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数学を哲学的に考えると
以前、私の知り合いに『数学は突き詰めれば宗教だ』とおっしゃる方がいました。 その知り合いが言うには、数学の最も基本的な原理はユークリッドの「原論」というもので定めており、その原論の考え方の根本にあるものは宗教なんだと言っていたのですが、それがどうしてもよく理解できません。 もしこの考え方に興味をもっていらっしゃる方がいれば、是非教えてください。
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- cyototu
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数学とは、日本語、英語、チベット語、オーストラリアのアボリジニ語等々と同じような言語の一種であると考えています。カントの「分析的真偽」の発見以降、数学は自然科学ではなく、人文科学の一種であることが分かっています。ですから『数学は突き詰めれば宗教だ』というのは『言語学とは突き詰めれば宗教だ』と言っているようにも聞こえます。 どんな学問分野でも、最終的には「神懸かり」がないと進歩しないものです。コンピューターは良い助手になってくれても、そのコンピューターに何をさせるかを決めるのは人間の神懸かりです。そう言う意味で『あらゆる学問は突き詰めれば宗教になる』のではないでしょうか。
- masa2211
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「原論」からはズレてしまいますが、今までに回答された理由 ・古代ギリシャの数学教団の教義 ・数学の厳密性に対する信仰 とは別の理由も考えられます。 宗教は「神仏」のような実態の定かでないモノを信じますが、 数学も似たり寄ったりで、「虚数」という実態の無い数を信じているため。 参考文献 早川書房「アシモフ自伝」1巻の上 P264
- myoukan
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「数学は宗教である」という言葉には二つの意味があると思います。 一つめの意味は古代ギリシャの数学教団の教義として。 古代ギリシャにおいては、数学者は教団を形成していました。これについてはピタゴラスに関する下記URLが詳しいと思います。この中にも触れられていますが、ピタゴラス教団の根本教義は「万物は数で出来ている」「宇宙の全ての現象は、数に変換できる」ということです。ピタゴラス教団関係者ではありませんが、ユークリッド幾何学もこの古代ギリシャ文明の中から誕生しました。 もう一つの意味は数学の厳密性に対する信仰として。 ユークリッド幾何学は証明を要しない基本事項である「公理」を出発点にして、そこから各種の「定理」を「証明」によって導き出すという作りになっています。 公理はたとえば「点と点は直線で結ぶことができる」「一点を中心にして円を描くことができる」などといった内容です。 常識的に考えて誰もが「確かにそうだろうな」と思えますが、「なぜそうなのか」と問うてみても答えは出ません。「そういうものだから」としか言いようがありません。 「それらの公理が真である」ということを信じて初めて成り立つのがユークリッド幾何学ですから、「神は存在する」あるいは「霊魂は存在する」ということを信じて初めて成り立つ宗教と根本的なところは変わらないと言えるでしょう。 また、論理的になされた証明はこの世のどこでも成り立つということも、論理というものの正しさへの信仰といえます。 ちなみに、その厳密性への信仰の根源が確かなのかどうかを問い直したのが19世紀末に始まり20世紀に大きく発展した現代の数学基礎論です。
- fjfsgh
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数学には、神の存在を信じ込ませるような何かを感じます。 数学には、4人の神がいると、どこかの講演で聞きました。
- koko_u_
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ユークリッド原論は古すぎる&体系化が不十分なので、現代数学の基礎とは言えませんが、代わりに数学基礎論や集合論などによって構築されています。 ここで前提となる「三段論法」などに代表される推論規則や、「選択公理」に代表される集合論の公理は、ある意味宗教的と言っても良いでしょう。 哲学や宗教との大きな違いは、自然言語に依らないことで逆に高いコミュニケーション能力を有している点だと考えます。