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芥川龍之介の「地獄変」

芥川龍之介の「地獄変」を読んだんですが、よく分かりません。 誰か簡単に教えてくれますか??お願いします。

みんなの回答

  • oyasumin
  • ベストアンサー率22% (31/137)
回答No.2

あれはたしか古典に話題を求めた作品だったと思います。 宇治拾遺あたりかな?? もともとの話は短いのですが、それに肉を付けてあれだけ中身のある話にしているのですから 「ぱくり」などと言えないですよね。 よくいわれている一般的な解釈としては、主人公の芸術家としての悲しい気質を描いているんだと思います。 溺愛している娘が焼き殺されているのに無我夢中で絵を描くわけですから。 しかしそのあと自殺(でしたっけ?)するので、もちろん良心はあるというのもわかります。 細かな描写で、その主人公の狂気と紙一重の職人魂や、卑屈な感じもおもしろく また、娘の飼っている猿(=主人公の親しめる部分の仮託)も物語のいいスパイスになっています。 語句が難しければ、先に註を読んでしまうのもありです。 あとがきや一般的な解説も参考にしながらも、鵜呑みにはしない方がいいですよ。 何年か後に読み返してみると急にわかるようになっているかもしれません。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.1

私もよくわからなかったのですが、芥川龍之介はキリスト教の影響を強く受けているんですね。 で、キリスト教は全くの善を人々は殺したことにより、人々は至福に入ることとなった って考えなんです。 全くの善を殺したらどうして、人々は幸福になるのだろうか??? よくわかりませんが、「神が人々の罪を肩代わりして死んでくれたことで、人々から罪が消えたので、だから全く善の人を殺さないと、人々は至福に入れない」って考えらしいです。 で、この殺された娘が、その全くの善の象徴。 父親は地獄の日々を送っていたが、全くの善である娘を焼き殺し、それを絵に描いたんですね。 すごいですね、娘を焼き殺して焼かれている様を絵に描いたんですから。 キリスト教も助けるどころか眺めおりしかもその殺される様を書物にしてしまった。 で、よく変質者が儀式として美しい女性を拉致して、切り刻むって物語見かけますよね。 異常者ですが、それを分析官が犯人の思考を分析して犯人を割り出すって映画がよくあります。 どうして、変質者は自分とは全く関係ない人から美しい女性を切り刻み残虐な方法で殺すのか。 異常者といっても、なかなか犯人はわかりません。 何故なら、普通に一般社会では生きていける良識をもっているからです。 だからまさかの人が殺人犯として捕まって、世間をあっと驚かせる。 頭がよすぎて世の中の理不尽が我慢ならないのに、良識があるから我慢をしないとヤバイと思い、表面上はそつなく他人と交流する。 だが、本人にとっては地獄の日々。 それでとうとうやってしまうわけです。 地獄の日々から脱出するためにどうすればいいか。 芥川龍之介はキリスト教に傾倒していたのでそれが作品に表れたわけです。 しかも殺人ではなく、人々が至福に至る儀式として行えば人々は幸福になるはずだ と。 読んでいて幸福どころか鳥肌が立って吐き気しました。 なんておぞましい狂気なんだと。 作者は狂っている、と。 地獄変ではその後父親はなんともいえない幸福な顔になったし、人々もおごそかな気持ちになり、父親を蔑視しなくなった。 全くの善である娘を殺したことで、全員が至福に入ったという描写になっている。 実に恐ろしい理論ですね。 猟奇殺人者も実はこの理論によりやっているのかもれない。 で、絶対悪について研究している哲学者がいます。 彼女はその道の第一研究者かもしれない。 彼女が言うには、絶対悪とは「狂気」のこと、だそうです。 芥川龍之介は、狂気に陥り幻覚や妄想にさいなまれ最後は自殺したと思います。 彼は幻覚や妄想により地獄の日々を送っており、それから脱出したくて、至福に至ろうとして作品を生み出したのでしょうか。 それとも絶対悪に触れたため、彼の中に狂気が住むことになったのだろうか。 彼から生まれた子供は狂気だった。 実体験したわけですが、彼から絶対悪は離れてくれなかったようですね。 ということで、この理論は彼が実際にやってみた結果、理論上あ成り立つが実際は成り立たなかったので、この理論は×ですね。 史実でも、この儀式を象徴とした宗教が拡大したため、今までにない規模の殺戮が現実として起こった。 いや 今も起きている。 人類はこの絶対悪にどう立ち向かえるのでしょうね。 国連でもどうにもならないこの絶対悪。 人間の知恵などではどうにもならないしろものなのでしょうか。 絶対悪が入り込む余地がないよう、強度を保っていくしかないですね。 隙を見せたら取りつかれそうです。