718)
質問には直接関係ありませんが 月日は 旧暦であることを お忘れにならないように 朔は新月です 月明かりはありません 15日は満月です 月明かりこうこうです 7日は上弦 七夕には 月は 夕方に南中 夜半には沈みます さらに 月も現在の暦より 1・2ヶ月遅れています 閏月もあります これらのことを忘れて 今の感覚で受け取ると とんでもない見当違いになります 五月晴れ とは 梅雨の合間の晴れ間 等々 質問のことは 平安時代からの膨大な記録が残されています(公家の日記等、儀式の手順や先例が非常に重要ですから、克明な記録が残されています) 今でも 時々 旧家から 発見されています 検索してください
- kmimtb389
- ベストアンサー率54% (12/22)
歴史の日時は以外とはっきり解る事が多いと思います。歴史の検証はそれなりに歴史研究家や 地方では文化研究会とか史談会とか言う歴史研究グループ等が有って何時何処の場所でどんな出来事が有ったとか等研究されています。 又 韓国の釜山に行った時にツアーガイドが韓国の歴史と日本の歴史を比較して話してくれて 例えば 西暦369年 韓国に任那という日本府を置いて日本軍が常駐していたと韓国の文献にも書いてあるとか 又391年には 百済と新羅の戦争に日本は百済に味方し数万の兵隊を送り 新羅には中国がついて 562年には百済と日本軍は負けて任那の日本府は滅んだとか 外国との比較研究等で殆どの事が解っているように思えます。又因みに江戸時代は 世界でも稀に見るほど識字率の高い国だったそうですから...552年頃に仏教の伝来以来文字で必要な事を残す事が確実になって来たわけですから...韓国との往来は今と変わらない位に行き来が有った事と思います。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
>歴史の細かい出来事まで誰かが几帳面に日記でも付けていた訳でもあるまいし 結構几帳面な人が昔もいて、五百年前、千年前の日記や記録が残っている例もあります。複数のそうした一次史料に独立して日時が記載され、しかも一致していたらかなり確度が高いといえるでしょう。ただし時刻の数え方は時代によって異なり、例えば江戸時代には一般には、夜明けから日没までを6等分する不定時法が使われていたため、同じ「明け六つ」でも季節によって今の時刻との対応が違いますのでこの点は注意が必要です。 また(1)の方の回答にもあるように、日食・月食などの日時が計算できる天文現象が歴史上の事件の日時を特定するのに役立つ場合もあります。古代の中国や日本では夜空を見張って(勿論肉眼で)、異変が起きていないかどうかを警戒する仕事の役人がいたので史書に天文現象が多く記載されています。「古天文学」で検索すると興味深いです。 良心的な歴史家が書いた歴史書では、歴史上の事件がおきた日時がわかるものに関してはその根拠(出典)をあげていることが多く、推測の場合は推測であると断っています。
- dulatour
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具体的に・・・・ 万葉集に 「東の 野にかぎろひの 立つ見えて かえり見すれば 月傾きぬ」 という柿本人麻呂の歌があります。 これは、東方の薄明るい光と、西方のまだ黒々とした中に薄暗い月光とのコンポジションを詠ったものですが、この時間を推定した人がいます。 詞書きには旧暦の日付があるので、それを手掛かりに気象庁に解析を依頼し、この歌の歌われた時間を6時30分を探り当てました。日の出の時間や月との関係を計算したようです。 また、壇ノ浦の戦いも、源氏の攻撃は、潮の変わり目を見定めて攻勢にでたわけですから、当日の壇ノ浦の潮目を計算すれば、憶測できます。 だいたい、時間は記されていませんが、ヒントとなる自然現象を見つけて推測するようですね。あくまで推測ですから違う場合もあり、後世の記述の場合、演出的に自然現象を挿入する場合もあるので、一概に正しいとは言えないでしょう。
- mouryou
- ベストアンサー率27% (229/826)
いくつかの歴史的事実は記録の残っているものもあります。たとえば書簡にはいついつ何があったとか、戦闘であれば感状があれば日時がわかるものです。また文献の比較によって○○がおきたときに○○がおきたとあればこれまた推測が可能なのです。いずれにしても、歴史的な時事といわれることに関しては通説ですらそうであったであろうという推測にしかすぎないのです。 ちなみに歴史上で日にちが特定できたのは、メディア王国とデュア王国の戦争だといわれています。というのも戦争中に日蝕がおこり神罰を恐れた両軍が戦闘を中止したという記録から、日蝕が紀元前585年5月28日とわかったのでその日が特定されたのでした。