• 締切済み

カウンセリングは本当に有効なのか?

いわゆる「カウンセラー」や臨床心理士のカウンセリングとは本当に効果があり治療意義があるのかどうか?疑問です。

みんなの回答

  • duriange
  • ベストアンサー率62% (22/35)
回答No.9

端的に言ってしまえば「人によります」. 要は「カウンセリング向き」の人もいれば,そうでない人もいます. 世の中にはカウンセリング以外にも問題を解決するのに有効な方法がいくらでもありますから. 「転んでも自分で立ち上がっていく力が人間には備わっている」という思想が現在の日本の臨床心理業界では主流かと思います. そういった力に働きかけていこう,そしてその人の成長を応援しようというのがいわゆるロジャースの「来談者中心療法」の考え方です. あまり上手な喩えではないですが,自転車の練習で後ろで支えてくれるのがカウンセラーで,自転車をこぐのはあなた自身なんだ,という態度とでもいいましょうか. 自転車を乗れるようになる「補助」はしてくれても「乗れるようにしてくれる」わけではないというわけです. ですので,もちろん「話してラクになる」という側面もあるのですが,本質的に「厳しい作業」なのがカウンセリングだと私は感じています. もちろんカウンセラー側も相手に応じて技法を使い分けたり,対応を臨機応変に変えるということはします. ですが,厳しい作業を乗り越えていけるだけの力のある人と,そうでない人がいるのは当然ですよね.不用意にカウンセリングを導入することでかえって状態が悪化する,という人も当然います. 例えば,一般的に統合失調症の患者さんは「カウンセリングの適用外」となってきます. また「恋愛のことで悩んでいて~」といった場合でも(ケース・バイ・ケースですが)わざわざお金を払ってカウンセリングに行くよりは,友人からアドバイスをもらったほうが効果的ということもあると思います. ちなみに,心理療法の効果判定という点に関してはアメリカは保険の関係や何やらで社会的要請が高いようですね. そういった背景があるため,客観的に証拠として効果を提示できる「認知行動療法」という,狭義のカウンセリングとはまた違った考え方に基づく心理療法がアメリカでは盛んになってきています.

  • toganoyua
  • ベストアンサー率30% (48/155)
回答No.8

あるか、ないか、ならば、あると、私は答えます。 精神的に病んでる人(病名がついてないのも含む)ってのは、基本的に、全面的共感が得られていないから、その状態になるんですよね。 臨床心理士の方は、どうか、知らないですが、カウンセラーは、基本的に、『共感と受容』で、クライアント(患者)をどこまでも、受け入れて、決して否定しない。 それで、精神的に病んだ人を治すもんです。 『恋の病は、草津の湯でも治せない』というように、精神的なもんは、どんな薬も、治せないんだし。 偽薬だって言われようと、結核に取ってのストレプトマイシンのように、効果があり、治せるモノだからこそ、意義があると思います。 というわけで、治療意義はあるでしょう。 ・・・・・・・・質問自体、若いひよっこカウンセラーがみたら、頭から、湯気だして怒りそうですが。(苦笑。

