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今(主婦になり)、読書する意味。

昔は、文学少女でした。自分では、文学というものに、常に違和感を感じてはいたものの、他人(国語の先生とかに。。。)認められる文学少女でした。 通学途中の暗記は、月下の一群から、宮沢賢治等、手当たり次第、暗記もしてました。それにもかかわらず、文学は私にとっては、つまらない学問で、 大学等で専攻するに足るものではなかった、、むしろ、現実の、歴史とか そういうものへの要求が強かったのです。(暇だからしていただけ。) 今、これといった職業もなく、主婦になり、子育てしていて、読むのは 実用書(園芸とか趣味の)です。そんな大人を昔は、ずいぶん、ばかにしていた気がします(親が、読書なぞしない人だったので)でも今、私は、 読書する意義がみつかりません。歴史も、子育ての本も、文学はもちろんの事、、育児に迷いがないわけではないけど、人の事には興味がない、、 という感じになってしまってます。。今、このような状態で、もう生きていくのか、むなしい気がします。。 これはこれで、大人になったっていう事なのでしょうか? 子供もいる方で、読書したり、架空の学問に興味をもって、書物を探したりされている方、その意義をおしえてください。。今も、相変わらず、暇です。

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回答No.18

また来ました。 誰かの意思で、読書など意味がないと思わされているのでは?との問いについて 思い当たられることがあったのですね…。 あなたの心の中にある他人のコントロールは、それと気づけば、 切り離して捨てることのできるものです。 そうしよう、と思いさえすれば、できることです。 あなたのほんとうに望むことは、なんでしょう。 誰もあなたの行動を気にかけないとしたら、どうしたい? それが思いつけたら、なぜそれが実行できないのか、 何がどう邪魔しているのかを考えてみましょう。 きっと、手はあります。 あなたは大人で、賢くて、抑圧されても押さえきれない 行動への意欲があるんですから。できますよ、だいじょうぶ。 すこしでも、自分のために、動いてみてください…。

noname#5364
質問者

お礼

母との関係は、他の方への、mimosa2001さんの回答によってずいぶん、思い当たります。。もともと姑と同居の母は、年子の兄はよく面倒みたものの、 私の事は、祖母任せだったにもかかわらず、私が何かすると、祖母への腹いせに怒鳴る、怒る、物(瀬戸物類)にあたるって感じで、私は、母を今だ、 その顔色を伺い、びくびくして生活してます。何かしていて、母がくると、 急にあわてて、働きだしたり)家事を。。幸い、別居ですし、大して期待もされてないようですが、、 ありがとうございました。

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  • myaami
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回答No.8

私はあなたとは全く反対で 小さい頃から読書が苦手でした。 今でも苦手・・・というか難しい本は読めません。 本がジャンル問わず読める人がうらやましかったです。 でも最近は本を読むのが楽しいです。 読むのはエッセイとか趣味の本とか童話とか…。 自分が知りたい事を知れるから、 好奇心を満たしてくれるものです。 なにか難しく考えているのかもしれませんよ。 今、一番興味がある事はなんですか? そのことが分かれば、本を読むのがとても楽しくなるのではないでしょうか。

noname#5364
質問者

お礼

興味がある事は、人とつきあいたいって事かなあ。。 でも、今まで、してきた読書(難しいものばかり、漫画は現実を忘れてしまうのでよまなかった)が、害になっている、、その頭、考えすぎ、、の、、 だからこそ、今は読みたくないです。 推理小説を読む主人は、ものの裏を考えるという事がありません。 わざわざ、その為に書いたと作者がいっているにもかかわらず、、 臓器移植の話で、もと、医者が。。私はそうはなれなくなり、なにかするに 弊害(もともと引っ込み事案なのに)でてしまって。。

