短歌・俳句がお好きな方、お願いします
短歌・俳句がお好きな方、ご意見をおきかせいただきたくお願いいたします。
私は、仕事で、短歌と俳句の作品(趣味で詠まれている方の作品)に毎日のように触れさせていただく立場にある者です。
私自身は短歌と俳句には嗜みがなく、仕事上作品を拝見しますが、事務的に目を通させていただくのみです。作品の内容については、短歌と俳句の先生にそれぞれお願いしております。
嗜みのない私などが質問させていただくのは大変恐縮ですが、よりよい形を目指したいと思い、短歌・俳句を詠まれる皆様のお気持ちをおきかせいただけたらと思っております。
短歌・俳句の世界では、作品賞というものがありますが、お詠みになった短歌・俳句を、作品賞などに応募されるのは、どのようなお気持ちからでしょうか?
作品が選ばれた場合、多くの人の目に触れることにはなりますが、その反響というものは、本人には直接返る仕組みにはなっていないことが多いと思います(唯一あるとすれば、選者の先生の評を頂けることがある、くらいでしょうか)。
歌に共感した人が、日本全国に何人いたとしても、共感しあう状況にはならない形です。
(結社などのつながりのお知り合いの方が見てくださっていることはあると思いますが)
私が以前拝見した作品で、「短歌・俳句を心の拠りどころにしている」と、作品の傍らに書き添えている方がいらっしゃいました。
そのように書き添えられていることは稀ですが、短歌と俳句を詠まれる方の多くは、そのように感じていらっしゃるのだろうと、多くの作品を拝見して、感じました。
技巧的に優れた歌を詠むことを目標にして詠んでいるのではなく、「心の中を表現することで、(やりきれない気持ち・行き場のない気持ちに)救いを求めたい」、「心の中を表現することで、自分がその事柄に対峙した時に、どのように感じていたのかを、自分で理解して消化したい」、そのようなことを無意識のうちにも求めて、詠んでいらっしゃる、そのような印象を受けました。
しかしもしそうであるなら、選ばれた場合に多くの人の目に触れることになる賞などには応募せず、ご自身のノートに書き留めておくだけでも、その目的は達成されるのだろうと思います。
ところで、私自身、これまで短歌にも俳句にも縁がありませんでしたが、この仕事に縁を得て、短歌に興味を持ちました。将来、時間ができたらたしなみたいと考えております。
そして私自身も、もし自信作の短歌を詠めたなら、賞など、多くの人の目に触れる場所に、応募したいと思う気持ちが生まれるような気がしています。
それは、技巧の上達を認めてもらいたい気持ちからでは、おそらくないと思います。
しかし、応募したい気持ちにきっと自分はなるだろうと、どうして思うのか、自分でもつかめておりません。
詠んだ作品を、多くの方に見てもらいたいと思う気持ちは、その先に何を求めているから、生まれるのでしょうか?
拙い質問文ですが、よろしくお願いいたします。
無礼な質問でしたらお許しください。