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今(主婦になり)、読書する意味。
昔は、文学少女でした。自分では、文学というものに、常に違和感を感じてはいたものの、他人(国語の先生とかに。。。)認められる文学少女でした。 通学途中の暗記は、月下の一群から、宮沢賢治等、手当たり次第、暗記もしてました。それにもかかわらず、文学は私にとっては、つまらない学問で、 大学等で専攻するに足るものではなかった、、むしろ、現実の、歴史とか そういうものへの要求が強かったのです。(暇だからしていただけ。) 今、これといった職業もなく、主婦になり、子育てしていて、読むのは 実用書(園芸とか趣味の)です。そんな大人を昔は、ずいぶん、ばかにしていた気がします(親が、読書なぞしない人だったので)でも今、私は、 読書する意義がみつかりません。歴史も、子育ての本も、文学はもちろんの事、、育児に迷いがないわけではないけど、人の事には興味がない、、 という感じになってしまってます。。今、このような状態で、もう生きていくのか、むなしい気がします。。 これはこれで、大人になったっていう事なのでしょうか? 子供もいる方で、読書したり、架空の学問に興味をもって、書物を探したりされている方、その意義をおしえてください。。今も、相変わらず、暇です。
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また来ました。 誰かの意思で、読書など意味がないと思わされているのでは?との問いについて 思い当たられることがあったのですね…。 あなたの心の中にある他人のコントロールは、それと気づけば、 切り離して捨てることのできるものです。 そうしよう、と思いさえすれば、できることです。 あなたのほんとうに望むことは、なんでしょう。 誰もあなたの行動を気にかけないとしたら、どうしたい? それが思いつけたら、なぜそれが実行できないのか、 何がどう邪魔しているのかを考えてみましょう。 きっと、手はあります。 あなたは大人で、賢くて、抑圧されても押さえきれない 行動への意欲があるんですから。できますよ、だいじょうぶ。 すこしでも、自分のために、動いてみてください…。
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私が回答したのは間違っていたのでしょうか、ちょっとバカにされたような気がしたので再び登場させていただきます。 本を読むことが勉強することと一体だったせいで今本を読むことがある種苦痛なのではないでしょうか。 私の場合勉強と直結するような本は全く読む気にならず自分脳みそを活性させる、格好をつけていますが要は雑学の本やだじゃれの本などを主に読んでいます。実家の父の本棚には仕事に関係する難しそうなほんの間にだじゃれの本などが所狭しと並んでいます。実家に帰って暇なときは適当に読みあさっています。 私は変わっているのか国語辞典や百科事典なども暇つぶしに読んでしまうんです。結構面白いですよ。国語辞典なんかは言葉によっては「無限ループ」になっているものもあってそれを探したりするのも楽しい...。やっぱり変わってるのかしら。 読書をすることに肩肘をはる必要はないのではと思いますよ、小さい頃の親御さんの意見というのはその後の人生に影響することが多いですからそのせいで今悩んでいらっしゃるのだとは思いますが別に暇つぶしだっていいじゃないですか。たぶんまじめな方なんでしょうけれどそれじゃ読書に限らず疲れちゃいますわ。まあ私みたいに好きかってやっているのも問題でしょうけれどね。 私は雑学関連本、辞書、週刊誌が愛読書です。本当は仕事に役立つ本を読まなきゃいけないんですがなぜがそれは全く読む気になれません。ははは...。(^^ゞ
お礼
再度回答ありがとうございます。。馬鹿にするように感じたらごめんなさい。私は健康だけがとりえだったので、風邪ひいて、病院通いする人をしばらく、・・って思ってました。でも、自分で、ちょとうっかりして、風邪が長引く経験してみるといろいろ感じることも出来るようになりました。 趣味にはお金使わないのっていって、他に目指す事もあり、読書を趣味にしていた友人もいました。が私には、読書は趣味ではなかった。それしかなかったから。。そして今はなにもない、、私に気がついたのです。。趣味よお。っていって、昔も今も、、読んでいるかた、はそれはそれでいいのでは?って事でいいたかったのです。。
補足
