私も、
(1)日本語に訳さない
(2)前から読み下していく
の2点に尽きると思います。(1)については、「日本語に直す癖」がついてしまっている人は、なかなか直りませんね。そもそも、自分の癖に気が付いていなかったりします。
たとえば、「あぴ」という日本語を見ても「???」となるだけです。ところが「あり」という日本語を見れば、私たちの多くは黒い小さな昆虫を思い出します。つまり「意味」を理解できるわけです。
「あぴ」⇒「?」
「あり」⇒「意味」
英語の「ant」を知らない人は、「あぴ」と同じように、
「ant」⇒「?」
となるはずです。もし「ant」の意味を知っていれば、「ant」⇒「意味」となるはずです。ところが、「日本語に直す癖」がついている人は、
「ant」⇒(a)⇒【あり】⇒(b)⇒「意味」
のように、途中に「日本語」を挟んでしまうのです。これはakiootsukaさんが回答されているように、かなりの時間のロスです。単語や熟語を見た時に、
「ant」⇒(c)⇒「意味」
のように「英語」から直接「意味」をとるようにしなければなりません。
ただ、「ant」のような簡単な名詞の場合は(b)の時間がほぼゼロです。また、「あり」からイメージされる「意味」と、「ant」からイメージされる「意味」にそれほど齟齬がありません。ですから、(a)と(c)を同じことだと思っている人がいるわけです。そのまま【日本語】を挟み続けて、時間をロスしているわけです。
(2)についての方法論は「次に何が来るのか予想しながら読む」ということです。これは日本語でも同じです。文が「。」で終わるまで何も考えずに読んでいるわけではありません。
たとえば、「まるで、嵐の中をたったひとりで海の上をボートで漕いでいる…」とあれば、「…」には「ような」と続くであろうと予想しているはずです。つまり、最初の「まるで、」を読んだ時点で「ような」「ように」を【待ちながら】読んでいるわけです。これが前から読むということです。
しかも、実は英語のほうが構造は単純なので「予想」はしやすいはずです。たとえば、日本語の場合
その男の子~
と文が始まっても「その男の子と」「その男の子に」「その男の子は」など、「その男の子」の役割は助詞を見ないことには判断できません。ところが、英語の場合は
The boy ~
の時点で「その男の子は」に決定するわけです。これは、
The boy I met yesterday on my way to school ~
とあっても同じです。あくまで文全体の主語は「The boy」なわけです。ですから、これを読んでいるときも、「The boy」の「述語」を【待ちながら】読んでいるわけです。それは「I met ~」の部分を無視するのとは違います。その部分はしっかり読んでいます。ただ、そこを読みながらも、もうひとつ別の意識で【述語を待ちながら】読んでいるわけです。
私は、英語を読み始めるときは「主語を待ちながら」読みます。「主語」が確定したら、「述語」を待ちながら読みます。「関係詞」があれば、「関係詞節の終了するところ」を待ちながら読みます。
比喩的に言えば、「左目は目の前の文を見ながらも、右目は一歩先を眺めている」という感じでしょうか。
おそらくここで回答している方のほとんどが同じような読み方をしていると思います。
「文法」を勉強したり、「単語」「熟語」を覚えたり、「構文」を覚えたりするのは、結局、(1)日本語に訳さずに、(2)前から読み下していくことができるようにするために行っていることだと思っています。
お礼
ありがとうございました。 日本語に逐語訳しないということ難しいですが、速読のためには必要だということですよね。