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集団と時間、共同体意識、国家間の形成について

私には、ある共通をもった集団、まあ、共同体と言っていいんでしょうか。 そういったものが、長年、持続されると、 その時間に比例して「共同体の力」というようなものが形成していき、 それが、伝統とか国家基盤になっていくと何となく思っています。 もちろん、共同体といっても、歴史の中で、純粋に単一であり続けることはほぼありませんが、 何かしらの共通性さえあれば、集団と言っていいと考えます。 西欧では、キリスト教がそうでしょうし、 日本では、天皇家、 韓国では、儒教、 中国はよく分かりませんが、易姓革命のような考えでしょうか。 そういった、考えを持つ哲学科といえば誰でしょうか。

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  • tyr134
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回答No.2

rai317さんの疑問を、私なりの解釈で纏めさせてもらうと、 1)国家とは何か? 2)民族とは何か? 3)人種とは何か? の3つに大別出来る気がします。 共同体として一番大きなものは(国連を除くと)国家と言うことになります。 国家の定義は何かと聞かれると、様々な意見があってなかなか難しいのですが、一応、「国際的に承認された一定の地域・領域を支配する権力を持った人々の組織。狭義には「政府」を差し、広義にはその領域と一定の権利(国籍など)を有する人々」となるでしょうか? しかし、その「国家」に住みその構成員でありながら、その「国家」を否定する人々の集団があります。 日本では余りありませんが、スペインのバスク地方であったり、英国の北アイルランドやスコットランドであったり、最近ではイラクのクルド人なんてのがマスメディアに取り上げられたでしょうか? 彼らは、大抵「民族」集団として捕えられていると思います。 その文化的・歴史的・言語的な背景から、独立を訴える人が多い場合もあれば、日本のイヌイットのように独立までは訴えないけれども、文化をなんとか守ろうとする人々もいます。 3)の人種は、民族・国家を超えて「肌の色」や大雑把な「文化」で分けられた人々でしょうか。 もっとも、この考え方は「白人至上主義(白人のみが文明を持ち、それ以外の地域は文明の劣った蛮族である)」という思想から来ています。 そして、白人・黒人・黄色人と分け、それぞれに「文明的」「奴隷」「蛮族」というイメージが付与されています。 もっとも、最近では「人権思想」もあって大分ゆるめられていますが、まだまだ根強くある考えだと思います。 もちろん、「白人至上主義」を廃し、その国や地域の歴史や文化を理解しようとする人も多くいますが。 元々、世界をヨーロッパ・アジア・アフリカetcと分けるのもこういった白人の思想から来ていますしね。 >そういった、考えを持つ哲学科といえば誰でしょうか。 上記の3つを考慮にいれると、 1)は国家論・政治哲学の分野でしょうか。 有名処では、プラトン・アリストテレス・マキャヴェッリ・ロック・モンテスキュー等々でしょうか。 2)は民族学分野でしょうか。 マリノフスキー、フランツ・ボアズ、岡茂雄―、梅棹忠夫、等でしょうか。 3)はちょっと分類は難しいですね。 著作としては、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』、ジャック・スワード『こもんせんす』などでしょうか。 以上、参考になれば幸いです。

rai317
質問者

お礼

詳細な説明ありがとうございます。 民族とは何か、という問いが一番近いと思うのですが、 複数の民族がさらに統合して、という様なケース、その過程の考察にも興味があります。 ですが、まずは、 >>マリノフスキー、フランツ・ボアズ、岡茂雄―、梅棹忠夫 を読んでみます。 ありがとうございます。

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  • kigurumi
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回答No.3