15の方もいってますが、趣味や、娯楽、気晴らしにて、読書やネットも できる方は、人間の幅もあるでしょうし、読書を教養にも、できる人なのだと思いますが、私とは、違うのです。。読書以外のものを得たいと、いつも 希求していたにもかかわらず、それを、得られなかった、私は、読書が 生きる糧でもあったのです。。水や空気のように。。。 ちなみに、その友人には、少なくとも、あの時代に、私は、理解が かないませんでした。。他の人がわからない事が私にきて、私もちがうことが最終的に、彼女にゆき、解決てことよくありました。その差は、埋められい溝でしたけど、彼女には、より大切ななにかがあったのです、、彼女に同じ質問をしたら、あなたと全く同じにいともたやすく、言い放ったでしょう。。意義なんているの??楽しいからしてるだけじゃんって。 ばかにしたのではなく、そういうことです
No.9で回答した者です。 実は前回、回答を投稿してから、失礼なことを書いてしまったかな、気分を 害されているのでは…と、反省しきりでした。 rei_rannさんのお書き下さったお礼文を読むと、私の解釈違いだったようですね。 改めまして不躾なことを書いてしまいましたことをお詫び致します。 ごめんなさい。 さて、そのお礼文を読んで、またまた思ったのですが… よい人なんだろうけど云々…はともかく、他の人が悪く言っている人のことを 「いいところもあるはず」と思ったり「理由があるはず」と擁護なさることは 決して悪いことではなく、むしろ美徳ではないですか! 深く考えることもせず、ただ噂や報道のみを鵜呑みにする人よりも、余程しっかり した方だと思いますよ。読書経験は無駄にはなってません。 ただ、もしかしたら今の時代は(…って、何だかすごく私おばさんみたいですが、 そうでもない?んですよ)そういう人が真剣に人間関係を築こうとすると少し 難しいのかもしれませんね。残念なことですが。 rei_rannさんはきっと、お仕事に家事に子育てに、忙しいけれどとても充実した 日々を送ってこられたのでしょうね。 それが、仕事を辞め、お子さんも幼稚園に通うようになり、ほっとする反面、 没頭するものも無く、家族や社会から一人取り残されてしまったような気が されているのかもしれませんね。 お忙しくされている時、本が読みたい、とは思われませんでしたか? 時間ができたらしてみたい、と思ったことは何かありませんか? 「暇」は悪いことじゃないですよ。「日常」を忘れることも時には良いのでは? 「やりたいこと」や「読みたい本」が、自然と自分の内に満ちてくるまで、 焦らずゆっくりしませんか? そうそう、ちなみに元々のご質問の回答なんですが。 読書の意義…なんて大それたものはないんです。単に「好き」だから読んでる。 それと「疑似体験」を楽しんでるのかな? どんなに頑張ったって一人の人間が経験できる事なんてタカが知れてますものね。 行けない場所へ行き、会えない人に会う、言えない言葉を吐き、出来ないことを しちゃう…つまらない事かもしれませんが、読書の楽しみの一つではないでしょうか。 長々とすみませんでした。元気出して下さいね。
お礼
ありがとうございます。そうですね。。学生時代もいわれたのですが 私の理解は、私自身のゆがみを反映していてちょっと、ゆがんでいたかもしれません。。 でも、逆に、普通の人のことは、全然、わからないんですよお。。
- mimosa2001
- ベストアンサー率22% (121/539)
こんにちは、もう一度。 読書することについて、「本など読んで、ろくなものにならない」なんて 誰かから言われてませんか?もっと巧妙に隠した言い方かもしれないけど。 たぶんあなたはもともと、読書に興味があるからこそ、ひまつぶしにでも 本に親しまれてきたのだと思います。 そういう自分の一部を、だれか外部から否定されているのでは。 そして、その意見を飲まざるを得なくて、 だからこそ、生きていくのがむなしいのではないでしょうか。 なんだか回答を読んでいて、そんな気がしてしまいました。 あなたが本を読んで、洞察力がするどくなることで損をする人、 だれかいませんか? 勝手な推理ですが、ごく近い人があやしいなあ。。 はずれていたら、ごめんなさい。
お礼
母ですかね、、新聞読んでるだけで、新聞なんか読んでいる女は碌なもんならないって、言い方されてきた。。 もともと、女に学問いらないって風潮あったんで。。父が、泣いて大学いきたいって頼んだ(夜学でいいから)学問はいらないっていわれ、その思いがあり、いかせてはくれたけど。。 実家にゆくと、家事全般押し付けられてしまって、安らぐ間がありません。 ちょっと、通販なぞカタログみているだけで。。。
