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此れ吾が粟に非ずや
2003年センター追試の漢文で”此れ吾が粟に非ずや”という部分の解釈が”その粟は私の粟と言えるのではないか”とあったのですがなぜこのような解釈になるのでしょうか????その粟は私の粟ではないのではないか、ではダメでしょうか????
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「此れ吾が粟に非ずや」は、 「此れ吾が粟に非ず」の疑問形となります。。 従いまして、 「その栗は私の栗ではない か?」 となります。 「私」は、その栗が自分のものかを知っている前提で 話しているはずなので、 「その栗は私の栗だと思うのですが」 ↓ 「その粟は私の粟と言えるのではないか」 のような意味合いになると思います。 inhisownhandさんの書かれている、 「その粟は私の粟ではないのではないか」 は現代用語として解釈すると、 「その栗は私の栗ではないと思う」 と言う(正解とは全く逆の)意味になってしまいます。 この様な説明で参考になれば幸いです。 似た質問があったので参考リンクも見て下さい。
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- maniquicat
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回答No.2
「あらずや」は否定+疑問であり、事実上の二重否定で肯定を意味します。つまり「俺の粟だ」と云おうとしているわけです。 「ないのではないか」は否定+否定+疑問です。回りくどくも三重否定、よって否定になります。「俺の粟ではない」と云いたいときに、使えないこともありません。 「非ず」というのが見た目上、二重否定に見えるがゆえの誤解と推定します。「あらず」なら単なる否定であることが明瞭のはずです。