frau
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなりすみません。長文になってしまったので「補足」欄にさせていただきます。 >質問自体、若いひよっこカウンセラーがみたら、頭から、湯気だして怒りそうですが。(苦笑。 そうですね(笑)。すごい挑戦的なタイトルだと思います。でも何につけても裏と表というのは当事者であっても第三者であっても疑ってみなければならないと思うんです。 今度は精神科医に赴きました。するとどうでしょう。カウンセラーのことを「まがいもの呼ばわり」してはばかりません。しかも「一種の新興宗教」だと。確かに病人というのは「溺れる者は藁をもつかむ」心理が働いて暗示にかかりやすい、その心理を利用して、大手のカウンセリングセンターでは、カウンセリングを隠れ蓑にしている新興宗教もある。また、臨床心理士側は、精神科医の下につきたくないからと、臨床心理士資格を国家資格を望んでいるがでもそれを許せないのは精神科医の方・・・などなど政治的な話も聞きました。 よく言われるように臨床心理士と精神科医ってやっぱり大きな溝があるんだなと改めて思いました(笑)。このような疑問が生じたのは実は自分の体験と、この精神科医の話からなのです。でも「カウンセリングも長年通い続けないと効果がない」(実際は続けても完治しない。また10年以上かかる場合もある)そうですし、逆に言えば「薬も飲み続けなければ効果がない」そして「薬だけでは効果がない」んですよね。だから双方の言い分はもっともと思いますけれど、患者としては仲良くして欲しい・・・ですよ。もっと政治的なことへ腐心するんじゃなく患者のことを中心においてくださいと言いたいですが(笑)。 >全面的共感が得られていないから、その状態になるんですよね。 そのことからくる自信のなさや自己否定感ですよね。その「共感」効果に対する懐疑というのは、ANo.7さんの回答の「お礼」に述べましたが、まず本人次第なのだと思います。当人の自由意志がプラスの方向へ向くことを援助するのが、よいカウンセラーの腕だと思いますね。だから私が辞めた臨床心理士のように下手な同情をするということは「自己否定感」を深めることになるのではないかと。この医者はそれについて何の罪悪感もないと言ってましたが、同情は優越性を示すものでもありますから。もちろん彼は意図的に言ったのではないと思いますが、彼自身は自分よりも幸福である、そして同情を示したことで「下の目線の者」傷つけたことに対して、それを示唆してもまだ無自覚であることに、共感する立場のものとして最も重要である、他者の中に自分と共有できる「痛み」の経験をもったことのない者・・・つまり自分とは「異質の者」を感じさせられました。 患者自身の主観が「否定感」につながったのならばそれはひとつの失敗例かと。 テキストに載っている理論では「共感する」ことについては特に難しい言葉を用いていませんが、実際的には簡単なようでとても難しいことです。患者の方が鋭い場合もあるんです。患者の方が医者足りえることだってあるんです。

回答No.7

自分の話を聞いてくれる人間の存在はそれなりに有益です。 でもそれは喩えるなら偽薬と同じようなものであって、カウンセリング自体は大した意味は無いですね。

frau
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなりすみません。 確かに自問自答しているよりも話相手という相対的な対象がいた方がより気づきが増します。私も何か問題や疑問が生じたり、逆に自分の問題を他者の問題(質問)に同一視することで投稿する「回答」が自分の問題の整理となり、このようなサイトに不特定多数を相手に「会話」するとき、確かに一人で考えているよりも問題や回答への気づき、インスピレーションが増すのは経験しております。 その「話相手」が肯定的に自分を受け入れる場合に限り自己肯定感が増すという理論は私も全面的に賛成しますし現に体験しているところですが、「偽薬」という喩えである疑問への答えをいただいたように思えます。 「プラシーボ効果」をご存知だと思いますが、カウンセリングの共感的態度や肯定というのはそれと同義ではないのかと。 それはプロとしてまず最初に持ちえなければならない「技」であるが、「仕事」として割り切っていることを患者自身が知っている、ということに効果が決まってくると思います。 患者自身もそれを知りながら「偽薬」をもらいにいっているがその効果が一時的、偽善的と分かっていても薬を飲むふりをすることで治ったふりをしたい、という心理も働いているのではないかと。 これは薬ですよ、と偽薬を騙した上での効果と、私のように悩める者が理論も学んでしまうと手の内がわかる、つまり偽薬だと分かってしまうときカウンセリングは有効な手段ではないのかもしれません。そして時に「テキスト(模範)どおりにやっていない=プロじゃない」と勘ぐってしまう。患者と同時に一応その道のプロを目指す者なわけです。人の痛みが分かっているから助けたい、と思うのも正直で純粋な動機ですが、まず患者として自分自信を実験(逆説的な実務?)してみて、分かったのがこうした矛盾でした。つまり真実上自分は癒されたのか。独りの生身の人間(医者ではなく)から肯定されたのか!?という疑問が残ります。メンタル的な病では、もらった薬が偽せものであるという疑いがあるうちは治りません。「病は気から」ですから。