- gomuahiru
- ベストアンサー率37% (593/1595)
私も昔は典型的な文学少女でした。 北原白秋や宮沢賢治の主な詩は諳んじ、自分で友達とサークルを作り同人誌まで書いていました。当然のことながら国語の成績はよく感想文も得意中の得意。 高校に入るとよくある?コースでヘッセやカミュ、スタンダールなどにハマリ、正直、大学は文学部以外考えていませんでした。 ところが受験勉強の為にしぶしぶやっていたはずの「世界史」が勉強しているうち猛烈に面白くなり、入学してから2年次に西洋史を専攻することに決め、卒論もそちらを書きました。なぜ、あんなにも入れ込んでいた「文学」(本)を捨てたのか、後からよくよく考えてみました。やはり私は「現実」に目を向けたくなったのです。 本とその世界から得られることを現実の生活とある程度切り離せる人はそんな必要はないのかもしれません。でも私はついそれを現実に持ち込み、過剰に期待する、夢想する、ムリに活かそうとする、教訓を得ようとするなどの傾向があると気付いたのです。そして好きだった「本」から離れました。 下の方々もおっしゃっているように単純に趣味として読書が好きだったら、純粋に娯楽として考えられるなら何の躊躇もためらいもなく本を手に取っていると思います。そのように考えられなかったら無理に本を手に取る必要はありません。 勤めに出て、結婚をし、子供が出来て長い時間が経ちました。 その間、本よりもっと面白い趣味がたくさんあったのでそちらに首を突っ込み、熱中してきました。現在は子供の宿題に付き合って難しい論説文などを読むこともありますが、高校の入試問題を解くのにフーフーいってます(笑) 「勉強の為に読書をせねばならない」という子供の頃からの不幸なすり込みに縛られていないでしょうか?本は読みたくなかったら読まなければいいのです。 それによって世界が狭まったり、友達を失うことはありません。 ただ反対に本に熱中している人を醒めた目で見ることも避けねばなりません。 その人達は「自分の楽しみ」を見つけているのですからー。 最近体を壊して無理が出来なくなったのでまた読書もいいかな?と思い始めています。宮部みゆきや池波正太郎の作品をぼちぼち読みだしています。
お礼
やはり同じ立場のかたからの回答ありがとうございます。。 私も、もっと、いろいろやってみたいと思っている矢先です。 私は読書するが、一人でだったので、息子を幼稚園にいれる(それほど困難ではないけど)引越しがあったので、や、いろいろに没頭し、今、それが、達成し、6月で主人のサポートの為に仕事をやめ、、暇になったとこなんです。。 ありがとうございました。
- iMat
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学生の時に、先生に優等生として扱われてしまって、先生のイメージでほめられたりするということは、よくあることだと思います。 そのイメージと自分が違っていて、別に読書を今はしたくないということであれば、そのことを別に気にする必要はないと思います。 学生の頃に読んだ本は、それなりに自分の中で生きているものですから、もったいないと思う必要はありません。それはそれでいいのでしょう。 本は、何かを知りたいとき、何かと糸口を見つけたいときに読むものですから、何かがなければ人は本を読まないし、読む必要もないでしょう。 もし、読みたい気持ちが起きないこと自体に、納得がいかないものがあるのなら、何かを初めてみることだと思います。
お礼
生きてないんですよ。。まったく、忘失している。。 何か、、あと一歩なんですけど、、先立つものが・・・・現実。。
私は専業主婦で、子供もいますが、昔はまめに図書館に通う本好きでした。でも年々読書欲は減ってきています。読む気はあるけど、手にとるまでに至らない。 今はそんなこともないですが、社会人になって、仕事が生活の大半を占めるようになって、いつのまにか本から遠ざかっている自分に、むなしさに似た気持がついてまわった事もありました。あんなに本に夢中になってた私は? という感じです。 rei_rannさんは、文学少女であらゆるものを吸収してきたのに、いつのまにかばかにしていた=自分はならないぞ、と思っていた大人になってしまったことに嫌気がさしているようにも感じます。そうじゃないのよ、というならすいません。 読書は誰のためでもない、自分が読みたいから読む。読みたくなければ読まない。それだけです。その本が生活に役立たなくても、読んでいる瞬間、どきどきしたり、癒されたりすれば、それでいいと思います。 また、こんなことを書くと無責任ですが、時間が解決してくれることもあります。
