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男女の交わり?を「遊び」というのは
なぜ、秘め事?性交に関する表現を「遊ぶ」なんていうんでしょうね。そもそも公園で運動して「遊ぶ」とか言うほうが、はせいした表現なのでしょうか?遊女なんて子供が聞くと、なんなのだという感覚になりますね。
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- tanuki4u
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漢字としては 遊は、氏族霊を旗竿にして、出歩く事を意味するそうです。 遊学が、遊びに行くのではなく、学ぶために外出する、遊説が、遊びに行って話すではなく、自説を外に行ってする、という意味になっているのは、この意味から来ています。 神様が宿るので、神様はきままに自由ということから、現在の遊ぶに意味が拡がります。 ここからは、私の想像。 遊女というのは、もともと白拍子など、神に仕える女性が発祥でした。また、子供も、ある一定年齢までは、人間でなく神様(だから、すぐ、あの世に行ったりする)であるとされていましたので、子供の行動も遊ぶ(神様の気ままな行動)と理解された。 という意味で、遊女(性交)も子供の遊びも、どちらも神様の行動から派生して理解されたのではないかと思います。
- luune21
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派生ではなく、その逆です。 和語の「あそび」の原義は「心楽しく過ごすこと」です。英語で言うplayなどに限定したものではありません。 芸能(うた、演奏、踊り、およびそれらの観賞)、狩、行楽、宴、酒色、賭博などすべてにあてはめられていたことばです。 たしかに現代では、公園で運動して遊ぶようなことに限定されてきている感じがしますね。 しかし、現在でも、深夜のバーなどで異性から「私と遊ばない?」といわれたら、さまざまな楽しいことの中から、まっさきに、それは性交歓のことである、と判断しがちなのではないでしょうか。 これは「あそび」の原義が今でも日本人の心に残っているからだと思います。 余談。 なお、派生としては、余裕、ゆとり、というような意味がでています。 「ぴったり置いたらドアが開かなくなるので、少し遊びをもたせたほうがよい」などと使いますね。 これは、「彼の和歌はきまじめすぎて面白みがない。もっと遊びがあれば格段によくなるだろう」などというときの「あそび」から徐々に適用範囲が拡大していったものと思われます。
お礼
詳しく解説していただいて納得できました。 「遊び」≒「余裕」のことですね。余暇、非労働、休日etc.しかしどうしても「性」の意味合いに行ってしまった方は、どうも特殊な、同音異義語といってもいいのではないかという使われ方をされているように思います。深夜のバーで「遊ばない」と言われると、どうしても意味を特定してしまいます。これは状況によって強い特殊表現が特定されてくるからです。もし、深夜のバーで「これからボウリングでもしに行って汗流そうよ」という意味合いもあっても言いと思うんですよ。異性とやるのはまた楽しいです。
- basso
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交際や結婚の意志が無く恋愛感情も無い一時の快楽を求める交わりを遊びってことですよ。 真剣じゃない=お遊び 夫婦間や恋人通し、恋愛感情を持っていれば「遊び」という表現はしません。
お礼
真剣じゃないの対立表現でしたか。そう考えると納得行きますね。どうも公園で運動して「遊ぶ」のが標準のような気がしてしまって。
お礼
「神」とのかかわりで言われてきた!ということですか。なにか非常にすっきりする説得力のあるお考えです。わたしも賛成します。キマリごとから自由になって人間性を解放すること(性とかスポーツとか行楽とか)は、やっぱり「神」と関わることなのかもしれませんね。