イリアスより。 「同胞を持たず、法を持たず、かまどをもたざる者」 かまどを持つ(家族を作る)こと、同胞をもつ(共同体として生きる)こと、方を持つことの三者は同一の事態であり、一つの人間の本質の異なる表現としてホメロスは語っているらしいです。 すなわち、ポリス的(共同体的)であることは、方を持って生きるということ。 アリストテレスは、人間において「ポリス的動物」と「ロゴス的を持つ動物」と二つの定義をしている。 ロゴス(言葉、理性)とは、人と人との語り合い、交流を可能にする原理だが、さらに根源的に言えば、そのような交流の場としての共同体的存在の条理(ロゴス)をも意味している。 ロゴスない人間とは人間ではないが、それは、語り合うべき他者をもたない人間が人間ではない、ということと同じであるとしている。 この場合、共同体的存在の条理としてのロゴスが法なのであり、したがって、法の所有は、他者との交流をその本来の働きとする人間本質の実現のこと。 では、法とは何を目指すのだろうか。 それは共同体における正義の実現を目指す。 では、正義とは何を目指すのだろうか。 全ての人間の自由と平等の実現を目指すのである。 それゆえ、ただ人間が集まっていれば共同体であるというわけではない。 独裁者と、それにへつらい取り巻きたちや国家警察の恐怖におびえる民衆との間に、人間の共同体があるとはいえない。 つまり、黄道帯は自由で平等な独立人の間においてのみ成立するのであり、この自由と平等を可能にする原理が法。 だが、自由と平等は事実として既に与えられているものではない、ということを認識するのが重要。 事実として人間は貪欲であり、情欲の獣であり、他者を押しのけて自己を拡張しようとする自己中心的な動物である。 人間は無法地帯に放置されれば、万人の万人に対する闘争という弱肉強食に落ち込むでしょう。 (キリスト教がその例ですよね。拡大のためにその侵略地の土地の神を悪魔にしてしまい改宗させ、土地も信仰も富みも略奪してきた。) だからアリストテレスは、たびたび「人間が支配するのは許してはならない。なぜなら、人間は自分のために多くを取り、暴君となるからである」と言った。 この場合、人間はロゴスを忘れ、ロゴスを離れた欲望となったことになる。 人間のうちに巣くうこの貪りへの傾きは、他者との交わりを破壊し、そのことによって結局は自分自身の存在をも破壊してしまう力である。 自己の存在のみを絶対化し、自己と同じ他者がそこに存在するということを無視することにより、世界を争いの修羅場に化す力である。 このような自己中心性を乗り越えてこそ平等の実現なのだが、その点に関して、アリストテレスは次のように言っている。 『ポリス(共同体)が同等のものたちから構成されている場合、一人恩者が全ての市民に支配者であることは自然にかなっていない、と思われる。なぜなら、同等の者たちにとっては、同じ正義と尾奈j以下地が自然にかなっていることは、必然だからである。 ・・・それ故に、同等の者たちは支配されるよりもより多くを支配しないことが正義にかなっているのであり、従って交代に支配し支配されることが同様に正義にかなっているのである。だが、これは既に法である。なぜなら秩序は法であるからだ。』 つまりアリストテレスは、人間の政治的平等は権力の交互的掌握によって実現されると言っている。 つまり権力の掌握をたった一人(一つの集団)がずっとやるのではなく、制度を決めて制度に沿ってやる つまり法を決めるってことですね。 アリストテレスはこうも言っています。 民衆一人一人を見てもそれほど優秀ではない。が皆が一緒に集まれば、一人の優秀な人より、より優れた判断を下せる。 多数者は少数者より、ちょど大量の水が腐敗しにくいように腐敗にテ威力を持つ。 一人の支配者が怒りや情欲や貪欲や恐怖の衝動に負ければ、その判断は必然的に腐敗せざるを得ないが、万人が同時にそのような衝動に負けることは困難。 アリストテレスはエンドクサ(多くの人々が是認する考え)に倫理の基礎を置いたが、それは、多数者の声にいわば人間本性の声を聞いたからであり、民主主義を創造したギリシャ人ならではの考え。 ということになると、キリスト教も天皇家も民主主義の上に成り立っておりません。 が、天皇に関しては法で定められており、存在を法で認められています。 ただし政治に関与しないという条件のもとに法により存在を認められております。 で、アリストテレスの民主主義の考え方は国家の有り方でもあり、個人というか独自の集団が国家と同一であるとはなっていません。 趣味とか主義とか信仰とかは個人に帰します。 法に増えれなければどんな共同体であってもかわまらない。 だが、個人に帰する共同体が国家を支配しようとなったとき、恐ろしいことが起こるわけです。

rai317
質問者

お礼

それは、理想としての、個と、習慣の在り方ですよね。 確かに、それにも興味がありますし、 そちらが本来の哲学のテーマだとは思うんですが、 私は、今、現存している、集団、 についての考察を知りたいのです。 ですが、上記の文章は、よくまとめられていて、 非常に参考になりました。 ありがとうございます。

  • popesyu
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回答No.1

ごくありふれた見解ですので、特定の誰かというのは思い浮かばないですが。それよりも何を知りたいのでしょうか。 社会心理学の分野の研究書なり解説書を読んで勉強したいのですが、特にどの分野の本が良いのでしょうかとかそういう類の質問に近いのでしょうか。どうも哲学の範疇からは外れているような気がしますけど。

rai317
質問者

お礼

回答ありがとうざいます。 私もよく分からないので、こういう本を読めば、 もっと理論付けされる、といった紹介を望んでいました。