お礼
そうでうすね、、そのとおりです。。なくてもいきてゆけるけど 教養にすらなっていない、、忘れてる。思い出す為に、また、、昔の本を ひらいてみようかな。 いちからっていう頭と気力はないんで、、 同じ立場から、回答ありがとう。。これから、午前保育で、また、子供との 時間に没頭です。。
基本的に社交的でなく、明るい性格でない、と自虐的になっておられるだけの事だと思います。誰しもそういう側面は持ち合わせていると思いますし、そのことにスポットを当ててピックアップすれば全体的にそちらに傾くのは当然だと思います。 本を読む能力をお持ちなのであれば、気持ちを明るく楽しくしてくれる本を手に取られる事をお勧めします。 気持ちが沈んでいる時に、純文学と呼ばれるようなジャンルの本がプラスに作用しないように感じられるのは自然な事だと思います。 他の方も指摘しておられる通り、一般人にとって読書は趣味であるべきだと思います。自分が楽しめるものを読めばよいのであり、そういう種類の本も確かにあるのだという事に気付いて頂きたいです。勉強だとか、人格的成長の糧だとか、そういう目的意識ばかりでは楽しめなくなるのは至極当たり前の結果でしょう。 心の空虚さを埋めてくれるのは、なにも直接的にその事を語った本とは限りません。寝るのも忘れて熱中してしまうような、そういう本、作家、ジャンルに巡り会っていないだけの事だと思います。 人生の意義、とか、そういう哲学者のような考察にハマってしまうのは、とりあえず目の前に切羽詰まった問題がない、とか、逆に問題山積で全てを解決するのが面倒臭くなった、とか、当面の目標を達してしまった時の空虚感などがキッカケになっている気がします。 人は一所懸命になっている時には「人生とは?」などとは考えないものだと思います。要するに、暇だから色々考えてしまうのではないかと。マイナス思考(指向)にある時に、そういう内面的なものを追求していっても、行き着く先はさらなるニヒリズムだったりするのではないでしょうか。良い事はないと思います。そして多分、結論も間違っていると思います。 結論としては、暇つぶしに使う本の選択を間違っている、という事で。本はエンターテインメントのひとつです。学究的なものもあれば、娯楽的なものもある。子供を持った親としては、将来について虚無的になったり厭世的になったりしない自分を保ち続ける事が大切だと思います。その役にたつ本も沢山あるわけで、すでに指摘もありますが、それは必ずしも本にしか求められないものでもないでしょう。 空虚にならない為の薬、エンターテインメントとして、世の中にはいろんなレジャーがあり、スポーツがあり、趣味があるのではないでしょうか。読書というのは、そんなもののひとつに過ぎないと思います。長い読書生活で本に嫌悪感を感じておられるのであれば、顔をあげて広く世の中を見渡してみる事をお勧めします。一度気分がリセットできれば、書店でも魅力的なものがまた見つかると思いますよ。
お礼
ありがとうございます。もう、難しい本や、哲学的考察なんて、、できないような頭になってしまいました。。 かつて、楽しい本(漫画)は読まないようにしていた。没頭する割りには、残らない為、でも、今は逆に困難な本って、読めません、、でも、全てを無にしてしまうのももったいないかなっておもったものですから。。 確かに今、、いくつものことが達成され、私だけ、家族で取り残されてしまった気がして、一人でいると涙が浮かんだりします。まだ幼稚園にはいったってだけなのに、いれるって意識が強かったりしたので。。 主人には私がお尻たたいて、勉強させているし、サポートする為に私は仕事をやめるしで、、じゃあ、私は???ってなっているのです
- cotiku
- ベストアンサー率17% (38/216)
