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違う先生にレッスンを受けることについて
お世話になります。社会人で声楽をやってます。音大受験経験がありついている先生は有名国立大の教授で1レッスン2万くらいします。 先生を変えるつもりはないのですが、また久々にレッスンに行きたいのですが自分のレベルがこのレッスンを受けるレベルに達していない(表現や音楽に関してはとても勉強になるが、発声などは要求されたレベルに次のレッスンに持って行けない)し、ブランクがありなんだか自信がなさすぎるので、よりよいレッスンにする為に、もう少し手軽な料金で見てもらえる先生を探して場数を踏むというか、どんどん歌いこむレッスンも受けたいと思います。(教授のレッスンのサブレッスンみたいにしたい。) しかしこの世界狭いので誰に師事していたか必ずきかれるし、すぐに今の先生にわかる気もするし(わかってもいいのかもしれませんがいい気持ちはしませんよね・・)他の楽器の方などもそのような経験された方はたくさんいらっしゃると思いますが、こんな場合はどのようにされていらっしゃいますでしょうか?音大出てしばらくしてまた始めたいとか・・でも経済的には専門的すぎて高すぎるとかいうとき・・。 やはり自分とその先生で全て打ち明けて相談してやっていきますか?それとも自分で開拓した先生を探しますか? 内緒でいろんな先生を転々とする人もいますが、今の先生に親しみが深いのでできるだけ穏便にしたいのですが・・自分次第というのはもちろんでしょうが何かアドバイスあれば教えてください。愚問でお恥ずかしいのですが宜しくお願いします。。
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卓爾立操 ~ みさおを立てることについて ~ この質問は、まことに悩ましい教訓を含んでいます。 ひとつは古風で保守的であり、もうひとつは現世利益の追求です。 どちらかに立てば、結論は明らかですが、これこそが煩悩なのです。 古風で保守的といっても、もとは現世利益だったのです。 かつては音楽学校や美術学校の受験生が、入試選考を担当する教授の 自宅に通ったりするのは、あたりまえでした。 確実にコンクールに入選するには、審査員の弟子になるのが必然です。 弟子の作品に点数を弾むのは、師弟愛だと考えられていたのです。 現代は公平であることが最優先となり、誰もが秘密にしています。 現代の芸術家は、むしろ弟子が師匠を選ぶのです。その師匠の既得権 (コンクールで顔が利くとか、すぐれた弟子を輩出した実績など)は、 守備範囲が縮小され、誰にでも応用できるものではなくなったからです。 ◇ わたしにも似たような経験があるので、ズバリ答えることができます。 いまや“エライ先生”などは実在しないのです。ほんとうの芸術家や 教育者は、弟子から“はしたがね”を取って教えたりしません。 わたしなら、二人の教師を選んで、一人をオダテ、もう一人をケナシ 専門に雇うことです(一人だけ雇うなら両方できなければダメです)。 理想的には、理論的なコーチと、実践的なトレーナーですね。 わたしの経験では、プロ・アマ音楽家となった友人たちには、共通の “ケロリズム”を感じます。世話になったことに感謝したり、技術面で の敬意を抱いても、ぬきさしならぬ人間関係にしない傾向があります。 わたしの好きな、虚々実々のエピソードですが、古代遺跡を発掘した シュリーマンは、ギリシャ語を学ぶために、ホームレスをやとってきて 《叙事詩》の朗読を聞かせたそうです。 ◇ もっとも深刻なケースでは、主治医に対する患者の不信感が拡大して、 ネット検索によって、患者が先に最新情報を入手した例もあります。 なにしろ医者は患者を断われないので、患者が医者を選ぶべきです。 たとえば、行きつけの理髪店があると、自分で髪を切ることもできず、 とても窮屈なのです。行きつけのスナックを決めると、あまたの好運を 遠ざけてしまうのではないでしょうか。 もっぱら“弱がる”ことで知られた木村義雄九段(名人の息子)は、 あるとき弟子に「先生に教わっていると、弱さが伝染するようです」と 云われ、師匠は「もう十分に伝染しあったじゃないか」と応じました。 m3o3m さんの質問は、むしろ(他人に対してではなく)あなた自身の 師匠・教師・コーチに相談すべき内容かもしれませんね。 (卓爾立操=優れた志を立てること)
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- gesualdo
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先生の人柄にもよりますが、相談してみてはいかがですか? 質問内容の確認になりますけど、「久々にレッスンに行きたい」ということは、現在はその先生に定期的にレッスンを受けているわけではないということですか? 大学受験まで師事していて、また改めてレッスンを受けたいと思っているということなのでしょうか? もしそうだとしたら、「自分のレベルがこのレッスンを受けるレベルに達していない」等の理由のため、主に発声などを見ていただける先生を探している、というようなことを先生に相談してみてはいかがですか? もちろん、言葉は先生の機嫌を損ねないように、慎重に選ぶ必要がありますが。(例えば、「社会人なので、曲を仕上げるのに時間がかかる。未熟なままでのレッスンでは先生に失礼なので、先生には仕上がりだけを見ていただいて、発声などの細かい部分を見てくれる先生がいれば良いのですが…」など。あまり良くないですね…) 先生によっては、複数の指導者につくことに難色を示す方もおいでですが、もしかするとお弟子さんで現在指導者になっていらっしゃる方を紹介してもらえるかもしれません。 私の場合、音大卒業後に再びピアノのレッスンを受けるとき、それまで見てくださっていた先生は受験生や大学生を専門に教えていたため、社会人が私ひとりという気詰まりもあり、他の先生を紹介してもらうことにしました。紹介していただいたのは先生のお弟子さんだったため、話もスムーズに通りました。 ただ、私の場合は掛け持ちではなかったので、質問者さんのようなケースで上手くいくかどうかは分かりません。 先生のお考えによっても違うと思いますし。 少しでも参考になればと思います。
