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病気はどうして彼女を選んだのですか
友人が来宅して来て、いきなり泣きながらテレビを見ています。 『1リットルの涙特別編』だそうですが、3時間番組の終わりかけ (あと30分)から観てボロボロ泣いています。 生きることの大切さを描くドラマの様ですが、罪な番組ですね。 主人公が可愛いだけに涙を誘う病気です。(病名は何ですか?) この酷い病気は何故、彼女を選んだのですか? 彼女を選ぶと、どの様な意味があるのですか?
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ふっと思ったのですが、もし主人公がぶさいくだったら、誰も見ないのでしょうか。 病気はかわいい人だけ選ぶのでしょうか。 病気といってもいろいろあります。 主なやつではウイルス。 かわいい人だけ風邪をひくとなると、ひかなかったらぶさいく決定になってしまいますね。 根性入れて常に風邪ひいていなければならなくなる。 とまあ またまた脱線してしまった。 笑 人間とウイルスの攻防は、人間が誕生してからずっとあるようなんですね。 人間はウイルスに勝ってきたので残っているわけです。 ウイルスの方が突然変異を短期にやるので、人間が勝ったからといっても、また新種のウイルスが人間に挑んでくる。 ただし、人間のかわいい人のみにとりつくわけじゃないです。 みんなに平等にふりかかります。 ですが、免疫とか抵抗力とかが関係しており、それが高い人は体内で殺すので、発病しにくい。 免疫力や抵抗力が普段高い人でも、一時的に寝不足とか過労とか急激なダイエットとかで体力が落ちていたら、免疫や抵抗力が下がっているので、ウイルスが体に進入した場合、抑えられなくて発病しやすくなる。 エイズは最初、男性の同性愛者限定だと思われていたんですね。 それで女性が発病したときは、何故?と思われたらしいです。 エイズにかかると100%死んでいたのですが、今では発病しない人も出てきたらしいです。 発病しない人はぶさいくだから とかじゃないようです。 そもそも免疫力・抵抗力が低い=かわいい=癌になりやすい というわけじゃないです。 確かに美人薄命ってありますが、この意味は美人だと病気になりやすく死にやすいって意味じゃあないです。 遺伝とか関係していて、癌になりやすい家系とか糖尿病になりやすい家系とかありますよね。 それは外見上 半数の人がかわいいと評価する人がそういう遺伝子を持っているとか 関係ないです。 病気は日本人の嗜好趣味に関係ないですから。 もしウイルスをはじめとる病気と日本人の何パーセントかの人の嗜好が一致するという因果関係が認められたらはやい話 治療はとても簡単。 整形をして、外国の女優の顔に整形すればいいわけですから。 何故番組はかわいい人を主人公にして涙を誘う番組を作るのか。 かわいい人を起用して病気の番組にする理由は、視聴率を上げて金儲けをするため。 番組は視聴率狙いで構成されるという宿命を背負っている。 視聴者の涙腺を緩めれば、それだけチャンネルを変えられなくていいわけです。 視聴者も平凡でたいくつなので、テレビを見ているわけですよね。 そして暇なので、他人の不幸に感動する余裕がある。 番組の構成もチャンネルを変えられないように、必死で作ります。 水戸黄門になると、何分に印籠が出るかわかっているので、その時をえらってチャンネルを変えるらしく、印籠が出るあたりで視聴率がぐーんとあがるらしいです。 すると、そこしか見なくなりコマーシャルが収入源なのに見てもらえない。 これじゃ 困るわけです。 それで由美かおる でしたっけ? に脱いでもらう。 どこで脱ぐかわからないので、チャンネルを変えられない。 由美かおるの裸を見たい人は、かなりの年配者だと思います。 従ってスポンサーもその年齢対象の商品。 このような裏があるので、テレビではなかなか泣けません。 「病人なのに口紅しちゃだめ。夜なのに何故化粧している。重病人なのに、何故眉きれいにそろえてマスカラしたまま ぜえぜえ いっている。わんわん泣いている時、何故白目が白いまま?」 など、どうしてもそっち方面に目がいっちゃうんですね。 ですが、ターミネーターの2のビデオを見たときはおお泣きしました。 ラストでどうしようもなく泣けました。 泣きのツボが人によって違うようです。 それを考えながら製作者は作るわけですね。 20%くらいの人が泣ける番組を作るにあたって、可愛い人 きれいな人の薄命番組が10%代の視聴率を同じ系統の番組が今までとっていたら、やはり 出演者は違うが、同じようなストーリーをつくり、10%代を狙うのではないでしょうか。 病気ではなく、病気の番組を製作者が視聴者の嗜好に添って選んで作っているわけですね。