>ほんとに望んでいる事(友人を作り、社会にいきる)がプラスになるかどうか、悩み、結果、考えない事がいい、知らない、見ない、 思いつかない事のほうが、いきやすい、、、友人もできる、、等思い知ったのです。。 なるほど、rei_rannさんのここまでに書かれた読書経歴を見ると周りに同調したものを読んでいらっしゃるように思えます。 家族や近所づきあいのほかにWEBのお付き合いも、これは自分のレベルに合った友達を探して、そこで満足できる思考の発達を得たら、楽しくなると思うのですがいかがでしょう。 自分の天国をインターネットの中に見つけて築くことが、充実感を得て、ひいては日常のお付き合いも楽しめることにつながりはしないでしょうか。 >ですから、他者や自分を理解してしまう読書は、、したくなくなったのです。。 人に迎合しない感性を持つ私は自分の感性ではこうだ、とWEBで発表していたら、それでも何人かは見てくれているし、知らないサイトにリンクしてあったりして共感者がいることを感じています。たまにはメールもきます。 自分を理解することは大事なことだと思っています。他者を理解するには至っていませんが、、、 多少意見が違うと思っても相互リンクしていたら、そのリンク先でまた感性の似たサイトに出会ったりして言葉を交わさない友人、つまり文章に出会っています。
お礼
そうなると素敵ですね、、でも、私はネットにはまると、日常生活がおろそかになるのです。。 以前もそうだった・・・で、ネットをほとんどやめ、日常に戻る。。 読書も今、日常を狙っている為に、、してない、面白くない、、欲求を感じない、、でも、他のかたの回答を読んでたりして、・・・・ってなったのです。
- katori
- ベストアンサー率26% (215/810)
中3と小6の子供がいる主婦です。 パートで週23時間、働いています。 本は大好きです。 昔から読んではいたのですが、大人になってから読む量がふえました。 読みたい本が多すぎて、生きているうちに読みきれないだろうことがつらいです。 本を読む意義・・・というのは考えたことがありません。 読みたいから読んでいます。 暇がなくても、本を読む時間だけは、なんとか作り出します。 (読み始めてすぐ眠ってしまうこともありますが) 「時間がなくても、なんとかやりくりしてでもしたいこと」があれば、 それを暇な時間に充てればいいと思うのですが・・・ rei_rannさんは、特にしたいことが見つからないのでしょうか。 はっきりしたお答えになってなくてすみません。 結論は「本を読む意義は自分の読書の欲求を満たすため」です。
お礼
以前はそうでした、時間がもったいない。。て思ってました、 もっともっと読みたいものがたくさんあるから。。 でも今、他に趣味ないし、時間がもったいないとおもうくらい うちこんでいることもないし、かつて、読んだ事によって、 今の生活に、、足しになっているわけではない、、 そうですね。。私もかつては、katoriさんのような主婦になるのが理想でした。
これまで回答された方に対するあなたのお礼文を読んで思ったのですが、 つまりは今まで読んできた難しい本が人と付き合う上で障害になってしまう、 という事なのでしょうか? 自分のことや相手のウラが見えてしまうから読書はしたくない、と? それは少し不遜なご意見ではないかと思いますが如何でしょう? どれほど難しい本をどれほど大量にお読みになったのかは存じ上げませんが 本を読むことで人間が分かってしまった気になるのは…。 人間がそれほど単純な生き物だとは私には思えないのですが。 本は読みたくないが読書に代わるものが無い…ということで虚しい気持ちに なっておられるようですが、それでは少し「ボ~ッ」となさっては…。 そんな時間を持つことも、時には必要なのかもしれないと思うのですが。
お礼
いえいえ、わかってしまうのではなく、もっと、悪い意味、いい人なんだしょうが、かってに、裏を、探ってしまったり、、悪い人なんだけど、 人(仲間が悪いって文句いっていたりすると)いいとこもあるはずとか そんな悪い人になった理由があるはずって、擁護する気になり 今の人間関係をきずけないてことですね。。 今、現実の人間、わかってしまうなんて、、、いっていたとしたら 表現違いです。すみません
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お礼
母との関係は、他の方への、mimosa2001さんの回答によってずいぶん、思い当たります。。もともと姑と同居の母は、年子の兄はよく面倒みたものの、 私の事は、祖母任せだったにもかかわらず、私が何かすると、祖母への腹いせに怒鳴る、怒る、物(瀬戸物類)にあたるって感じで、私は、母を今だ、 その顔色を伺い、びくびくして生活してます。何かしていて、母がくると、 急にあわてて、働きだしたり)家事を。。幸い、別居ですし、大して期待もされてないようですが、、 ありがとうございました。