  • aster
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回答No.7

  この世には、色々な人がいます。例えば、本を読むかどうかということでは、読まない人でも、例えば、読んでいる時間的、その他色々な余裕がないので読まない人と、読書を必要としないで生きて行ける人、そして、読書をするという習慣が、何かの理由で身につかなかった人がいます。 具体的な人間の姿だと、もっと色々な可能性があります。現代は、半世紀前に比べ、豊かになり、かつて、教養や学問の基礎を構築するため、岩波書店は、高邁な理想を掲げて出版事業を開始したのですが、それを時代錯誤で、不必要なものだと断言する有名なジャーナリストもいます。 本を読まなくとも、色々な情報や知識が、現代では手に入ります。インターネットにつないでいるだけで、紙の形態ではないが、かなりたくさんの文章を、読んでいることにもなります。ニューズは、本や新聞でなくともTVでも、その他、ネット上のサイトからでも分かります。 1世紀前には、読書しなくとも困らなかった、また、読書する習慣のない人が大勢いました。いまも、似たようなことが起こっているのだとも云えます。文学の形態にしても、もはや小説は19世紀で終わっているという説もあり、詩も、ずっと前に終わっているのかも知れません。 大量の出版物がありますが、ハウツー本か実用書、あとは、ゲームやアニメなどと連動しているか、何かの関係を持った、新世代向けというのか、大量のファンタジーや、その他色々な、紙くずのような小説か何か分からない類の本が出ています。 半世紀以上前の「文学」と、いまの文学は、確かに何か違っているでしょう。文学はもはや終わっているのかも知れません。 質問者の方が何歳か分かりませんし、それを知る必要もありませんが、20台半ばか30台前と思えます。わたしからすると、その年代で、「月下の一群」や「宮沢賢治」の暗記をしていたというのが、どうも不自然です。 若い年代の時は、もっと色々なものに興味があるのが自然だからです。わたしは、人文系、理科系と分けると、どちらにも興味があり、元々「読書家」でありませんから、あまり本は読みませんが、色々考えることは多かったと思います。 >それにもかかわらず、文学は私にとっては、つまらない学問で、 文学とは、人生の経験のヴァリエーションに比べれば、「つまらない」ものではないでしょうか。特に「学問」として見れば。作品を読んで感銘を受けたり、思索にインスピレーションを受けたり、知らなかったことを知ったりするという意味では、価値がありますが。そのようなものとしての「文学」を楽しまれなかったのでしょうか? >(暇だからしていただけ。) それは、おそらく違うと思います。現在、暇があると、気軽に楽しめるものは山ほどあります。「宮沢賢治」など読んでも仕方ないでしょう。つまり、元々、貴方は文学を「読むこと・味わうこと」が好きだったのだと思います。 >でも今、私は、読書する意義がみつかりません。……。。今、このような状態で、もう生きていくのか、むなしい気がします。。 主観的な勝手な解釈ですが、貴方は、文学の読書に価値や楽しみを過去には、見出していたのだと思います。手軽に楽しめたものが、必ず無価値なものではないのです。苦労して読んだり理解した本が、後で役立ったり、価値があったりするとも必ずしも決まっていません。 昔は、文学などくだらないと思いつつ、その魅力に引かれていたのが、今は、その文学に興味がなくなってしまったように思える.読書しなくなった。こういう状態がこのまま、ずっと続くのだろうか……そういう人生には、何の色彩も、個性もないように思えて、空しさを感じてしまう。 どうすれば、昔のような、「自然な情熱」が持てるようになるのだろうか。こういう悩みに思えます。それに対する答えは、まだまだ、未来は分からないし、どういうきっかけで、何に関心が向くか分からないというものでしょう。書物や文学や読書の問題ではなく、「人生の生きる意味」の問題だと思います。 興味があれば、次のURLを参考に見てください。 >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=252304http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=260287  

noname#5364
質問者

お礼

どうも不自然って、、どういった風にでしょうか?? 月下を暗記したのは高校生の時です。ちなみに、その頃、同時に世界(岩波)も購読していて、辻本さんら、知りました、その友人の偏差値の現議員とか、部落問題や、戦争と平和を読んでました。。 でも、やはりおかしいっていわれるのです。。 自転車通学の時に、頭が暇なんで、もったいなくて、詩集をもち、そらんじるように、していただけで、読みすぎて暗記ではないですよ。。 あの頃も、今も、望んでいるのは、普通の友人とか、運動とか、、そういうものだったんです。そうですね、今は、正直、子供が幼稚園にいった後は むなしいです。。

  • cotiku
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回答No.6

>文学は私にとっては、つまらない学問で、 大学等で専攻するに足るものではなかった、、 私は文学の価値は何だろうという思いですこし文学系の勉強をしてみましたが、理解できない世界だということを納得しただけです。 それでも三島由紀夫の「文章読本」で、技術や理念を知ることができました。 >むしろ、現実の、歴史とか そういうものへの要求が強かったのです。 その点を追及して読書すれば楽しいのではないでしょうか。今二宮尊徳の本を精読していますが、やはりよいものは良い、と人にもお薦めしています。 大人になってからも東洋思想の雑誌を買ったり、趣味関連の本などを絶えず次々と読んでいます。 小説とかは本当に暇つぶしにたまに、というところです。だんだん自分に残された時間が限られていると感じるようになって、暇つぶしの読書は減って、実用書と、生きていく励みになり知恵のつく本しか読まなくなりました。 読書の意義は書物の中に自分の善性を見出すこと、美や知性を汲み取って生きる力を高めることではないかと思います。

noname#5364
質問者

お礼

>物の中に自分の善性を見出すこと、美や知性を汲み取って生きる力を高めることではないかと そう思っていた時期もありました。でも、人の心の善や、逆に、悪をみてしまう事が、実際、ほんとに望んでいる事(友人を作り、社会にいきる)がプラスになるかどうか、悩み、結果、考えない事がいい、知らない、見ない、 思いつかない事のほうが、いきやすい、、、友人もできる、、等思い知ったのです。。ですから、他者や自分を理解してしまう読書は、、したくなくなったのです。。