回答No.6

カウンセリングを受ける姿勢によって変わると思います。 もしカウンセリングをただ単に受けつづければ何らかの効果があると 思っていればきっとあまり役に立たないのかもしれません。 カウンセリングを受けることで自分の問題点が何かを見つけようと思って いるならばきっと自分の問題点を見つけだして改善できると思います。 そのためにはカウンセラーもそういう役割だということを理解している 人でないと意味がないですが。 自分が発見できないものはカウンセラーも発見できないのです。 カウンセリングはあくまでも本人が自分の力で今の状態を抜け出すための 道具だと思います。 本を読むことも同じようなことです。 本を読んで考え方を変えることが出来ますが、それは本がしたことではなく 自分が本を参考にして自分が変えたということです。 カウンセラーが自分のことを治してくれると思っていても何も問題はないです。 でも、自分が誰かの考え方を変えるのが困難なように、カウンセラーにも そのような力を持ち合わせていないのです。 ただ、少しばかり考えかたの方向性を変える手助けができる方法を 知っているだけだと思います。 その方法を利用して自分が改善していくのだと思います。 誰かが自分を変えてくれるのを待ちつづけても何も起こらないだけです。

noname#33452
noname#33452
回答No.5

ぎっくり腰ってさー、再発率がけっこうあるんですよ。 何がポイントかって、再発させにくくすることだと思うんですよ。 この場合は、投薬よりも、知識の方が大事。 メンタル的な病気も、そうなんかなじゃないかなー、と思っています。 今の治療法は、現状のことでいっぱいいっぱいで、再発させない事を教えている人がすくない気がします。 もしくは、治った・軽減した、って通院を突然やめちゃう人もいるって聞きますし。 普通の病気でも、自己判断で、薬をやめちゃう人もいますよね。 そういう人が、かなり再発率を上げているんだと思いますよ。 それを知っているだけでも、違うと思いますよ。 一端治ったからといって、そのまま生きていくとかではなくって、ことあるごとに自分をほめたり、病気を避ける方法も必要だと思います。 きちんとしたカウンセラーときちんとしたクライエントなら、再発率はこれほどはあがらないと思います。 カウンセラーは、共感することも必要になるので、鬱病は職業病だと思いますけどねー。 逆に、鬱病歴がないカウンセラーって、よっぽど芯のしっかりしている人か、適当に診断してきた人なのでは? カウンセリングに効果があるかどうかは、科学的には証明できていないと思います。 思いますが、過去の経験から少なからず効果はあります。 あとは、「それを受け入れる」か、「そんなの嘘じゃん・効くわけないじゃん。」と思うだけでも、効果は違ってくると思いますよ。 合わない人と思ったら、すぐにそこをやめるのではなく、他の先生にも見てもらった方がいいですよ。

frau
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなりすみません。 再発率は確かにあるそうですね。テキストには時折「患者と私(著者)感動物語」のようにストーリー仕立てにしてあるものもありますが、全体の成功率は治癒率の何パーセントよ!?なんて思いました。確かに感動してしまった自分ですけれど(笑)。 かつての私の主治医も本を出しているのですが授業で「よいことしか載せてない」って言って他生徒の笑いを誘ってましたけれど、私は笑えませんでした。 >治った・軽減した、って通院を突然やめちゃう人 これもありますよね。確かに。医者がもっと手をさしのべたくとも本人の意思で決まりますからね。幸福感や不幸感というのは主観の問題です。本人の意志の主観と理論(客観)のあいだでどれだけ介入すればよいのか。またできるのか。 例えば躁鬱病の躁状態って多幸感の絶頂のときですから本人は幸福でも、実際には病気である。その状態のとき「幸福だから私はもう治らなくていい」って思うかもしれないが、医者(客観)としては完全な病人と定義しているわけです。 >鬱病歴がないカウンセラーって、よっぽど芯のしっかりしている人か、適当に診断してきた人なのでは? あぁそうですよね。やっぱり本物の共感というのは、医者自身というより医者に限らず、なんですけれど、患者を受け止める客観的立場の人間がどれだけ個人として色々な経験や感受性豊かな想いを経験してきたか、それにより自分の哲学や、芯のブレない自信や絶対的な患者への思いやり、強さ、包容力を持ちえていることはどんな倫理よりも適うんですね。逆に小難しい理論は「まがいもののカウンセラー」の隠れ蓑にもなりえましょう。 そうですねー、直感的には私は別の療法の方があっていると思います。

