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江戸時代、武士は一人で出歩いてはいけない?
NHK「知るを楽しむ 歴史に好奇心 拝見・武士の家計簿」によると 武士は一人で出歩いてはいけなかったそうです。 常に家来をつけなければならなかったので、経済的に逼迫したそうです。 ところで、一人で出歩いてはいけないのは、どういった種類の武士だったのでしょうか? その家の主だけなのでしょうか? 次男や三男、隠居した祖父などは無関係と思われますが、 どうでしょうか? またこのようなルールができた背景は何だったのでしょうか? よろしくお願いします。
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部屋住みはお供をつけません。 次男、三男でもお役についていればお供が必要です。 当主と継嗣がお役についていて、次男が部屋住みの家の場合、供をつけるのは当主と継嗣の二名になります。 私の記憶では、供を連れなくてはいけないのは、確か公用の時(出勤時)だったような……。 この部分は曖昧です。申し訳ありません。
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- Scull
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たぶんですね、戦国時代の事が根拠になってるんではないかと。 と言いますのは戦国時代、大名は戦場へ兵士を送り出さねばなりませんでした。とは言っても、行き当たりばったりに駆り出す訳にも行きません。 でも、米の取れ高を見れば、どの程度の兵力が期待できるかはある程度計算できますね。ですから、配下の部将に「おまえのところは取れ高何石だから、何人出しなさい」って言える訳ですよ。 っで、平和な時代に入ってもこういう習慣が「慣例法化」しちゃった。で、何石取りだから何人、って言う風に供の人数が固定化した。 私はそう考えてるんですけど。 これが本当なら、一応「当主限定」。次男三男は「場合によって(分家する場合もあるので)」、隠居は・・・官位があるような人でもなければ関係ないかな・・・。 専門家、プリーズ!