回答No.5

子供の頃から本は好きでした。母である今でも、大好きです。 本は、私の思う「まともなオトナ」と対話できるありがたいものだと思ってます。 しかも、自分のペースで、死んじゃった人からでさえ、 現実世界では親友からしか聞けないような、赤裸々なことばを 受けとることができる。 だからむしろ、好きなだけ友達とおしゃべりできた若い頃よりも、 自由時間の限られる今こそ、いろんな本を読めるありがたさを実感しています。 本を読みたくないときって、私は、疲れて落ち込んでいるときかなあ。 (もうひとつ、現実が面白くてしょうがないときも、ですが) 読書は人の意見や感性を聞き取り感じ取ることだから、 それによる喜びを受け取る前に、 人の話を聞くことのわずらわしさが大きく感じられるときには 本は読みたくないです。 そんなときは、ゆっくり休みます。 漫画なら読めるとか、音楽なら聴けるとか、そんなふうな時期を経て、 また本が読みたくなったりします。

noname#5364
質問者

お礼

よく、お名前拝見してます。。回答ありがとうございました。。 そうですね。。ゆっくりしてみます、

  • cotiku
  • ベストアンサー率17% (38/216)
回答No.4

卒業後30年になります大学での文学系の教科書を読み直しています。 精読してホームページに掲載しています。 ある意味暇つぶしですが、社会貢献(財政再建・修身教育)を意識すると善行だと思いますし、 自分育てには間違いなく役に立っています。 ☆価値ある書物に出会うことが人生の宝となると感じます。 無駄な本もたくさん買いましたがそういうものは深読みせずに捨てるのが時間の無駄にならなくてよいと感じます。つまり、手当たり次第読むのは若いときにはやむをえないことですが、つまらないことです。

  • FFMAN
  • ベストアンサー率21% (15/69)
回答No.3

 質問者が回答者に求める条件を満たしてはいないのですが、この手の悩みに共感する者の一人として回答したいと思います。  質問の趣旨を、今まで暇つぶしとして読書をしてきたが、現在、読書が暇つぶしにもならなくなって悩んでいると受け取ります。まあ、人生に充実感(暇つぶし)を与えてくれるものとして別に読書を選ばなくても(別の手段であっても)よいとは思いますが、読書による現状打破もありうるかと思います。というのは、この手の悩み(人生に対するむなしさ)に取り組んだ先達が書物に記しているからです。こういう悩みを克服してきたものの言葉に興味はないでしょうか?  ある種の文学や思想がつまらない書物という地位から、自分にとって真に必要にせまられる書物になっているかもしれません。  そして、こういう言い方は冷たいのですが、自分自身で苦しみながら悩みに直面するのがよいと思います。真剣に苦しみながら悩みに直面していると、いつか不思議と転換がやってきて、悩みを突き抜けると思います。まあこれは、そういうやり方で悩み(学生の頃、進路という問題をきっかけに、自分は何をしたいのか、から始まって人生そのものについても悩んだことがあり、当時はかなり鬱状態になってました)を解決したことがあるという経験から思うことですが(他にも書物からも同様の例を見出せるように思う)。  質問を深刻に捉えすぎて参考にならなかったら申し訳ないです。そういうことならば、今自分に必要性のある種類の本を読めばよいだけだと思うし、そういうものがどうしても見つからないのならば、質問者にとって読書は今必要のない行為であると思います(読書にこだわる必要はないのでは?)。

noname#5364
質問者

お礼

そうですね、、まさにそのとおりなんですね、でも、あれだけ一生懸命やってきたことが今、なんの役にもたたない、少し前は、同じ状況になった時、 書物のなかの言葉とか、状況が、頭に浮かんだりして、支えなってました。 でも今では、必要ない、て事が、なんだか、寂しいですね。。だって他にしてきた事がないから。。。 読書に変わるものを見つけられたわけではないので

  • popesyu
  • ベストアンサー率36% (1782/4883)
回答No.2

読書を文学するためのものとして思い込む必要はないかと思います。 知的好奇心を満足させたり、ただの暇つぶしだったり、空想世界に酔ったりとか、要は映画を観たり、漫画を読んだり、ゲームで遊んだりと同じようなもんではないでしょうか。

noname#5364
質問者

お礼

そうですね。主人が推理小説よくよむんですが、、最近は、それすら、、 手にとる気になれません。。。 ちょっと前(まあ、子供できる前は)よく、一緒によんだんですが。

noname#8250
noname#8250
回答No.1

読書するのにいちいち意義なんて考えてるんですか?うちの母は暇さえあれば本を読んでますよ、何でも。それではダメなんですか?

noname#5364
質問者

お礼

それでいいと思います。そういう方には。。。。 私はもう、それだけではほんを読む気にならないんです