noname#35685
noname#35685
回答No.4

私自身カウンセリングを受けたことがあります。病んでる時はそれなりに効果があります。ただし、カウンセリングで人間の心が100パーセント回復するとは思えません。 せいぜい手助け程度です。30パーくらい回復して、あとは自分と向き合い、自分とにらめっこして方向性を模索していくしかありません。カウンセラーは本人のありのままの姿にちょっとだけ手を差し伸べて、糸口を見つけ出してくれるだけです。 ロジャースなどの本もいくらか読みました。専門書もいくらか読みあさりました。そこで思ったのは、そんなのマスターベーションみたいなものだなって。 心が病んでる人は心理学よりも、自分と愛称の良い、いい人を見つけることですね。カウンセリング技術よりも、その人の人柄や人を受け入れる力。傾聴する力。単純なものが必要です。カウンセリング・心理療法の理論・方法は細かく数えると400以上あり、それぞれが独自の方法論を主張しています。 方法の違いがある上に、カウンセラーのパーソナリティの違いが影響し、実践の結果はまさに多様です。 カウンセリングのプロセスは、現実のカウンセリングの数だけあると言ってもいいくらいです。 それだけに、カウンセリングの実際について一般的に記述することは非常に難しいです。 カウンセラーはクライエントに対し、クライエント自身の自己の探索を促していける力が非常に重要ではないでしょうか。 クライエントは、自己の内面の大切な思いを開示すると同時に、自分の変化や成長につなげる課題を探るようになります。 面接段階の中期では、クライエントは自分の思いを語るだけではなく、自分に対する他者への言動を描写し、それにたいする自分の反応の特徴などを語り始めます。 そこへさらにカウンセラーがうまくボールを渡す。それがかみ合えば効果は上がります。 ていうか、適当に書いてたら支離滅裂になりました。この辺で失礼します。

frau
質問者

お礼

まことに申し訳ありません。お礼をANo.3さんと間違えてしまいました。後にサイトの方に差し替え依頼をします。 よってANo.3の方へのレスをANo.4さんへのお返事とさせていただきます。