お礼
回答ありがとうございました。 一度軽く「またレッスン行きたいなあ」といったとき「何を習いにくるんだ?お前どっかでとりあえず歌って来い!!」(先生は男で白か黒といった考えの芸や仕事に厳しい方です)といわれたので散々自分でいろいろと演奏関係の仕事やカルチャースクールから個人宅までネットや音楽会でみたりしてました。しかし突然どこも行きにくく初めないと世界も広がらず、やはり先生に習いたい、でも高いし今自分が習うには高級すぎる?でも質のよいものを学びたい・・となんだか堂々巡りで何年も経ってしまいました。でも最近は優しい短大などに行ってもいいかなと思ったりもしています。(音楽全般や語学などを総合的に学ぶ為) 先生の言葉の裏には、何か目的を(学校とか二期会受験とかオーディションとか・・)決めてきてくれ、受験ばかりで私が世界が狭くなっているし自分の知らないところで勝手に勉強してきてくれ、とも受け止められました。やはり受験がうまくいかなかったので先生自身も私が重いというか半分指導する自信がない感じも受け取られます。。でも決して見放した状態ではなく自分で殻を破るまで突き放した感じです。 受験の始めの頃、教え子の指導者に発声など習ってくるように言われたことがあり、その方もいるし他の方もいるかもしれないのですが、最近先生とその方の関係が今イチというのもありなかなか難しく面倒くさいので、まったく知らないところの人の方がトラブルになりにくいのかなあ・・なんて勝手に思ってました。でも相談してみるのもよいかもしれませんね。 長くなり申し訳ありません・・アドバイスを頂きやはり先生に相談するのが筋のような気がしています・・私に足りないのは目的か自信かお金か・・実は全て無いからいけないんだと・・でもまた始める取っ掛かりが欲しいんだと改めて思っております・・やはりカルチャースクールにでも行けばよいのでしょうか・・また何か気づいた点でもあれば教えてください。本当にありがとうございました。
補足
回答ありがとうございました。質問がわかりにくくてすいません。 私は東京の普通の短大を出て20代で音楽を始めて数度芸大を受け、その師匠の指導で最終まで残れるまでになりました。でもその他聴音などが追いつかずあきらめました。その後社会人となりましたが、一緒に受験を闘ってきた戦場の上司と部下みたいな関係で、師匠の演奏会などは必ず行くし、たまにお手伝いも任されたりとご縁を大切にしています。 最後にレッスンを受けたのは6年前くらいだと思います。 受験後一度実家に戻り、地元では自分で探した違う先生に少しついてみましたがその方は転勤で疎遠になり、聖歌隊などで歌ううちにまた勉強したくなりました。会社の希望転勤をきっかけに6年前から東京にいますがなかなか突然レッスンにいけないといったいきさつです。
お礼
回答ありがとうございました。 >ひとつは古風で保守的であり、もうひとつは現世利益の追求です。 その通りですね・・実際私はその教授の大学に寸でのところで何度も不合格になりました。例題通りです^^;。その方自身もこの世界の変りように多少戸惑っていらっしゃるようにも見えます。 >ほんとうの芸術家や教育者は、弟子から“はしたがね”を取って教えたりしません この教授も私がどんなに困っているのを見ても決して安くするから来い、とは言わないし目的がはっきりするまでどっかで歌って来い!と突き放されています。それほど自分の芸術に対するプライドが高いんだと分析してしまい、時折冷たい人だと思うことすらあります。 >二人の教師を選んで、一人をオダテ、もう一人をケナシ専門に雇うことです(一人だけ雇うなら両方できなければダメです)。理想的には、理論的なコーチと、実践的なトレーナーですね。 この回答はかなり的を得ました・・。言い方悪いですが実は教師は雇うものだったのかもしれませんね・・私が求めているのはズバリ実践的トレーナーですね。しかもこの場合ケナシ専門でしょうか?なるほどオダテ、ケナシ専門がいたほうが効率がよいということでしょうかね。 >“ケロリズム” 私にはこれが非常に欠落しています。バカみたいに就いていけば何か得られると・・多分師匠はそれを十分に知っているけれど教えることができなかったのでしょうね^^;。自分を卑下もできないし、たいていで自分で気づけよ、って感じだと思うけどプライドもある・・私に「ケロリズム」があればこんな質問もしなくて済むのでしょうね・・これははたして才能でしょうか・・努力でできるのでしょうか? > たとえば、行きつけの理髪店があると、自分で髪を切ることもできず、とても窮屈なのです。行きつけのスナックを決めると、あまたの好運を遠ざけてしまうのではないでしょうか。 すでに私は専用の美容室や歯医者が決まってしまっており、たとえちょっと違うところへ行きたくても行けなくなっている症状もちゃんと発生しておりました。「ケロリズム欠損症候群」でした。 bilda様大変参考になりました。もしかすると師匠は相談されるのを待っているのかもしれません。あるいはなぜダイレクトに相談してこないのかいぶかしく思っているかも知れません。「卓爾立操」よく考えてみます。