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- 1000827313
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私も11回のTVを見て涙した一人です。 その前に本を読んでいましたし、本人の写真も見ていました。彼女は女優さんのように美人ではありませんが、本人がやっても別に違和感は無いと思います。 病気は緩徐に進行する神経系の変性疾患で、脊髄小脳変性症です。彼女は病状が悪化する前に同じ患者を見ていて、自分がどうなるかを知っていました。彼女も最初は「何故私になの?」と神経内科医に尋ねていました。しかし、彼女は健気にもその病を受け入れてゆきます。その過程を見てください。教えられる事がたくさんあると思います。人はそれぞれですが、この不条理な病にかかってしまった意味も彼女なりに理解しようと努力してゆく様がお分かりになると思います。 それでも病の不条理にも屈せず、生きている証を残してゆく姿を見て泣いても決して滑稽だとは思いませんし、「生きる」と言う意味を重く問いかけています。あの若さで、私など足元にも及ばないほどの考え、感性、他者に対する思慮など信じられない思いでした。 普通学級に行かれなくなって、養護学級に行くときに級友が校門の所で歌っていたのは、合唱コンクールの課題曲にもなった「三月九日」だったですね。 勿論、本とドラマは違っ所が結構あります。良くなったか、改悪かは見る人によって違うと思いますが・・・ 因みに「山の配達人」は映画の方が良かったと思いますが・・・余計な一言でした。
- nabayosh
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質問タイトルを見た時は「病気が彼女を選んだのではない、彼女が病気を選んだのかもしれない」と言おうかと思っていましたが、質問本文とkigurumiさんの意見を読んで考えが変わりました。 テレビドラマの場合は、彼女を選んだのは制作者ですわな。しかも彼女がかかる病気を選んだのも制作者。 制作者はなぜそのようなプロデュースをしたか。kigurumiさんは売れるようにとおっしゃる。まったくです。それが売れて収入になる。そして制作者の生活を潤す。 制作者にとって「生きること」は大切なのでしょうね。 テレビドラマの演出を知っていて感情移入しない人には、涙がボロボロじゃなくて、ボロがボロボロといったようにしか見えないのだと思います。 人はいずれ死ぬ。死ぬことは当たり前で、病気にだってなるかもしれないのも当たり前。生きることが大切だなどと思っていても、どうしようもありません。世界にウン億といて、今もいる人間ひとりひとりの死は、全然特別なものではないし、私が今重い病気で死んだとしても、パプアニューギニアの人はそれと無関係に生活していることでしょう。こういう視点からすれば、ひとりの人の死を大袈裟に取り上げるのは、滑稽と取ることもできます。見方によっては笑うこともできるでしょう。 ところで、私はそんなことよりも、来宅してきていきなり泣きながらテレビを見ている友人の方が滑稽です。自分の家では見られない事情でもあるのかもしれないのですが、友人はあなたの家に来たというよりはあなたの家のテレビのところに来た、という感じになってしまっていますね。人の家に上がり込んで勝手に泣いている、という情景は、想像するとなかなかコミカルです。
お礼
ありがとうございました
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