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戦前のエリートの特徴

戦前は今と違って邦訳の本が少ない中 勉強したり、経済的事情などから大学などに行ける人がごくわずかであったと聞いていますが、 その意味で彼らが今のエリートと比べてどのくらい優秀であったか興味あります。 特に比較ということでなくても、 彼らの一日の勉強時間、大学における講義内容、教材の内容などについて知りたいです。

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  • Eivis
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回答No.3

 shiokeさんが詳細にかかれていますが、戦前は何処の県でもお金がなくても優秀な子供は奨学金を得ていました。  それよりも面白いのは地方の有力な篤志家が、個人的に奨学会をつくって、中学4(5)年、高等学校3年の学士を面倒見たりする例が多く、おそらく無い県はないくらい全国的に見られました。  エリートの主な課せられた課題は西洋に追いつけ追い越せですが、精神構造は東洋にあったため儒教的教養に裏打ちされたものと言え、俗な言葉でいえば「襟を正すこと」は英国紳士道に通う所があり、英国貴族の「選ばれた者の義務」は選良(エリート)と言われる人々の精神的支えとなっていったのです。 ・・・どのくらい優秀かと言うと、よく辞書を1ページずつ覚えて食べたなんていいますが、ほんとに優秀な人は殆んどノートを取りません。。。要点以外は一度聞いたら頭に入りますから、がり勉して成り上がる人間とは違います。。。むしろ学業以外の漢籍、和歌を嗜むとか人間を豊にすることに重点を置いたようです。  海兵、陸士は必要以上に伝説化されていますが、彼らの中の主流派になれなかった方は教養があり、、、戦争肯定派には無教養派が多かったと言うのは現代の企業戦士にもあてはまる現象ですね! *ご参考までに広田弘毅(字は失念)と言う戦犯になった方は戦前派最後の自己責任の強いエリートだったと言われています。

noname#2813
質問者

お礼

お返事遅れてすいません。 思っていたのと少し違ったのでとても新鮮で勉強になりました。 ありがとうございます

その他の回答 (2)

  • frank
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回答No.2

当時、新聞もテレビも無い生活の中で得られる情報はとても少なかったはずです そんな中である情報が流れるとします 例えば、誰々がノーベル賞をとった。という情報が流れます すると情報が少ない生活の中で、皆その珍しい情報にすごく興味を持つでしょう そんなときに将来について悩む少年少女が強く胸を打たれ「自分も立派な人になりたい」と強く願います こういう人が優秀な人材となるべく勉強にはげむわけです この人たちの信念は現在の若者よりもずっと堅いものです 当時は今と違って出版物も少ない中、よくあれだけ優秀な人たちが出現したと思うのは当然です しかし、逆に考えると、今の私達には出版物が多すぎるので勉強しにくくなっているとも言えないでしょうか ある事柄について学ぼうと思ったとき、本が1冊しかなかったら我々はその本1冊ですべてを習得しようとするでしょう しかし、現在はどんな事についてでも多くの本があります まず、我々はどの本が良い本か迷います 次にその本でわからない内容があったら「別の本のほうがよかったのでは?」と、また迷います ついには「自分の道を間違えたかな。こんな仕事もあるし、こんな仕事もあるし」と、進路に迷ったりします さらに現代がゆえにテレビや冷蔵庫、雑誌などの誘惑もあり、なかなか勉強に集中できません 暇なら勉強ぐらいしかやることがなかったような時代です 長いだけでうまく的を射てない話になってしまいましたが、言いたい事は ○昔は情報が少ないがゆえにあれやこれやと進路に迷わず1つの目標に向かって突き進むことができた ○昔は情報が少ないがゆえに迷うことなく一つのことに集中できた(勉強を邪魔するものがなかった) ということです 昔は今よりも勉強する環境が整っていたということになってしまいます 教材の内容についてですが、恐らく勉強は手当たり次第だったのではないでしょうか ですから、学校ごとに、人それぞれの勉強法があり、今のように決まった勉強法なんてなかったはずです

noname#2813
質問者

お礼

私も情報過多の時代に生まれましたが、 情報がない時代だったらおっしゃる通り違う自分になっていた気がします。 当時の人が偲ばれますね。

  • shioke
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回答No.1

日本の学問水準は明治以後、世界的にも極めて急速に進展し、全ての学問体系を日本語訳で成立させました。この努力はすばらしいもので、現在の発展途上国が大学教育を英語でしていることを絶賛する風潮がありますが、これは全ての学問体系をその国での言語で教育できない(専門学術用語の翻訳が確立できない)事情です。私はナショナリストではありませんが、先人のこれらの努力は日本の誇りと思います。戦前は大学への進学率が低いのは経済的理由でしょう。特に私立の大学には授業料さえ払えれば現在の超超有名私大でも入学できたようです。官立(国立)の大学は帝国大学と呼ばれ、その教養課程のような高等学校(例えば第一高等学校:現在の東大教養課程というところでしょうか)に入学できれば学部を選ばなければ、ほぼ全員帝国大学に進学できたようです。当時は大学よりももう一段上(?)のエリートがいました。軍隊の士官学校(海軍、陸軍)です。つまり、士官学校か帝国大学への進学がエリートコースだったのでしょう。もちろん、卒業後は軍隊であれば少尉(?)から、帝大出であれば給料も同年代に比べて破格(正確にはわかりませんが現在のような1割2割増しではなく、2倍3倍以上でしょう)のものでした。良きに付け悪しきに付け彼らエリートは日本の指導者としての自負があり、その後の待遇も保証されていましたから、猛烈な知識欲のもとに勉強にはげんでいたのでしょう。また、そういう人が選抜されました。何が優秀かは難しい判断ですが、知識につては今の大学生は比較にならないものであったことは確かでしょう。従って、勉強も自ら勉強するわけで、講義内容に関わらず勉強したのです。教材など、教授からの講義テキストがあったとしても、自分で勉強していたというところでしょうか。軍隊の士官学校は全寮制ですから、それこそ、1日中勉強と訓練ということです。特に海軍士官学校では食事のマナーから外国語、国際的な儀礼までエスタブリッシュメントとして徹底した教育がされていたと聞いています。エリートは滅私奉公(自分の利益は考えず、国の発展のために尽くす)は当然だったのです。公費で競馬馬を買ったり、企業にたかってマンションを買わせるような現在の官僚はエリートではないのです。

noname#2813
質問者

お礼

ありがとうございます。 21世紀にはいってもたしかに贈賄事件が出ているようですね。相変わらずですが。(-_-; 待遇の高さが彼らを引き付けていたというご指摘特に参考になりました。