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解剖が許されるようになったのはいつ?
杉田玄白について調べていて思ったのですが、当時解剖はめったに出来なかったようです。(今でもそうあるものではないかもしれませんが…) 医学的に解剖が許されるようになったのは、いつ頃からなのでしょうか?
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- oska
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医学的に云々を除けば、人体解体(解剖)は江戸時代よりも古くから存在しました。 中国医学の影響を受けている「漢方」(東洋医学)に付随して解体教書があります。 今でも「五臓六腑」という言葉が残っていますよね。 御用御試切役人。別名「首切り朝衛門(山田朝衛門)」。 この朝衛門は、江戸初期から明治初期まで代々続きました。 (最後が、何代目かはド忘れしました) 罪人の打ち首、(生死を問わず)罪人試し切り、武士の介錯が生業でしたが、彼は「(人間の臓物を原料とした)漢方薬」も製造・販売していました。 東洋医学的には、人体の各臓物も「漢方薬」の材料となっています。 詳細は記述しませんが、この漢方の材料(臓物)が人体のどの部分に存在しているのか?を記述した「人体解剖図」が伝わっています。 (臓物を傷つけない用に、試し切りを行う必要があった) この「漢方薬」製造を「医学的」と見なせば江戸初期には解剖が存在していた事になります。
今は、解剖経験のないお医者さんは、いません。 必須だからです。 人体の何たるかも知らないお医者さんにあなたも我が身を任せたくないでしょう。 今は、それなりに、引き取り手のない死体が存在するのです。 望めば、あなたも、私も医学の貢献のために、献体という手続きもとれます。 さて、腑分けですが、当時は、女と僧、侍の死体に手を出してはいけませんでした。 刑死人を下げ渡してもらうためには、ワイロを手渡す必要がありました。 当時の刑死人の需要があったからです。 刀の試し切りという需要があったのです。 死体は、ひっぱりだこだったのです。 1さんのおっしゃることは、史実ですが、あくまで、私的にということでした。 発表を見据えた解剖となると、教科書にも載っている杉田玄白ということでいいと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。 杉田玄白も相当なお金を払ったんでしょうかね。 参考になりました。^^
- alpha123
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日本でも一般人の知識にならなかっただけで、解剖は幕末よりかなり古くからあります。 http://www.jintai.co.jp/kodomo/rekishi.html 徳川幕府は幕末になるまでオランダの国力落ちたこと知りませんでした。 南蛮人(カトリック)は奴隷貿易や植民地支配(本国から軍隊派遣の事前調査としての布教活動)については信長の時代の天正少年使節団も知っていました。 ラテン語はなす日本の若者の記録はローマバチカンにも残ります。参加した少年の一部は途中で見聞した奴隷のひどい扱いや東南アジア侵略軍を記録に残した。で、支配階級である武士階級は南蛮人追放、紅毛人(プロテスタント)優遇(長崎出島貿易)です。 幕末にはイギリスが最有力でアメリカの隆盛もあった(ペリー来航は1年前にオランダ国王が幕府に知らせていた) 固定化された身分制度の国では知識も普及しない例です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。 URL参考にさせていただきます。^^
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。 大変興味深いお話ですね。 人間の臓物を原料として漢方薬を作っていたなんて初めて知りました。 参考にさせていただきます。^^