frau
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 お礼が長くなってしまいましたのでこちらに・・・。 例えば私は臨床心理士のもとで「境界例に近い」という見立てをされたんです。そして専門書なども読み、ネットの掲示板にもよく書き込みました。確かに本にもあるとおり境界例の原因や背景など自分の問題やしょってきたことにまったく符合しているから私は完全に自分は病人だと思っていました。 それで十何年自分の問題について悩んできたことが理論付けられて「先生に本当に感謝している」とまで言ったんです。今になって思えばバカなこと言ったと躊躇なく言えますが。カウンセリングは継続され私は辞めました。それは「可愛そう」という一言がきっかけでした。同情することはおかしくないと先生は持論を崩しません。つまり相手が患者に対し優越性をもっているからです。相手の痛みをわかっていればそんなこと言えません。同情されて嫌な気持ちになるのは分かっているからです。(これについては別トピで質問を立てたこともありました↓) http://okwave.jp/qa2261624.html また別の臨床心理士。「これほどひどい人生を送ってきた人は他にいないですよね?」「そうですね。可愛そう・・・」そこも辞めました。 前者の先生はフロイトの自由連想、ロジャースの傾聴する態度を尊重しているためか50分黙っているだけです。忘れたい話を促されているようで苦痛でした。最も何を話すのかは自由なのですが。また自由連想なんて私的に毎日やっていることです。ただ黙って聞いていて50分6000円。そして先生は時折かったるそうに首を回します。ああ本気で聞いていないのかなと一度目に「辞めます」と言ったところ「ムチ打ちの後遺症」と言われたので納得して継続したのですが相手はだからこそ「境界例」と言います。境界例というのは相手に少しでも嫌なところを感じると関係を閉じてしまうそうですが、「こういう行動が境界例らしい」と言われました。「この患者の言動」は先行している理論に合致しているわけですよね。先生自身の「見立て」も叶ったわけです。ちなみにカウンセリングでは診断することは違法行為です。 次にかかった精神科医は私を境界例ではないと「診断」しました。境界例というのは、誰ともまったく関係を続けられないこと。相手を振り回すことしか考えてない、自分を指摘、批判する者の意見も聞かず怒って帰るそうです。だから人間関係を継続できる私、きちんと判断力があって社会生活を送れる私は境界例ではないと。 こんなもんなんです・・・。 確かに掲示板での境界例患者の訴えを見ていると自分とどうしても温度差を感じてしまいます。実際私が悩みの「考え」を掲示板に書き込んでもレスがない。境界例「らしく」どうしてみんなレスくれないの!とわざと書き込んだところ「あなたは自分の考え方を持っているから」「すでに解決策が自分で分かっている」という反応でした。 でも私は生きているんですよ。それがすべてです。答えは自分の中にあったんです。実際カウンセリング理論でも「治すのは患者自身」と結論付けてます。 >コミュニケーション能力だとか、共感する能力だとか、ものすごい素質や能力がないと出来ないんじゃないかと思っています。 まったく同感です。カウンセラーになる人は痛みを背負っている人が多いといいます。それは確かに事実でしょう。私もカウンセラーになることを目標としていました。だからそこに不純なものはないのです。いくら高度な資格をとっても、現場であくびひとつして、患者の心を傷つける、大げさではなくそれが自殺につながる場合もあるわけです。 ちなみにカウンセリングでは治らない。最低でも10年かかる。と言ったのは心理学のとある講師です。「自分は本も書いているが、よい結果しか書かない」と言ったのは私のかつてのカウンセラーでした。10年後をあてにして後ろ向きに生きていくよりも、考え方をひとつ変えてその10年間を自分のために消費していくほうがよほど治癒にいたるのだとは思いますが。

noname#50811
noname#50811
回答No.3

カウンセリングを受けた事あります。私もあなたと同じように本当にカウンセリングに効果があるのか と疑問に思っています。 私がカウンセリングを受けた時は、カウンセラーの方が「あなたのお役に立ててるか分からない」とおっしゃり、私は「この人で大丈夫なんだろうか?」と思ったことがあります。 そもそもカウンセリングって、たくさん勉強したからできるようになるというものではなくて、コミュニケーション能力だとか、共感する能力だとか、ものすごい素質や能力がないと出来ないんじゃないかと思っています。 「人に感謝されたいから、人の悩みを聞く」というのはただのカマッテチャンだと思いますし、相性もあるでしょう。 あと「主訴」についてですが、自分でも自分の不満や不都合がどこにあるのか、よく分からない事が多かったので、なんと言えばいいのか分からなかったということもありました。 自分で気づいていく、本当の主訴はなんなのかを探る為に役立つこともあると思いますが、根本的に悩みを解消するための手段となりえるのかというと、ちょっと分からないですね。 こんな風に思ってます。

