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「透明感あふれる演技」?
今朝の新聞で、とある女優の演技を評して「透明感あふれる演技」という表現がありました。演技評に不慣れなためか何をいいたいのかさっぱりわかりません。どなたか教えてください。評者はこの表現で何を言いたいのかを。
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俳優への賛辞に類する評です。 まさにその役の人本人を見てるかのように演じきった。 そこには普段の俳優のかけらさえ感じさせなかった。 これを感じさせるようでは、アク、不透明、 地が見えてしまうということでしょう。
「透明」の反対「不透明」を考えれば良いと思います。 不透明はぼやけていてはっきりしないことです。 その反対ですから「透明」はメリハリのはっきりしたことを さしていると思います、「メリハリがはっきりした感情あふれる演技」 とでも言いたかったのでしょう。
お礼
早速の回答を有難うございます。 「透明」って「透けて見える」ことだと思っていましたが、「メリハリのはっきりしたこと」を言う「ターム」だったのですね。それでは分からないはずです。勉強になりました。ところで、「透明感のある」はそういった「メリハリのある」を形容する表現として演技評では割と一般化されているものなのでしょうか。なにか当方には表現としての的確性に欠ける「曖昧表現」のように映りますが。つまり、とりあえず「透明感のある」と評しておけば、何か「内容のあることを言った」ということのなる類の批評精神衰弱の表徴ではないかと勘ぐりたくなります。 当方が日ごろ慣れ親しんでいる文芸の世界では、「透明感のある」という表現は「クセのない、偏らない、さわやかな」という評言のアナロジーとして使われることが多いように感じます。 ところで、蒸し返すようですが、回答者さんの 「メリハリがはっきりした感情あふれる演技」 は確言として諒解していいのですか? 「感情あふれる演技」も当方には?なのですが。
お礼
早速回答を頂き有難うございます。 頂いた回答で割りと納得できたと思います。つまり、演技者は役になりきることで評価されるのですね。普段の地が見えてしまうようであれば評価は低いということですね。 「普段の俳優のかけらさえ感じられなかった」 そんなことあるのですね。まさに鬼神の宿ったような演技ということでしょうか。 「アク、不透明、地」 俳優にとってこういったものは忌むべき存在、邪魔以外の何者でもないのでしょうかね。それを排除してしまうと、その俳優の「持ち味」も失われるように感じます。当方だけでしょうかね、そういうふうに思うのは。