frau
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなりすみません。 確かに主訴が何なのか、という気づきや問題を整理するということではカウンセリングはとても効果的だと思います。でもあまりにも深い傷や病理などは、効果がないと思いますし理論上でもそううたわれてます。だから軽い悩みの相談にはよいけれど、あまりにも深いトラウマには対処できないと思うんですよね。起こってしまったことを変えることはできない、変えるのは自分の捉え方、考え方だけである。それを促すというのがカウンセリングであっても、カウンセラーしだいだと思うんです。 私のかつての主治医はなんでもフロイトの自由連想を尊重している方法らしく「患者の沈黙を守る」のもその方法の一環らしいのですが、こちらとしては何か言って欲しくてたまらず、その沈黙がかえって苦痛でした。そして腹立たしいくらいに何の介入も示唆も与えず、カウンセラー自信の考えも述べず・・・。しまいには私の身の上話に同情を禁じえないことを言いそれであぁ臨床心理士の資格をもっていても、大学で講師をしていても二流だと思ってカウンセリング自体やめました。 >「あなたのお役に立ててるか分からない」とおっしゃり、私は「この人で大丈夫なんだろうか?」と思ったことがあります どのような話の内容や、雰囲気で言われたのか分かりませんけれど、時折カウンセラーなのに!?という心ないカウンセラーでさらに傷つく患者の話はよく聞きます。私の場合もそうですが・・・。例えば他に「女は子供を産む機械」「原爆は仕方ない」政治家の発言のように、それを口にすれば自滅への道だということを分かっているであろうに、なぜ口にする?って考えました。その心理って「抑圧」のせいなのでは?と思うんです。言ってはいけないことを自分に課していると抑圧されたものは浮上したがる強い力を持ちますから、ふいに口にしてしまう。・・・自滅=緊張(立場上などのことも含め)からの解放を求める気持ちがさらに抑圧へエネルギーを与えているのかなぁと思いました。すみません、余談でした。

noname#33452
noname#33452
回答No.2

投薬の方が、効果があるって考え方もありますよ。 カウンセリングでは、カウンセリングをやめて、1年以内の再発率は、けっこうあるとか。(その時は6、7割って聞いたかな? ただ、原因を考えたり、意味を見いだすのは、意味がない訳ではないと思います。 カウンセリングを続けていると、薬の量を減らしたり出来ますしねー。 薬は、やはり、言い面もあれば、悪い面もあるので。 薬によっては、射精困難とかもあるし。

frau
質問者

お礼

>カウンセリングをやめて、1年以内の再発率は、けっこうあるとか。 これなんですよ。 私の精神科医は「市販の薬は危険性について説明書にうたわれているが、危険はない。医師が処方しなくてはならない薬については肝臓への負担がもっともである」と言ってました。 >射精困難とかもあるし そうなんですか?私も薬に依存するのは感覚的にだめなんです。なので先生もその意向を汲んで今は頓服するという形に変えましたけれど。 >カウンセリングを続けていると、薬の量を減らしたり出来ますしね それはよい相乗効果だと思うんです。ただ問題なのは臨床心理士でさえ国家資格として認められていないわけです。つまりそれは効果が保障されていないから。整形美容と同じなんです。心理学関係で最もハードルが高いとされている臨床心理の資格なわけですが、それすら国家資格として鬱病疾患者が4人に1人といわれている現状に対しその許可が下りないのは扱っているのが「心」という不明確、安定性のなさのようなものは現に患者自身が経験しているわけです。 協会認定というのは身内意識のようなものではないかと。ハクをつけるためにハードルを高くしたはいいが、実際やっていることは果たしてどれだけの効果を患者にもたらしているのかなと思ったしだいです。 ご回答ありがとうございます。

回答No.1

疑問を持ち、何もしない方がいいと思いますか? 精神的に不安定だったり追い詰められていると、判断力が鈍り考えがまとまらなくなります。 そういう時、専門的な勉強をし、いくつもの事例を経験している人と話すのは、それだけでも何かヒントがつかめたりということはあると思いますよ。

frau
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 質問に対しこちらの情報が少なかったことをお詫びします。 当方心理学を専門的に勉強中です。だからこそ色々と疑問も生じるのです。 私は臨床心理士、非資格者のカウンセリングも受けたし、催眠療法というこれもまたさらに信憑性については現在のところ非常に低い「療法」も体験したこともあります。ゲシュタルト療法のグループワークにも参加しました。最近は精神科で薬を処方されました。 そうして総合的に心理療法なるものを考えてみたわけです。